TCKコラム

TCK Column vol.20

あるすい星の死 ツキノイチバン(全3話)

完結編

勢いの止まらないツキノイチバン。連勝記録を2ケタに突入させる。
一方で、走る期間より休養の期間がいつの間にか長くなっていく。
レースでは、実況アナウンサーが「不敗神話」と叫び、ファンに異次元の走りを見せつける。
ツキノイチバンが走ればなにもかもが、ツキノイチバンとそれ以外に分類される。
新星が最も輝いたときでもあった。その輝きはだれもが永遠に続くかと思われた。しかし……。
連勝新記録に挑んだ平成6年10月27日、運命の足音が訪れる。

遅れてきた6歳の春

ツキノイチバンの勢いは5歳になっても止まることを知らなかった。B1に昇級した1月のベイサイドカップを楽勝して9連勝。
その勢いは、このレース後、初めて一杯の追い切りをして、とてつもないタイム出していたことからも分かる。
「75‐61‐49.5‐37。1,600mは中央で80秒台なのに、75秒という時計を出した。ただ“速い”というだけ」。
とツキノイチバンの形容しがたい速さを福永二三雄調教師は語る。
そして、初の重賞、金盃に挑戦するときがきた。連勝記録2ケタ突入をかける戦いでもある。
相手は、南関東2冠馬ブルーファミリー、東京ダービー馬プレザントなどクラシックのそうそうたるエリートたちが顔をそろえる。
遅れてきた最強馬、6歳の春であった。
これら強豪を差し置いて、単勝1番人気に支持される。ファンが望むのは、目の前で掛け値なしの最強馬が勝つことだけである。だれもがそれを望んで疑わないのだ。
レースでは、直線で競り合うも持ったままで、ゴール100m前で先頭に出て、ブルーファミリーを4分の3馬身交わし、2分4秒9で優勝。
当時の馬場で、2,000mを2分4秒台で走ったのはツキノイチバンだけであった。
重賞初制覇、10連勝。場内は沸きに沸いたのである。だが、陣営は無事に帰ってきたツキノイチバンを目の前にして、安堵するばかりであった。
また、このレース後、6ヵ月の休養に入っている。いつのころからか、レースで使う期間よりも、休養の期間のほうが長くなってきていた。

11連勝とある覚悟

休み明け初戦は、レース体系改編に伴って新設された重賞、アフター5スター賞であった。前走金盃から6ヵ月のブランクがあるにもかかわらず、ファンは単勝1.6倍の1番人気に支持したのである。
ファンのだれもが、ツキノイチバンの南関東タイ記録となる無傷の11連勝を望んでいたのだ。
レースでは、最終4コーナーで、2番手までに上がり、直線では馬なりのまま抜け出す。実況アナウンサーが、
「さあ、不敗神話が生きている! 先頭はツキノイチバン! ツキノイチバン!」
と絶叫し、何度もツキノイチバンの名前を連呼する。
グローリータイガー以下に3馬身差の圧勝。次元の違う走りをファンにこれでもかと見せつけると同時に、ファンの望みでもある11連勝を樹立したのだ。そして、初代アフター5スター賞チャンピオンになり、TCKの新星が最も輝いたときでもあった。
ミルジョージのスピードと根性を受け継ぎ、いつも一生懸命に走るその姿に、感動すら覚えるものだ。だが、このあとに起こるであろう最悪の運命の足音はだれにも気づかれることもなく、徐々に近づいてきていたのだ……。
そして、
「南関東タイ記録11連勝!」
「新記録12連勝はいつだ!」
「今度は中央挑戦へ!」

11連勝の余韻さめやまぬファンとマスコミは、ツキノイチバンの速さと強さに加熱するばかりであった。

しかし、その陰で陣営もツキノイチバンも、ファンが知ることのないもうひとつの戦いを強いられていたのだ。そう、左前脚の懸命な治療の日々である。
痛みで左前脚を地面に着けられない。その痛みに耐えかねて、身体を震わせるツキノイチバンに、厩務員はただひたすら患部を冷却して、熱を取ってやるだけであった。
完治する見込みのない脚部不安との終わりなき戦い。
厩務員が、熱が引くまでツキノイチバンに付きっきりで看病をする姿が痛々しかった。
「ツキノイチバンがレース中に故障するとすれば、中途半端な故障ではすまないと思っていた。使うたびに覚悟はしていました」。
と福永の気持ちは当事者でしか理解できない複雑なものであった。

