TCKコラム

TCK Column vol.32

孤独のダートにゆらめく光と影 サンライフテイオー(全5話)

孤独の後遺症編

52歳の体はすでにボロボロであった。
大事故による後遺症が、この10年の間に心底苦しめた。
気力、体力、成績、勝利と奪えるものはすべて奪っていく。
自身に覆いかぶさる影がすべて奪っていく。
引退か、現役続行か、揺れ動く砂上の魂。
ダートの上では孤独なジョッキー。
その苦悩は計り知れない。
最後に支えるは、この馬に勝たせてやりたいという思いと自身の信念。
一方で、その馬もダートの上では孤独だった。
人間不信、なぜ自分はここにいるのだ。
2人に共通する部分は決して少なくない。
男を決断させたものとは一体なんだったのか。

振りほどくことのない影

次戦は、盛岡で開催されるダービーグランプリであった。見せ場なく8着に終わったことに、高橋三郎は自分のミスを隠そうとはしない。サンライフテイオーに本当に申し訳ないことをしたと、その言葉からうかがい知ることができる。
「2日前に盛岡に入厩をし、レース前の調教後のクーリングダウンのときに、場内の端にあった青草を食べさせてしまった」
 結果、絞り切れなかったサンライフテイオーの動きは鈍かったのだ。
「せっかく盛岡まで長い時間車に乗せて運んで無理もさせて……、馬体も調子がよかっただけに……」
このダービーグランプリ後、サンライフテイオーの右前脚の球節が骨膜炎のようになっていたので長期休養に入る。
そして高橋三郎は、このダービーグランプリがサンライフテイオーとの最後の騎乗となるのであった。

翌年、高橋三郎は34年間の騎手生活を、「サンライフテイオーが花道を飾ってくれた」という名言を残して引退する。
「このころ私は迷っていた。もう一年乗ろうかどうかと。そんなときスーパーダートダービーを勝って、周りのオーナーはじめ、みなからこの勝利は最高の馬からプレゼントしてもらって、今またもう一年乗ったからといって、こういう結果になるかといえばならない。この馬から降り足らないという気持ちも分かる。だが、この馬でクラシックを取れると言って取れず、スーパーダートダービーで勝たせてもらったのは、今が勉強のするときだぞ、引退を考えたほうがいいと。自分もこの馬からいろんなことを教わった。引退の花道を作ってくれたのだと悟った」

高橋三郎を悩ませ続けていた自身のケガの後遺症。当時、すでに体はボロボロであった。
 馬は利口だ、背中に乗せる人間の様子が手に取るように分かる。だから、なおさら高橋三郎は、体調の悪さを伝えないために、自ら体にムチを打つのである。体は悲鳴を上げ、すでに限界であった。サンライフテイオーを勝たせてやりたいという思いだけが、現役を支えていたのだ。

高橋三郎を悩ませ続けていた自身のケガの後遺症。当時、すでに体はボロボロであった。
 馬は利口だ、背中に乗せる人間の様子が手に取るように分かる。だから、なおさら高橋三郎は、体調の悪さを伝えないために、自ら体にムチを打つのである。体は悲鳴を上げ、すでに限界であった。サンライフテイオーを勝たせてやりたいという思いだけが、現役を支えていたのだ。

調教師となった現在も苦しませるその後遺症の始まりは、昭和60年11月20日にさかのぼる。リーディング首位を走っていたそのとき、未出走のアラブ2歳馬の調教中に落馬し、馬に蹴られて右脛骨(弁慶の泣き所の太い骨)を骨折。最初に入院した病院では、右脛骨骨折、両足の打撲で全治4ヵ月の診断が下された。ところがお尻から太ももにかけて、どす黒く真っ黒に晴れ上がり、一向に回復の兆しが見えないのである。その間、氷水のかなかに足をずっと入れているかのような痛さが昼夜を問わず襲い続けた。
最初の病院にいたときに、面会に来ただれもが、ここに居ては足を取られると助言する。
なんとかしてもこの病院を出るため、仲間数人が高橋三郎を抱きかかえ外に出ようとしたとき、病院側とトラブルとなる。そのとき高橋三郎が婦長の胸を左足で蹴ったことで、病院側は強制退院とさせたのだ。
 転院した病院で再検査したところ、なんと右足の動脈と神経が切れていることが判明した。事故から6日たったときのことである。
 最初の誤診は、回復を大きく遅らせるばかりか、6回も繰り返し手術することとなり、一度は7時間にも及ぶ大手術をする。体力も気力も奪えるものはすべて42歳の体から奪っていったのだ。

ダートの上で孤独な2人

転院のおかげで、右足の切断は免れることとなった。しかし、壊疽を起こした指は切断し、脚の太さは左の半分以下となり、今日においても元に戻ることはない。
特に足首が曲がらず、そのままでの歩行は困難をきたすため、右足の下には左足との長さの均等を保つためと、歩行しやすくするためのクッションを入れている。さらに動脈を切断したために、血液の循環量が少なく、体温が上がらぬ右足には常にサポーターを二重三重にと巻く。それでも冬場など外気の気温が下がると、足全体の感覚が途切れ、血の気がない真っ白に変色してしまう。
あの事故以来、毎日そのような状態でレースに挑み続けてきた。今日もその姿には変わりはない。丸2年を費やした懸命なリハビリで復活するものの、その後遺症は高橋三郎を蝕んでいく。
故障が日常となった高橋三郎の心のうちは、本人にしかうかがい知ることのないものだ。だれにも知ることのない……。そして、それは肉体だけでなく、心にも影響をおよぼす。振りほどくことのできない突然現れた真っ暗な影で覆いかぶさるように。

