TCKコラム

TCK Column vol.30

孤独のダートにゆらめく光と影 サンライフテイオー(全5話)

試練の東京盃編

ジョッキーの闘志、
疾駆する競走馬が巻き上げる砂塵、
ダート上で繰り広げられるレースに一喜一憂する観客。
その舞台裏では、多くの関係者が1頭の競走馬に期待をし、
馬が成長するために血眼になり、表舞台からはうかがい知りえない喜怒哀楽がある。
厩務員が負傷した。クラシックが戦えないという恐怖。
厩務員の仕事までも引き受け調教に没頭する男。
睡眠時間がなくなることなど関係ない。
だが、その結果は。
起死回生を図るために、目を向けた新たな目標とは。
そしてその試練とは……。

負傷と無冠と夏負け

 平成8年、TCKは3歳3冠をアメリカ型に一新する。春に3冠すべてのレースを集めたのであった。2連勝した勢いで臨むクラシック。
 5月14日、いよいよクラシック1冠目の羽田盃。
 ゲート出がよくなかったサンライフテイオーが、このときばかりは勢いよくゲートを飛び出して、好位置をキープすることができた。いつものパターンで、直線で抜け出し、先頭を行く圧倒的1番人気のナイキジャガーに迫るものの、捕らえることなく2着に終わる。
 このレースぶりなら、次は勝てるとひそかに高橋三郎は思うのである。
ゲート出が今回はよかったサンライフテイオーだが、そのゲートで思わぬ事故が起こった。ゲート内で急にクビを振り上げ、須田厩務員の親指を脱臼させたのだ。
須田厩務員が負傷したとなれば、高橋三郎ひとりで今後、調教して仕上げていくのは不可能だ。
「須田厩務員の負傷によって、東京王冠賞、東京ダービーに使えなくなるのではと思った」
信頼関係にあった須田厩務員がいなくなればどうなるか。一目瞭然だった。
「とにかく須田厩務員の指が完治するまで、自分にできることはすべてしようと、鞍置きなど負傷に関係なくできる仕度だけを須田厩務員に任せ、追い切り前のウォーミングアップや追い切り後のクールダウンなどすべて自分でやった」
須田厩務員も負傷した指をかばいはするものの、世話を怠ることはなかった。

 1ヵ月後の6月6日、東京王冠賞。3歳時はここまで5戦2勝。羽田盃2着の手ごたえから期待をかけて送り出す。
 レースでは、直線で先頭のサンライフテイオーに、アイアイシリウスが並び、続いてキクノウインが並び、3頭が横一線になったまま、壮絶な叩き合いがゴールまで展開される。満員となったTCKのスタンドは、その迫力に興奮の渦となり、地響きのような歓声が最高潮に達していた。
 アナウンサーが、「3頭横一線! 3頭横一線! 東京王冠賞はだれの手に!」と絶叫する。
 三つ巴で飛び込んだゴールは、キクノウインがクビ差で勝利した。サンライフテイオーは、2着のアイアイシリウスに同じくクビ差で破れ3着であった。
「3コーナーからアイアイシリウスがマクリ気味に上がってこなかったら、勝っていたかもしれない」
先頭を走っていたサンライフテイオーに、2コーナーでは9着だったアイアイシリウスがものすごい勢いで、3コーナーで並びかけ、そのまま4コーナーとなだれ込む。そこで脚を使ってしまい、直線でキクノウイン、アイアイシリウスに交わされてしまったのだ。

 7月4日、東京ダービーでは、夏負けの体調で出走。その走りは、見た目にも重く、今度こその思いはむなしく4着に沈んでしまった。
「2歳の秋口から3歳のクラシックまで、休まず使い詰めできている。だから東京ダービー後、休ませることにした。今思えばクラシック3冠のどれかを抜けばよかったのかもしれない。当時、3冠のレース間隔が短かったしね。あるいは、新馬戦からクラシックまでのどこかをあければよかったのだろう」

鳴き止むことのないゴール

大きな期待とは裏腹に無冠に終わったクラシック。起死回生を目指して目標にしたのが、大井で初開催されるスーパーダートダービーに絞り込まれる。
スーパーダートダービーはこの年、創設された全国統一グレード3冠のひとつであり、同時に創設されたダートグレードレースGⅡ、南関東G1である。
当時のダート3冠とは、JRA中山競馬場で開催されるユニコーンステークス、そしてスーパーダートダービー、最後に秋の盛岡で開催されるダービーグランプリのことである。

