TCKコラム

TCK Column vol.21

疾駆する血の超越 トチノミネフジ(全3話)

3冠編

アラブ競馬の幕が閉じようとした時、信じられないような大物が出現する。
アラブ史上最強馬の称号だけでなく、サラブレッドの一線級を負かし、南関東最強馬にもなり、中央の芝へも挑戦する。
その勇姿、アラブとは思えないパワー、530kg台の雄大な栗毛の馬格……ファンはこの馬を支持し続けた。
引退となる平成6年の全日本アラブ大賞典では歴史的名勝負を西の怪物と演じている。
種牡馬としての大成を期待されながら、悲劇は突然やってくる。

〈※注釈〉
日本における競走馬としてのアラブとは、正確には「アングロアラブ」という。
アラブ種にサラブレッドの血を掛け合わせたもので、アラブ血量が25%以上のものを指している。
サラブレッドよりはスピードは劣るものの、丈夫で耐久力があり、戦後の日本競馬の底辺を支えた。
だが、世界的なサラブレッド主流の流れから、平成7年にJRAが、平成8年には南関東が、以降各地区でアラブ競走の廃止、縮小に向かっている。

アラブとは思えぬパワー

アラブ3冠奪取、アラブ日本一決定戦である「全日本アラブ大賞典」を平成5年~6年と2連覇し、アラブ系競走馬としての収得賞金が過去最高の2億6500万円となったのがトチノミネフジだ。競馬のおもしろいところは、アラブの幕が閉じようとした最後の最後で、史上最強馬が誕生するというドラマに尽きる。

トチノミネフジは平成4年に宇都宮でデビューを果たした。当時は、北関東のアラブ2歳馬の中で3番目の強さくらに見られていた。ところが、8月の新馬戦では、ダイケンルビーを6馬身半ちぎってデビューウインを飾る。続く2戦目の選抜戦も勝つと一気に評価が上がった。
3戦目の黒バラ特別では体調が万全でなかった。1番人気に推されるも、中位を守ったままでのレースに終始し4着となる。しかし、トチノミネフジが持つ非凡なる強さはだれの目にも明らかであった。

この強さなら南関東でも通用する。そう確信した馬主は、旧知の仲であるTCKの高岩隆調教師へ移籍を打診した。
高岩は、オサイチテユーダ(東京盃)、カツラギセンプー(アラブ2冠、全日本アラブ大賞典2連覇)、ダイコウカルダン(東京大賞典、川崎記念)、ヒカリルーファス(羽田盃、かしわ記念)など数々の名馬を送り出した名門厩舎である。
移籍を快諾した高岩が初めてトチノミネフジに触れた印象は、「大きな馬体からうかがえるパワーは容易に想像ができる。だが、左ヒザが多少コツコツしていた。少し骨膜炎を起こしていたようだ」。
トチノミネフジの鞍上を最後まで任されることになったのは早田秀治騎手である。
早田は、アラブ3冠、クラシック3冠、全日本アラブ大賞典、東京大賞典を制覇しただけでなく、東京ダービーではスズユウ、オリオンザサンクス、ダービーグランプリでスタードール、ジャパンダートダービーでオリオンザサンクスによって、ダービー通算4勝を記録している。TCKでは赤間清松6勝、高橋三郎5勝に次ぐ記録である。さらにJRAのオールカマーで、芝での重賞制覇を挙げており、これは的場文男騎手、石崎隆之騎手でもなし得ない快挙なのだ。
早田もトチノミネフジに対して、高岩と同じ印象を持っていた
「とにかくでっかくて、左前脚がコツコツしていたかな。走っていても、もつかもたないか、と思っていた」。
皮膚が薄く、530kg台の栗毛の馬体はいかにも力馬らしい潜めたるパワーがみなぎっていた。ただ左ヒザの故障もあってか、後にいくつものビッグタイトル、競馬界に旋風を巻き起こすなど陣営には想像もつかなかった。

平成4年12月、転厩初戦の赤間特別では、1,400m大外枠にもかかわらず、スタートから飛ばし、後続を8馬身半差も離し優勝してしまう。次の寒菊特別にも勝ち、2歳時は5戦4勝で締めくくった。
左ヒザに故障を抱えながらも、非凡なるスピードとパワーで勝ち続ける。
だが、レースが終われば左ヒザ患部が熱を持つため、厩務員が一生懸命治療を施している。
トチノミネフジを世話するのは、ハイセイコーをも手がけた大ベテランの厩務員であった。馬の作り方では右に出るものはいなかった。それだけに高岩調教師も絶対的な信頼を寄せていたのである。
レース後は患部を冷やし、毎日必ずレーザー治療を施していた。
その甲斐あってか、ヒザの具合を見ながらレースの予定を立てなければいけないというほど悪くはならなかった。馬も痛がるそぶりを見せなかったのも幸いした。

厩務員がヒザの治療を、一生懸命している姿を見ていた早田騎手は、「走れば走るほど、最初の印象よりも左ヒザはだんだんよくなってきた。追い切りなんかでもすごく動くし、とてもアラブとは思えないような走りだったね。だからこれは3冠いけるなと思った」。
と、厩務員の懸命な立て直しに、たしかな手ごたえを実感する。
また、常に高岩厩舎では、所属馬にムダわら(もち米のわら)で、馬体をさすることで、筋肉をほぐし、血行と毛づやを良くし、疲れも取れる手入れを行っていた。今の厩舎で、わらで馬体をマッサージするのは数少ない。馬体の手入れに手間隙を惜しまない姿勢は、敬服するばかりだ。

