Café Americano

Café Americano vol.08

第8回 史上初外国馬参戦!第60回東京大賞典の裏バナシ

施行当時はステイヤー決定戦・・・?

 2015年、新年明けましておめでとうございます。今年もモリモリ頑張っていきたいと思いますので、宜しくお願い致します。年末年始は大変忙しくしており、本コラムも自然と休載させていただきました。楽しみにして頂いていたTCKファンの皆様に申し訳なく思っております。

 数日経ってようやく当社も、私も年が明けた感じが致します。昨年末に開催された東京大賞典は記念すべき第60回を迎えた還暦レースとなり、皆様もご存知の通りホッコータルマエ号の圧倒的なパフォーマンス&連覇でその幕を下ろしました。馬券が当たった方も、当たらなかった方も、そのレース展開・フィニッシュには満足されたのではないかと思います。

 今でこそ、大賞典はダートの本場・アメリカ競馬のチャンピオンディスタンスである2,000mでの施行となっておりますが、施行開始当時は2,600m、最長の時は3,000mもあったのです。競馬ファン歴20年くらいの方であればビデオで見たことがあるレベルですが、後日天皇賞馬となる大井の英雄・イナリワンが東京大賞典を勝利した時は3,000mでした。名牝・ロジータが勝利した時からしばらくの間2,800mとなり、南関東の哲学者・アブクマポーロが勝利した1998年から、現在の2,000mになりました。

 芝のレースでも2,600~3,000mはかなりしんどい内容になりますが、ダートの同距離は我慢比べのようなもの。人間が歩くと足がズボッとはまるくらい深いダートコースを激走するわけですから、お馬さんたちの疲れ方は半端ではなかったと推察されます。現在は、スピードもスタミナも必要とされる真のダートチャンピオンを決められるベストな距離。私の思い出に残る大賞典は、2000年のファストフレンドです。

第60回東京大賞典の舞台裏

 今回の東京大賞典は、同競走史上初の外国馬参戦がありました。米国はレナード・パウエル厩舎所属のソイフェット君(騙6)です。経歴その他に関しては、既にTCKの方からご周知があったとおりです(https://www.tokyocitykeiba.com/news/18166)。結果はレース中に肺出血を起こしたことで残念な結果に終わりましたが、当社もソイフェット君の輸送~検疫~出走~出国~米国帰国まで、全て携わらせて頂いた思い出深い1頭です。今回はその裏舞台を少しだけご紹介しようと思います。

 12月18日に日本に到着したソイフェット君は、栃木県那須塩原市の地方競馬教養センターへ入厩し、入国検疫に入りました。東京と比べてもだいぶ寒いと聞いていましたので、温かい南カリフォルニアから来た彼が少しかわいそうではありましたが、無事に検疫をクリア。クリスマスイヴに、大井競馬場に入厩してきました。環境へはすぐに慣れ馬場入りもスムーズ(写真1)。身体の大きな厩務員のリアンドロ君は意外と気が小さく、心配そうに初日の調教を見守っていましたが・・・。

 毎日、身体のメンテナンスが終わった後、ソイフェット君はモシャモシャと引き運動用の馬場の周りに生えている青草を食べていました(写真2)。

写真1
写真2

 外国馬は専用厩舎に入らなければならないので、常に1頭だった彼に、他の馬に触れることもできない寂しい思いをさせてしまったのは申し訳なかったですが、我々のそんな気持ちをよそ目に、ゲート試験も軽々クリア(写真3・4)。毎日涼しい顔をして過ごしていました(写真5)。一度スクーリングした成果もあったのか、鈴なりの人があふれたパドックでも堂々と歩いていましたね。私のほうが心配し過ぎだったのでしょうか・・・(笑)こうして無事にレースを迎えたソイフェット君だったのでした。

写真3
写真4
写真5

 皆さんに観て頂いた通り、ソイフェット君はそれなりに見せ場を作れたのではないかと思っています。スタート直後もスッと前のポジションにつけられましたし、心配していた右回りのコーナリングも、ケントの見事なリードによってキッチリ手前を変えて回っていました。3コーナー手前で減速してしまうまでは、私も手に汗を握っていましたし、オーナーたちも熱い応援を送っていました。肺出血を起こしてしまったのは残念でしたが、持ち味のスピードを活かせたレース展開がであったと思います。