 スーパーダートダービーを勝つために、高橋三郎はサンライフテイオーにある試練を与えた。
 スーパーダートダービー開催の1ヵ月前の9月26日、前哨戦となる東京盃。
「常にサンライフテイオーは、周りの馬が蹴り飛ばす砂を被ったことがなかった。新場戦から一貫して、先行して自分でレースを作っていく馬だった。それに東京ダービーから復帰したアフター5スター賞まで、少し間隔があいていた。ゆえに今回は1,200mだし、このときに思い切って砂を被せた競馬をしなければ、将来サンライフテイオーは、絶対大きなレースを戦うことはできないだろうし、勝ちもしないだろうし、自分だけのペースでレースを作れなくなるときが必ず来るだろう、だからあのようなレースをした」
 これまでの先行するレースから一転、サンライフテイオーを後方で走らせ、砂を被せたのである。
「初めてサンライフテイオーがレースで鳴いた。他馬の蹴る砂を被ったことがなかっただけに苦しかったのだろう。さらに、ただの砂ではない。オープン級の蹴り飛ばす砂は相当に痛いはず。だから、彼はこんなに苦しい思いはしたことがないと鳴いたんだと思う」
ゴールを入る少し手前から、「ヒィー、ヒィー」と鳴き、その鳴き声はゴール後も鳴き止むことはなかった。
ゴール後、須田厩務員に高橋三郎はこう言った。
「これで、この仔は大きくなる。今まで南関東馬同士で走っているときは、相手に砂を被せることはできたけれども、これからはJRA馬と走れば、自分だけが砂をかぶらないでいいというわけにはいかなくなる。強い馬の砂をかぶることで、必ず成長する」
つまり高橋三郎はスーパーダートダービーを見越しての、レースをしたのである。
JRA馬の強豪と戦うには、こういった経験は必要不可欠なのだ。大博打でもあるが、これで必ず馬が変わると確信する。

以後、調教で好時計を連発するようになる。東京盃で砂を被ったことが、確実に結果となって表れてきたのだ。それにこれまでの調教とは打って変わって、午後乗りするようにしたのだ。
「午後乗り(昼からの調教)で、3頭の合わせ馬をしていたとき、ものすごくいいタイムが出た。まるっきり馬も変わって、自分から素直に走れるようになった」
午後乗りのメリットを上げるのならば、朝の調教で馬体が絞れなかった馬が、絞れるようになることだ。
「暗く、寒い朝のうちに調教をして、しっかりと汗をかかずに、まだ日が昇らないうちに馬房に入れても馬体が絞れない。そんなときは無理をして朝調教をするのではなく、陽が昇って気温が高くなってから調教をすることで、無理なダイエットをさせなくとも汗をかかせることができ、自然に馬体を絞ることができる」
無理な汗取り(ダイエット)は、馬体にも負担がかかり、疲れさせてしまうということだ。
(歓喜の勝利編へ続く)

サンライフテイオー 血統表

牡 鹿毛 1993年3月20日生まれ 北海道新冠・武田牧場生産
ホスピタリティ テュデナム
トウコウポポ
ティーヴィミニカム Dickens Hill
Camera

サンライフテイオー 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 人気 着順 タイム
H7.9.12 大井 能力試験 800 高橋三郎       52.5
9.24 大井 2歳新馬 1000 高橋三郎 53 (1) 2 1:02.1
10.16 大井 2歳 1200 高橋三郎 53 (1) 1 1:15.4
11.18 大井 ゴールドジュニアー 1400 高橋三郎 53 (5) 2 1:27.8
11.30 大井 青雲賞 1600 高橋三郎 54 (3) 3 1:43.7
12.20 大井 胡蝶蘭特別 1600 高橋三郎 55 (1) 2 1:44.8
H8.1.17 大井 ゴールデンステッキ賞 1700 高橋三郎 55 (2) 2 1:50.8
2.19 大井 京浜盃 1700 高橋三郎 55 (11) 10 1:47.2
3.5 大井 若駒特別 1600 高橋三郎 56 (1) 1 1:43.6
3.26 大井 雲取賞 1700 高橋三郎 54 (1) 1 1:47.8
5.14 大井 羽田盃 1800 高橋三郎 56 (3) 2 1:54.4
6.6 大井 東京王冠賞 2000 高橋三郎 56 (2) 3 2:07.1
7.4 大井 東京ダービー 2400 高橋三郎 56 (3) 4 2:37.8
8.26 大井 アフター5スター賞 1800 高橋三郎 55 (3) 6 1:53.8
9.26 大井 東京盃 1200 高橋三郎 52 (8) 12 1:14.1
11.1 大井 スーパーダートダービー 2000 高橋三郎 57 (9) 1 2:05.8
11.23 盛岡 ダービーグランプリ 2000 高橋三郎 56 (5) 8 2:09.6
H9.6.26 船橋 京成盃グランドマイラーズ 1600 佐々木竹見 57 (2) 3 1:41.2
7.28 大井 サンタアニタトロフィー 1600 佐々木竹見 55 (2) 4 1:41.1
8.28 大井 アフター5スター賞 1800 佐々木竹見 55 (4) 8 1:54.7
10.2 大井 東京盃 1200 早田秀治 55 (9) 13 1:15.2

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。