また、調教で早田は、常にヒザに負担がかからないようにしていた。
「やらせればいくらでも動こうとするからね。決して一杯に追ったことはなかった。それだけだね」。
高岩もトチノミネフジに対して、特別なメニューを組んでいたことはなかった。一杯に追うことができなかっただけだと言っている。

古馬との戦いと3冠

年明け3歳に特別レースを快勝したのち、椿賞へ挑むことになる。高岩は古馬への挑戦状を叩きつけたのだ。
「周囲からは3歳ながらなぜ古馬と対戦させるのか、と失笑されもした。しかし、私は必ず勝てるという自信があった」。
椿賞の前2戦はともに1番人気。しかし、このレースでは3番人気になる。やはりファンも古馬相手にその実力に疑問を持ったのか。だが、7馬身差での勝利で、その疑念をきれいに払拭してみせる。続く銀盃でも古馬の一線級を相手に優勝してしまう。なお銀盃では断然の1番人気に推されたことを付け加えておく。
「スタートもうまいし、どんなレース展開でも対応できる自在の脚はただ“強い”としか言いようがない。いつも負ける気がしなかった。たとえ相手がどんなに迫ってきても、たとえどんな強い相手でもハナ差でもクビ差でもね。そういう気持ちでいつもレースを見ていた」。
高岩のトチノミネフジに対する確固たる自信がそこにあった。

転厩して5戦連勝して、いよいよアラブ3冠に挑むことになった。
千鳥賞では4馬身差で快勝し1冠奪取に成功する。続くアラブダービーではランドアポロに1/2馬身で勝利し2冠目獲得。
3冠目のアラブ王冠の前に、スターライト賞を使っているが、ここでもアラブダービーと同じく、1/2馬身差まで詰め寄られてしまう。
「そんなに離して勝つ馬ではなかったね。前に出て1頭になるとフッと頭を上げてソラ(気を抜いてしまう)を使うからね。とにかくアラブとは思えないパワーだから、簡単には抜かせないけど、離しまくって勝つというタイプではなかった。馬も賢かったんじゃないかな」。
早田はたとえ後続が迫ってこようとも、トチノミネフジの強さを信頼していたのだ。
「いつでも先に行っていれば抜かせないと思っていたし、並んでも勝てると思っていた」。

アラブ王冠では、左ヒザの調子が少し悪かったために、追い切りが足りないままで出走するも、セイフウザンにハナ差で勝利。この瞬間、見事アラブ3冠に輝いたのである。
3冠に輝いた10年前の平成5年は、今年と同じく長雨に日照時間が短く、米の収穫量が激減した冷夏だった。
トチノミネフジは、暑さに弱い体質と言われていたため、この冷夏が功を奏して3冠が取れたと言われているが、これは真実ではない。
たしかに暑さにそれほど強くはなく、多少夏負け気味だった。だが、呼吸が荒くなるなどひどくはなかったのである。椿賞、銀盃と古馬の一線級相手に連勝し、早田、高岩が実感するとおり、トチノミネフジのパワーは想像以上のものだったのだ。実力で勝ち得た3冠であることは言うまでもない。

トチノミネフジ 血統表

アラブ血量28.47% 牡 栗毛 1990年4月1日生まれ 北海道門三石町・元茂光春生産
シナノリンボー タガミホマレ
グレナヴアカ
カンダサカエ タランドロス(輸入)
ミスボンジユール

トチノミネフジ 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 人気 着順 タイム
H4.8.27 宇都宮 アラ系3歳 新馬 800 佐々木泉 54 (2) 1 50.4
9.20 宇都宮 アラ系3歳 1,400 佐々木泉 54 (3) 1 1:35.0
10.30 宇都宮 黒バラ特別 1,500 佐々木泉 54 (1) 4 1:37.7
12.4 TCK 赤松特別 1,400 早田秀治 53 (3) 1 1:29.4
12.30 TCK 寒菊特別 1,500 早田秀治 55 (1) 1 1:42.0
H5.1.15 TCK 万両特別 1,500 早田秀治 58 (1) 1 1:35.8
2.28 TCK 椿賞 OP 1,800 早田秀治 52 (3) 1 1:55.6
3.30 TCK 銀盃 2,000 早田秀治 55 (1) 1 2:08.5
5.7 TCK 千鳥賞 1,800 早田秀治 56 (1) 1 1:54.9
6.16 TCK アラブダービー 2,000 早田秀治 57 (1) 1 2:07.1
9.12 TCK スターライト賞 OP 1,400 早田秀治 58 (1) 1 1:28.0
10.7 TCK アラブ王冠 2,000 早田秀治 60 (1) 1 2:07.3
12.9 TCK 全日本アラブ大賞典 2,600 早田秀治 54 (1) 1 2:48.8
H6.1.27 船橋 報知グランプリカップ 1,800 高橋三郎 56 (1) 1 1:53.6
3.23 TCK 銀盃 2,000 早田秀治 64 (1) 1 2:07.0
5.16 TCK 隅田川賞 OP 1,800 早田秀治 57 (2) 1 1:50.8
6.26 福島 吾妻小富士オープン OP 1,800 早田秀治 57 (2) 11 1:50.9
7.25 TCK ワード賞 2,000 早田秀治 65 (1) 1 2:07.1
9.27 TCK 東京盃 1,200 早田秀治 59 (1) 2 1:12.3
12.20 TCK 全日本アラブ大賞典 2,600 早田秀治 56 (1) 1 2:47.2

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。