走り続けた理由:チャンピオンスター(全5話)
人馬一体の再起編
待ち望まれた高橋三郎が帰ってきた。
このコンビで初の重賞勝利となった金盃。
しかし……。
高橋三郎が聞いた鈍い音は、自身の足が折れる音。
その音は、奈落の底へ突き落とす使者が訪れた音でもあった。
病床の男の目に見えるのは、人の手によってダート王となった愛馬。
やっとの思いで復帰するものの、待ち受けるは愛馬を襲う病。
追い打ちをかけるように、奈落の使者が訪れる。
先が見えない真っ暗な底へ、今度は愛馬が突き落とされる。
1年10ヵ月の長期休養
喜びもつかの間、高橋三郎は金盃のレース後、調教中に、別の馬で転倒して、右大たい骨(太もも)を骨折してしまう。昭和60年に瀕死の重傷を負った右足を再び骨折させたのだ。
「当時はあまり人には言わなかったが、この右足はヒザの曲がりも悪いのと足首が思うように動かない。アブミにただ足を引っ掛けている状態だった。だから馬が転倒した際、うまく落馬できずに右足にまともに馬がのしかってきてしまった。『バキッ』と自分の大たい骨が折れる音を聞いたよ」。
病院での大手術の際、右足を太ももからヒザまでざっくり切り裂き、プレートといくつもののボルトを埋めることになった。
この事故によって、次戦を予定していた帝王賞では、桑島孝春騎手に乗り替わることになった。
「金盃を勝ち、もちろん帝王賞にも自信はあった」。
それだけに高橋三郎の胸中は察して余りある。
「病床で帝王賞をテレビで見て、悔しいという思いはあるが、それは仕方のないこと。よく勝ってくれたという気持ちのほうが大きかった」。
チャンピオンスターは、次戦の大井記念を勝ち、重賞3連勝を成し遂げた。これで金盃を含め春の古馬路線を総ナメにする。まさしく大井競馬だけでなく、地方競馬を代表するスターホースにのし上がった瞬間でもあった。
次戦は初の遠征となる川崎、オールスターカップ。ここでは惜しくもハナ差の2着となってしまった。続くは新潟でのオールカマーと、中央競馬への遠征となった。結果は15頭立ての15着に沈んでしまった。調教ではレコードに匹敵するタイムを出していたが、難しい気性が災いしてレース前半に飛ばすだけ飛ばして、力尽きてしまった。
この直後から、チャンピオンスターは屈腱炎を患ってしまう。
そして、あの調教中の事故から7ヵ月後、高橋三郎は復帰してくる。まだ、右足にはプレートとボルトが埋まっている。
11月2日、東京記念から騎乗することになった。しかし、1番人気に推されるものの7着に沈んでしまう。
「すでにこのころ屈腱炎がひどかった。たぶん競走馬に戻れるとはだれも思っていなかった状態。いまだったら、即引退しなければならないほど重症だった。それでも南関東の権利取りのために使わなければいけなかった」。
南関東のいくつかの重賞には、出走規程があり、ある一定の期間に南関東で出走した馬だけが、出場できるというものである。しかしながら、結果的に東京記念を最後に、1年10ヵ月にもおよぶ長期休養をよぎなくされ、権利取りには関係なくなってしまった。
高橋三郎がチャンピオンスターの鞍上に復帰するのは、この東京記念からであるが、以前から調教だけは乗っていたのである。オーナーサイドからも強くレースでの鞍上復帰を促されたが、高橋三郎は断っている。
「足にボルトやらプレートが埋まっていて、満足に動かせる状態ではなかった。しかもリハビリ中だったから」。
東京記念の前のオールカマーにも、高橋三郎は同行している。新潟への遠征は10日間。その間中、高橋三郎は新潟の月岡温泉に宿泊していた。リハビリの一環だったのだ。新潟での調教は高橋三郎が担当した。夜は温泉でのリハビリ、朝になれば競馬場へ行き調教をする。その繰り返しだった。
1年10ヵ月もの長期休養の間、チャンピオンスターは飯野貞次厩舎へ転厩し再起をはかることになった。
オーナーも「非凡なパワーを持つ馬をよそに渡すわけにはいかなかった」と復活を心から願っていた。
チャンピオンスター 血統表
牡 栗毛 1984年5月9日生まれ 北海道浦河産・山春牧場 | |
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スイフトスワロー(USA) | Northern Dancer(CAN) |
Homeward Bound(GB) | |
