TCKコラム

TCK Column vol.42

偉業 ジョージモナーク(全5話)

1分46秒2 編

右回りの美酒から、左回りの辛酸をなめる。
天と地がひっくり返るかのような結果。
左回りだと芦毛の英雄らしさが消えてしまう。
なぜだ……。
夏場にこのレースを開催してくれていたのなら……。
それでも鞍上の才能が、左回りでも好位へと導く。
賞賛される騎乗がそこにある。
そして盛夏が訪れる季節に、芦毛の英雄は新潟にその姿を現す。
1,800mの決戦。
その結果とは?
生み出された記録とは?

盛夏の新潟

続く富士ステークスは2ヵ月後の11月10日。前年同様にこのレースを使ってジャパンカップへと向かうのだ。それまでに早田は、前年の富士ステークスのレースビデオを何度か見て研究をしていた。
「左回りがあまりうまくないから、ビデオを何回か見て確認していた」
 前年の富士ステークスでジョージモナークは初めての左回りを経験する。そして同じく府中でのジャパンカップでもジョージモナークのらしくない走りで終始してしまう。左回りの不得意は古傷が原因だと指摘する声もあるが、はっきりとした理由はわからない。それでも時間がたてばスタートはやってくる。
 富士ステークスの1番人気はメジロアルダン、2番人気はジョージモナーク、3番人気にスタビライザーと続く。

 レースでは、2コーナーで8頭中7番手に位置し、3コーナーで6番手、4コーナーを5番手で通過。いずれも後ろにメジロアルダン、前にスタビライザーに挟まられ、後方からの競馬をした。
結果は1番人気メジロアルダンには先着したものの、前は捕らえきれずスタビライザーの3着であった。しかし、左回りの競馬では、あとにも先にもこれが最高順位であった。早田がよく研究して乗った証でもある。中央の関係者からも早田の騎乗に賛辞を送る者もいた。

2週間後の第11回ジャパンカップ。
1番人気は武豊騎手騎乗のメジロマックイーン、2番人気がフランスから遠征してきたマジックナイト、3番人気がL・デットーリ騎乗のイギリスのドラムタップスと続き、ジョージモナークは15頭中14番人気であった。
 レースでは、富士ステークスと一転して、ジョージモナークが先頭で各コーナーを通過する展開となった。
「一番外枠だったから行ってみようと決めていた。馬の調子もあまりよくなかった。体調が落ちる冬場ということもあるしね。前走の富士ステークスが正直一杯一杯だったと思う。夏場にジャパンカップを開催してくれればね……」
 直線でついていけず最後尾まで後退してそのままゴール。優勝は7番人気のゴールデンフェザントであった。

 年内はこのジャパンカップが最後のレースとなった。
次戦は年明け早々、大井で開催する東京シティ盃。昨秋の活躍からかジョージモナークは1番人気に推されるものの7着に終わってしまった。このあと川崎記念、金盃、帝王賞、そして6月の大井記念と続くが5着、9着、14着、7着と上位に名を残すことはなかった。
だが、翌月の夏真っ盛りの新潟にジョージモナークは姿を現した。7月26日、地方競馬招待のBSN杯に出走したのである。
得意の右回り、距離も1,800mと申し分ない。1番人気は岡部幸雄騎手騎乗のアルプスアモン、2番人気がセンゴクヒスイ、そして3番人気にジョージモナーク。招待馬のなかでは一番高い人気となった。昨年の暮れから結果は出してはいないが、体調が良い夏、芝、右回りという要素がファンの支持を得たのだろうか。
「7月だけに体調は上向きだった」と早田もジョージモナークの体調がよくなっていることを分かっていた。

 レースでは、フェザーマイハットと地元新潟のバンダムプリンセスが先行をし、その後ろをジョージモナークが追う展開が2コーナーまで続く。3コーナーで2番手に浮上し、直線で先頭のフェザーマイハットを捕らえに行くものの、半馬身届かず2着であった。
優勝したフェザーマイハットはこれまでのコースレコードよりコンマ2秒速い1分46秒1、ジョージモナークも1分46秒2でコースレコードをコンマ1秒更新したのだった。昨年のオールカマーに続いて公営の馬がコースレコードを叩きだしたのは快挙である。
「この新潟の1,800mでは、半馬身差で負けているもののコースレコードで走っている。だから、ジャパンカップもこの時期に、しかも中山でやっていたのなら……と思っている」
(決して力負けではない編へ続く)