走り続けた理由:チャンピオンスター(全5話)
命を追い求めた馬生編
すべてのレースを全力で走る7歳馬。
1億円ボーナスに王手をかけるべく、
9月5日中山競馬場開催のオールカマーに参戦する。
鞍上の高橋三郎に伝わった大きな振動。
新たな馬生の始まりが告げられた。
期待された新たな馬生は、
たった2ヵ月で突如終わりの幕が下ろされる。
まるで、種牡馬として活躍できないことが分かっていたかのように、
走り続けられるだけ、走り続けた馬生。
この世に残されたのは1頭の後継馬。
これも果てしなく過酷なブラッドドラマの一面である。
1頭の後継馬
7月10日、川崎競馬で開催されたファン投票によるオールスターカップ。なんと5頭立てという超少頭数というレース。相次ぐ故障、辞退が重なったのだ。それでも中央競馬から移籍してきたインターアニマート、ダイコウガルダン、ホクトフローラ、タカラオーと南関東を代表する顔ぶれはそろった。
レースでは、3番手チャンピオンスターが、直線で前にいたホクトフローラ、インターアニマートを交わし抜け出したかに見えたが、インターアニマートが二の脚を使って激しい競り合いとなった。競り勝ったのはチャンピオンスターであった。
オーナーは当時九州長崎の雲仙普賢岳の噴火で震災した島原の被災者に、賞金から100万円を寄付している。
1億円ボーナスに王手をかけるべく、9月5日中山競馬場開催のオールカマーに参戦する。だが……。
レースでは折り合いがつかなく、後方からとなった。
「向正面から3コーナーにかかったところで、馬から『ガクッ』と大きな振動が伝わった。屈腱炎が再発した。芝に慣れていないだけに、脚に負担がかかったのかもしれない」。
大差の11着に終わってしまった。脚は見ただけでも、その故障の具合が相当ひどいものと分かるほどだったという。
現在では、手術すれば簡単に復帰できるのだが、当時は競走馬として断念しなければならない故障だった。
4歳時、重賞3連勝をして、地方競馬の王者に上り詰めた矢先、屈腱炎により1年10ヵ月におよぶ長期休養を余儀なくされた。
6歳秋に悲劇を乗り越え復帰するものの、年齢からこれ以上の活躍は無理とささやかれる。しかし、7歳で3年ぶりの帝王賞を制覇して、再び王者に返り咲き、絶対能力の高さを見せつけた。消長の激しいサラブレッドにとって、3年とは決して短くない時間だ。まさに前例のない快挙と呼ぶにふさわしい復活劇。24戦11勝、2着3回。重賞7勝という数字以上のものを残した。
7歳まで走ったとはいえ、わずか24戦のキャリア。あまり体力を消耗していないため、当然ながら、種牡馬として大きな期待を担うことになった。当時で1株300万円、50株計1億5000万円のシンジケートが組まれたのだ。年明け春に、北海道新冠・八木牧場種馬センターに供用された。
だが……ここでも悲劇がチャンピオンスターに襲いかかる。3月の最初の検査では、精虫数に異常はみられなかったのだが、5月中旬までに13頭と交配したが、次々と不受胎が続いた。急遽、再検査した結果、1ccあたりの精虫数が通常の半数以下の1億足らず。活力50%、奇形率43%と非常に高く、生殖能力がないことが分かった。大学でも検査は行われたが、わずか2ヵ月でのこのような変化が起きた原因は不明だった。
受胎したのは、わずか1頭のみ。その仔を残して、チャンピオンスターは種牡馬としての役割を終えた。
まるで、種牡馬として活躍できないことが分かっていたかのように、奇跡の復活を果たし、脚部不安を抱えながら競走馬として7歳まで、走り続けられるだけ、走り続けたかのようである。
走れども、走れども見えない「命」を追い求めた馬生だったに違いない……。
受胎はオーナーが所有していたチャンピオンハート、1頭のみであった。仔は父と同じ栗毛の牝馬で、アレチャンピオンと名づけられ、大井競馬でデビューウインを果たす。高橋三郎も3戦目から騎乗し、チューリップ特別で勝利し、クラシックで活躍するが、早々に繁殖牝馬入りをした。
チャンピオンスターの血を受け継ぐたった1頭の後継馬。これも競馬がなせるブラッドドラマの厳しく、過酷な一面である。
チャンピオンスター 血統表
牡 栗毛 1984年5月9日生まれ 北海道浦河産・山春牧場 | |
---|---|
スイフトスワロー(USA) | Northern Dancer(CAN) |