「こんな状況でレースに挑めば、ごまかしが効かなくなってしまう。周りの乗り役もそのような私の騎乗のクセを見抜いてしまう。そうすればだんだんと勝てなくなってしまう状況が続いていた」
退院後の騎乗にも苦労をする。高橋三郎の独特の足を振る騎乗フォームは有名だ。だが、右足の後遺症によって、なおさら左足だけが振られるようになる。力の入らない右足をカバーするために左足に力が入るのである。右足は動かすことができず、つま先を上げることもできない。馬にしても片方だけに力を入れられれば、走りにくくなる。その走り辛さは、鞍上の高橋三郎自身が一番敏感に感じ取っていた。
ゲートを出るときなどは、特に馬の走り辛さが分かったという。
「いつも馬に申し訳ないと思いながら騎乗していた」

 サンライフテイオーと出会い、勝たせてやりたい一心が、52歳の体を奮い立たせ、ケガの後遺症という影に、光は降り注ぐこととなる。
「ここで、降りるのを辞めれば、レースで勝てなくなることに、今以上にもっと悩む。そうすればレースの騎乗も減るだろう。そうなればとどめもなく悩み続けることになる。スーパーダートダービーを勝たせてもらい、引退を決断させてくれたのは、すべてサンライフテイオーのおかげだ」
 人間不信になりダートの上で孤独だったサンライフテイオー。ケガの後遺症に悩み苦しみ、ダートの上で同じく孤独であった高橋三郎。2人の共通する部分は決して少なくなかったのかもしれない。

スーパーダートダービー直後の11月18日、ハイセイコーの孫のテツノセンゴクオーで東京記念を、翌年の引退直前である2月27日には金盃を優勝している。もちろんハイセイコーの仔のキングハイセイコーで昭和59年の東京ダービーを、同じく平成2年にはアウトランセイコーで優勝しているのだ。
ハイセイコーといえば高橋三郎。大井へ入厩当時から調教を任せながらも、さまざまな理由で中央へ移籍する直前の2鞍しか騎乗を許されなかった。そんなハイセイコーと切っても切れない縁があるのだろう。サンライフテイオーもハイセイコーと同じ武田牧場生産の馬であったのだ。
「だから、なおさらサンライフテイオーが自分にお礼をしてくれたのかと思っている」
(悲しい一生編へ続く)

サンライフテイオー 血統表

牡 鹿毛 1993年3月20日生まれ 北海道新冠・武田牧場生産
ホスピタリティ テュデナム
トウコウポポ
ティーヴィミニカム Dickens Hill
Camera

サンライフテイオー 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 人気 着順 タイム
H7.9.12 大井 能力試験 800 高橋三郎       52.5
9.24 大井 2歳新馬 1000 高橋三郎 53 (1) 2 1:02.1
10.16 大井 2歳 1200 高橋三郎 53 (1) 1 1:15.4
11.18 大井 ゴールドジュニアー 1400 高橋三郎 53 (5) 2 1:27.8
11.30 大井 青雲賞 1600 高橋三郎 54 (3) 3 1:43.7
12.20 大井 胡蝶蘭特別 1600 高橋三郎 55 (1) 2 1:44.8
H8.1.17 大井 ゴールデンステッキ賞 1700 高橋三郎 55 (2) 2 1:50.8
2.19 大井 京浜盃 1700 高橋三郎 55 (11) 10 1:47.2
3.5 大井 若駒特別 1600 高橋三郎 56 (1) 1 1:43.6
3.26 大井 雲取賞 1700 高橋三郎 54 (1) 1 1:47.8
5.14 大井 羽田盃 1800 高橋三郎 56 (3) 2 1:54.4
6.6 大井 東京王冠賞 2000 高橋三郎 56 (2) 3 2:07.1
7.4 大井 東京ダービー 2400 高橋三郎 56 (3) 4 2:37.8
8.26 大井 アフター5スター賞 1800 高橋三郎 55 (3) 6 1:53.8
9.26 大井 東京盃 1200 高橋三郎 52 (8) 12 1:14.1
11.1 大井 スーパーダートダービー 2000 高橋三郎 57 (9) 1 2:05.8
11.23 盛岡 ダービーグランプリ 2000 高橋三郎 56 (5) 8 2:09.6
H9.6.26 船橋 京成盃グランドマイラーズ 1600 佐々木竹見 57 (2) 3 1:41.2
7.28 大井 サンタアニタトロフィー 1600 佐々木竹見 55 (2) 4 1:41.1
8.28 大井 アフター5スター賞 1800 佐々木竹見 55 (4) 8 1:54.7
10.2 大井 東京盃 1200 早田秀治 55 (9) 13 1:15.2

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。