奪われた輝き

2ヵ月の休養をはさんだ平成6年10月27日、運命の足音がそこにやってきた。
今年度のトゥインクル最終を飾る第5回グランドチャンピオン2000。TCK連勝記録を重賞制覇で飾る。しかも、ツキノイチバンは、デビューから連続して単勝1番人気に推されたのだ。これ以上にない舞台が整ったのである。
秋の訪れを感じる夜空の下、集まった多くのファンは、その目撃者になるべくいまかと待ち構えていた。
陣営はこのレースが無事に終えれば、できれば次は東京大賞典を走らせたいと考えていた。
だが、しかし……運命のゲートが開く。

向正面で中盤の外から上がっていくツキノイチバン。3コーナーではそのまま外から3番手までに追い、4コーナーにさしかかる。
その瞬間……実況アナウンサーが悲鳴ともとれる声で叫ぶ。
「どうしたんでしょか! ツキノイチバン! ツキノイチバン! どうしたか?ツキノイチバン後退した!」

場内を一瞬静寂にした後、落胆のどよめきが場内から襲い掛かる。

故障発生。
ツキノイチバンの姿を見て、だれもがその事故の大きさを直感する。

左前脚骨折。
4コーナー手前で骨折したにもかかわらず、直線にさしかかってもなお走り続けようとするツキノイチバン。その苦しさに耐え切れず首を不自然に何度も何度も左右へ後ろにそり返すのが最期の姿であった。

再起不能の診断、予後不良となった。

このときツキノイチバンと苦楽をともに3年間過ごした厩務員が、人目もはばからず泣き崩れている。その傍らに福永調教師が唇をかみ締めて立っていた。

つらい運命を背負い、それでもひたむきに走る。競走馬たれと。
こんな考えは人間のエゴなのだろうか。だが、ツキノイチバンがレース中に気を抜くことなどは一度たりともなかった。常に、己の持てるパワーを最大限に引き出さんばかりに疾駆する。残ったものはその強烈な姿だけだったのか。

突如、その輝きを奪われたツキノイチバンが見たものは何だったのか。
最期まで見せることのなかった己のパワーの先にあったものは何だったのだろうか。

ツキノイチバン 血統表

牡 黒鹿毛 1989年3月8日生まれ 北海道門別町・中館牧場生産
ミルジョージ(輸入) Mill Reef
Miss Charisma
エンゼルスキー マルゼンスキー
ミスカイリュウ

ツキノイチバン 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 人気 着順 タイム
H4.7.5 大井 3歳 1,400 小安和也 54 (1) 1 1.28.2
9.15 大井 3歳 1,600 小安和也 54 (1) 1 1.46.3
10.15 大井 3歳 1,500 小安和也 54 (1) 1 1.38.1
11.8 大井 C1 1,400 小安和也 55 (1) 1 1.29.7
H5.7.15 大井 C1 1,400 小安和也 55 (1) 1 1.28.1
7.29 大井 みずがめ座特別 1,700 小安和也 55 (1) 1 1.48.7
8.3 大井 ロマンチックナイト賞 1,700 小安和也 55 (1) 1 1.46.9
12.25 大井 クリスマス賞 1,800 小安和也 55 (1) 1 1.56.2
H6.1.18 大井 ベイサイドカップ 1,800 佐々木竹見 54 (1) 1 1.52.9
2.28 大井 金盃 2,000 佐々木竹見 51 (1) 1 2.04.9
8.3 大井 アフター5スター賞 1,800 佐々木竹見 55 (1) 1 1.52.8
10.27 大井 グランドチャンピオン2000 2,000 佐々木竹見 57 (1) 中止

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。