Homeward Bound(GB) | |
スイフトロード | ロードリージ(USA) |
ヒデユキ |
チャンピオンスター 競走成績
年月日 | 競馬場 | レース名 | 距離(m) | 騎手 | 重量(kg) | 人気 | 着順 | タイム |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
昭和61年 12月9日 |
大井 | 2歳新馬 | 1000 | 西川栄二 | 53 | (2) | 1 | 1:02.9 |
昭和62年 1年2日 |
大井 | 3歳 | 1400 | 西川栄二 | 54 | (1) | 1 | 1:30.4 |
1月28日 | 大井 | 葉牡丹特別 | 1600 | 西川栄二 | 54 | (2) | 1 | 1:44.8 |
2月13日 | 大井 | 水仙特別 | 1600 | 西川栄二 | 55 | (1) | 3 | 1:45.9 |
4月9日 | 大井 | 黒潮盃 | 1800 | 早田秀治 | 56 | (4) | 1 | 1:58.3 |
6月3日 | 大井 | 東京ダービー | 2400 | 早田秀治 | 57 | (3) | 4 | 2:39.0 |
7月26日 | 大井 | サマーC | 1700 | 早田秀治 | 52 | (2) | 7 | 1:49.2 |
11月11日 | 大井 | 東京王冠賞 | 2600 | 早田秀治 | 57 | (6) | 2 | 2:52.9 |
12月23日 | 大井 | 東京大賞典 | 3000 | 高橋三郎 | 54 | (4) | 4 | 3:16.7 |
昭和63年 2年4日 |
大井 | ウインターC | 1800 | 高橋三郎 | 56.5 | (1) | 1 | 1:55.2 |
3月3日 | 大井 | 金盃 | 2000 | 高橋三郎 | 51 | (1) | 1 | 2:05.8 |
4月13日 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 桑島孝春 | 56 | (3) | 1 | 2:07.0 |
6月21日 | 大井 | 大井記念 | 2500 | 桑島孝春 | 57 | (1) | 1 | 2:42.8 |
7月27日 | 川崎 | 報知オールスターC | 1600 | 桑島孝春 | 57 | (1) | 2 | 1:41.5 |
9月18日 | 新潟 | オールカマー | 2200 | 桑島孝春 | 57 | (4) | 15 | 2:14.6 |
11月2日 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 高橋三郎 | 57.5 | (1) | 7 | 2:36.9 |
1年10ヵ月休養 | ||||||||
平成2年 9年5日 |
大井 | かちどき賞 | 1800 | 高橋三郎 | 55 | (6) | 4 | 1:56.5 |
10月24日 | 大井 | グランド チャンピオン2000 |
2000 | 高橋三郎 | 56 | (2) | 7 | 2:10.5 |
11月20日 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 高橋三郎 | 55 | (1) | 1 | 2:34.3 |
12月13日 | 大井 | 東京大賞典 | 2800 | 高橋三郎 | 55 | (3) | 11 | 3:08.7 |
平成3年 2年26日 |
大井 | 金盃 | 2000 | 高橋三郎 | 57.5 | (2) | 2 | 2:06.7 |
4月3日 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 高橋三郎 | 55 | (3) | 1 | 2:05.2 |
7月10日 | 川崎 | 報知オールスターC | 1600 | 高橋三郎 | 57 | (2) | 1 | 1:41.0 |
9月15日 | 中山 | オールカマー | 2200 | 高橋三郎 | 56 | (9) | 12 | 2:16.1 |
副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。