TCKコラム

TCK Column vol.52

走り続けた理由:チャンピオンスター(全5話)

人馬一体の再起編

待ち望まれた高橋三郎が帰ってきた。
このコンビで初の重賞勝利となった金盃。
しかし……。
高橋三郎が聞いた鈍い音は、自身の足が折れる音。
その音は、奈落の底へ突き落とす使者が訪れた音でもあった。
病床の男の目に見えるのは、人の手によってダート王となった愛馬。
やっとの思いで復帰するものの、待ち受けるは愛馬を襲う病。
追い打ちをかけるように、奈落の使者が訪れる。
先が見えない真っ暗な底へ、今度は愛馬が突き落とされる。

1年10ヵ月の長期休養

喜びもつかの間、高橋三郎は金盃のレース後、調教中に、別の馬で転倒して、右大たい骨(太もも)を骨折してしまう。昭和60年に瀕死の重傷を負った右足を再び骨折させたのだ。
「当時はあまり人には言わなかったが、この右足はヒザの曲がりも悪いのと足首が思うように動かない。アブミにただ足を引っ掛けている状態だった。だから馬が転倒した際、うまく落馬できずに右足にまともに馬がのしかってきてしまった。『バキッ』と自分の大たい骨が折れる音を聞いたよ」。
 病院での大手術の際、右足を太ももからヒザまでざっくり切り裂き、プレートといくつもののボルトを埋めることになった。

この事故によって、次戦を予定していた帝王賞では、桑島孝春騎手に乗り替わることになった。
「金盃を勝ち、もちろん帝王賞にも自信はあった」。
それだけに高橋三郎の胸中は察して余りある。
「病床で帝王賞をテレビで見て、悔しいという思いはあるが、それは仕方のないこと。よく勝ってくれたという気持ちのほうが大きかった」。

チャンピオンスターは、次戦の大井記念を勝ち、重賞3連勝を成し遂げた。これで金盃を含め春の古馬路線を総ナメにする。まさしく大井競馬だけでなく、地方競馬を代表するスターホースにのし上がった瞬間でもあった。
次戦は初の遠征となる川崎、オールスターカップ。ここでは惜しくもハナ差の2着となってしまった。続くは新潟でのオールカマーと、中央競馬への遠征となった。結果は15頭立ての15着に沈んでしまった。調教ではレコードに匹敵するタイムを出していたが、難しい気性が災いしてレース前半に飛ばすだけ飛ばして、力尽きてしまった。
この直後から、チャンピオンスターは屈腱炎を患ってしまう。

そして、あの調教中の事故から7ヵ月後、高橋三郎は復帰してくる。まだ、右足にはプレートとボルトが埋まっている。
11月2日、東京記念から騎乗することになった。しかし、1番人気に推されるものの7着に沈んでしまう。
「すでにこのころ屈腱炎がひどかった。たぶん競走馬に戻れるとはだれも思っていなかった状態。いまだったら、即引退しなければならないほど重症だった。それでも南関東の権利取りのために使わなければいけなかった」。
 南関東のいくつかの重賞には、出走規程があり、ある一定の期間に南関東で出走した馬だけが、出場できるというものである。しかしながら、結果的に東京記念を最後に、1年10ヵ月にもおよぶ長期休養をよぎなくされ、権利取りには関係なくなってしまった。

高橋三郎がチャンピオンスターの鞍上に復帰するのは、この東京記念からであるが、以前から調教だけは乗っていたのである。オーナーサイドからも強くレースでの鞍上復帰を促されたが、高橋三郎は断っている。
「足にボルトやらプレートが埋まっていて、満足に動かせる状態ではなかった。しかもリハビリ中だったから」。
 東京記念の前のオールカマーにも、高橋三郎は同行している。新潟への遠征は10日間。その間中、高橋三郎は新潟の月岡温泉に宿泊していた。リハビリの一環だったのだ。新潟での調教は高橋三郎が担当した。夜は温泉でのリハビリ、朝になれば競馬場へ行き調教をする。その繰り返しだった。

1年10ヵ月もの長期休養の間、チャンピオンスターは飯野貞次厩舎へ転厩し再起をはかることになった。
オーナーも「非凡なパワーを持つ馬をよそに渡すわけにはいかなかった」と復活を心から願っていた。

チャンピオンスター 血統表

牡 栗毛 1984年5月9日生まれ 北海道浦河産・山春牧場
スイフトスワロー(USA)Northern Dancer(CAN)
Homeward Bound(GB)
スイフトロードロードリージ(USA)
ヒデユキ

チャンピオンスター 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 人気 着順 タイム
昭和61年
12月9日
大井 2歳新馬 1000 西川栄二 53 (2) 1 1:02.9
昭和62年
1年2日
大井 3歳 1400 西川栄二 54 (1) 1 1:30.4
1月28日 大井 葉牡丹特別 1600 西川栄二 54 (2) 1 1:44.8
2月13日 大井 水仙特別 1600 西川栄二 55 (1) 3 1:45.9
4月9日 大井 黒潮盃 1800 早田秀治 56 (4) 1 1:58.3
6月3日 大井 東京ダービー 2400 早田秀治 57 (3) 4 2:39.0
7月26日 大井 サマーC 1700 早田秀治 52 (2) 7 1:49.2
11月11日 大井 東京王冠賞 2600 早田秀治 57 (6) 2 2:52.9
12月23日 大井 東京大賞典 3000 高橋三郎 54 (4) 4 3:16.7
昭和63年
2年4日
大井 ウインターC 1800 高橋三郎 56.5 (1) 1 1:55.2
3月3日 大井 金盃 2000 高橋三郎 51 (1) 1 2:05.8
4月13日 大井 帝王賞 2000 桑島孝春 56 (3) 1 2:07.0
6月21日 大井 大井記念 2500 桑島孝春 57 (1) 1 2:42.8
7月27日 川崎 報知オールスターC 1600 桑島孝春 57 (1) 2 1:41.5
9月18日 新潟 オールカマー 2200 桑島孝春 57 (4) 15 2:14.6
11月2日 大井 東京記念 2400 高橋三郎 57.5 (1) 7 2:36.9
1年10ヵ月休養
平成2年
9年5日
大井 かちどき賞 1800 高橋三郎 55 (6) 4 1:56.5
10月24日 大井 グランド
チャンピオン2000
2000 高橋三郎 56 (2) 7 2:10.5
11月20日 大井 東京記念 2400 高橋三郎 55 (1) 1 2:34.3
12月13日 大井 東京大賞典 2800 高橋三郎 55 (3) 11 3:08.7
平成3年
2年26日
大井 金盃 2000 高橋三郎 57.5 (2) 2 2:06.7
4月3日 大井 帝王賞 2000 高橋三郎 55 (3) 1 2:05.2
7月10日 川崎 報知オールスターC 1600 高橋三郎 57 (2) 1 1:41.0
9月15日 中山 オールカマー 2200 高橋三郎 56 (9) 12 2:16.1

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。