スイフトロード | ロードリージ(USA) |
ヒデユキ |
チャンピオンスター 競走成績
年月日 | 競馬場 | レース名 | 距離(m) | 騎手 | 重量(kg) | 人気 | 着順 | タイム |
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昭和61年 12月9日 |
大井 | 2歳新馬 | 1000 | 西川栄二 | 53 | (2) | 1 | 1:02.9 |
昭和62年 1年2日 |
大井 | 3歳 | 1400 | 西川栄二 | 54 | (1) | 1 | 1:30.4 |
1月28日 | 大井 | 葉牡丹特別 | 1600 | 西川栄二 | 54 | (2) | 1 | 1:44.8 |
2月13日 | 大井 | 水仙特別 | 1600 | 西川栄二 | 55 | (1) | 3 | 1:45.9 |
4月9日 | 大井 | 黒潮盃 | 1800 | 早田秀治 | 56 | (4) | 1 | 1:58.3 |
6月3日 | 大井 | 東京ダービー | 2400 | 早田秀治 | 57 | (3) | 4 | 2:39.0 |
7月26日 | 大井 | サマーC | 1700 | 早田秀治 | 52 | (2) | 7 | 1:49.2 |
11月11日 | 大井 | 東京王冠賞 | 2600 | 早田秀治 | 57 | (6) | 2 | 2:52.9 |
12月23日 | 大井 | 東京大賞典 | 3000 | 高橋三郎 | 54 | (4) | 4 | 3:16.7 |
昭和63年 2年4日 |
大井 | ウインターC | 1800 | 高橋三郎 | 56.5 | (1) | 1 | 1:55.2 |
3月3日 | 大井 | 金盃 | 2000 | 高橋三郎 | 51 | (1) | 1 | 2:05.8 |
4月13日 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 桑島孝春 | 56 | (3) | 1 | 2:07.0 |
6月21日 | 大井 | 大井記念 | 2500 | 桑島孝春 | 57 | (1) | 1 | 2:42.8 |
7月27日 | 川崎 | 報知オールスターC | 1600 | 桑島孝春 | 57 | (1) | 2 | 1:41.5 |
9月18日 | 新潟 | オールカマー | 2200 | 桑島孝春 | 57 | (4) | 15 | 2:14.6 |
11月2日 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 高橋三郎 | 57.5 | (1) | 7 | 2:36.9 |
1年10ヵ月休養 | ||||||||
平成2年 9年5日 |
大井 | かちどき賞 | 1800 | 高橋三郎 | 55 | (6) | 4 | 1:56.5 |
10月24日 | 大井 | グランド チャンピオン2000 |
2000 | 高橋三郎 | 56 | (2) | 7 | 2:10.5 |
11月20日 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 高橋三郎 | 55 | (1) | 1 | 2:34.3 |
12月13日 | 大井 | 東京大賞典 | 2800 | 高橋三郎 | 55 | (3) | 11 | 3:08.7 |
平成3年 2年26日 |
大井 | 金盃 | 2000 | 高橋三郎 | 57.5 | (2) | 2 | 2:06.7 |
4月3日 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 高橋三郎 | 55 | (3) | 1 | 2:05.2 |
7月10日 | 川崎 | 報知オールスターC | 1600 | 高橋三郎 | 57 | (2) | 1 | 1:41.0 |
9月15日 | 中山 | オールカマー | 2200 | 高橋三郎 | 56 | (9) | 12 | 2:16.1 |
副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。