 スタッフの方はと申しますと、これまたインターナショナルチーム。調教師のパウエル師ならびにご夫人は米国へ移住後、市民権を取得したフランス系アメリカ人。調教厩務員のメラニー・モリエールもフランス人。厩務員のリアンドロ・モルフィンはアメリカ生まれのメキシコ育ち。馬主2組のうちの1組・ベノウィッツ夫妻はラスベガスから、もう1組のヴィスコヴィッチ氏とご子息はニュージーランドからお越しになられました。そしてソイフェット君に騎乗するのは、アメリカ競馬殿堂入りジョッキー、ケント・デザーモ騎手。輸送及びサポートは当社スタッフ。米・仏・新・日・墨と、5つの国をバックグラウンドとする陣営。なんともインターナショナルなメンバーが揃ったものです。みんな忙しい仕事の合間を縫って、築地市場やレストラン、動物園など、めいめい初めて訪れる東京を楽しんでいたようです。

 今回、陣営の中で私がひそかに感動したのはケント・デザーモ。彼が受ける騎手面接試験を受ける朝のこと。TCKのスタッフの方から「デザーモ騎手宛に郵便物が届いていますよ」と、茶封筒を渡されました。大きな、しかし薄い封筒でしたので、「とりあえずケントに渡しましょう」とのことに。TCKのオフィスの一角で、試験前に提出する騎手免許及びクリアランスを渡した後、私からケントに「これが届いていたよ」と封筒を手渡しました。彼が無造作に封筒の口を破った後、我々の目の前に現れたのは、ケントが優勝したケンタッキーダービーのゴール前の写真でした。ひとつは2000年のフサイチペガサス、もうひとつは2008年のビッグブラウンでした。さらに封筒の中には、1枚の紙と2枚の馬券が入っており、一枚は宝塚記念に出走したシンボリクリスエス、もう一枚は有馬記念に出走したゼンノロブロイの単勝馬券でした。2枚とも見事に外れて(笑)いたのですが、それぞれの馬券のレースと馬名をケントに伝えると「ああ、あの馬か。よく覚えているよ」と言いながらそれらを眺めていました。同封されていた1枚の紙は、ケントへの手紙でした。私は「手紙だな」と思ったので内容は見ませんでしたが、おそらく彼の大ファンであろう方が書かれたお手紙であったと拝察。その手紙をじっと読んだまま、しばしケントは無言。読み終わった直後、彼は手紙から目を離さず一言、「ペンを貸して」。私は「サインだな」と思い、すぐさまTCKのスタッフからサインペンを拝借すると、彼は一つ一つの写真・馬券を確認していくかのようにサインをしたためていき、「送り返してあげて」とTCKの方にそれらを手渡していました。そのファンの方も返信用の封筒を同封されていたので、おそらく今頃はお手元に届いているのではと思います。

 面接試験前の一瞬かつサインをしたためるのみの出来事でしたが、彼を慕うファンに対するその態度・対応はプロフェッショナルだなと思わされた次第です。こういった対応の一つひとつが、ファンを喜ばせ、ファンの数を増やしていくのでしょう。ちなみにレース後、彼と一緒にTCKオフィス棟の前で帰りの車を待っていると、他のファンの方々が駆け寄ってこられましたが、嫌な顔ひとつせずにサインの依頼に対応していました。

 そんな、とってもファンにフレンドリーなケントはレース翌日の夜、水曜日朝の調教騎乗のために羽田空港から帰国の途につきました。

 またTCKウェブサイトにもリリースされたことで、多くの方々からご心配のコメントを頂きましたが、ソイフェット君は無事に米国へ帰国しました。レース後肺出血が判明した後、診療所での診察後のTCK獣医の皆様方の治療・対応のおかげで大事には至らず。容態が落ち着いてきた31日に、計画通り成田から出国。韓国・仁川、米・アンカレッジを経由した後、ロサンゼルス国際空港へ到着。入国検疫を経て、1月3日に開放されサンタアニタ競馬場へ帰厩しています。しばらく休養の後、また競馬場で元気な姿を見せてくれることでしょう。

ぎりぎりおせち料理&お雑煮。

 そんな舞台裏でしたので、我々も年末年始のスケジュールは仕事+仕事+仕事!!本当は、昨年末のカレンダーは最高だったので、ガッチリ休めるぞ~!とウキウキしていたのですが、大晦日の夕方まで仕事でした。おかげさまで紅白歌合戦を途中まで見ながら、そのまま寝落ちして気がつけば元旦の朝7時。小さい子が年を越そうと夜更かしに挑戦して失敗するような・・・そんな年越しをしてしまいました。両親・親戚と元旦を過ごして、おせち料理・お雑煮をいただき久しぶりに日本のお正月を満喫。2日の夜には羽田からロサンゼルスへの帰途についた私です。未だに年を越した実感が湧きませんが、今年も忙しい一年になることでしょう。

 当社も一般企業ですので、利益獲得に動いていくのは当然のことですが、同時に日本・米国間の競馬・人の交流に貢献していけるよう力を尽くして参りますので、今年もどうぞ宜しくお願い致します!