重賞名馬ストーリー

重賞名馬ストーリー vol.12

淑女のハートは熱く ケイワンハート ~トゥインクルレディー賞~

 「東京プリンセス賞で初めてこの馬に乗ったんだけど、直線の伸び脚がすばらしくてね。バネが抜群で『こりゃロジータ級かもしれない』なんて思ったくらい」と早田秀治騎手。その衝撃は忘れられない。直線インからするりと抜けて6馬身突き放した。

 彗星のごとく現れたケイワンハートは無傷の4連勝でプリンセスの座に輝いた。

 担当していたのは広瀬直樹厩務員。「入厩は3歳の1月と遅かった。6月の遅生まれで、ちっこい馬だったからね。胴が短くて幅があってコロンとした体型。4月のデビュー戦では逃げ馬の半馬身後ろにピタリとつけて、2頭で離して競っていった。直線で相手をねじ伏せちゃったのはハッキリ言って予想外。スピードはあると思っていたけど、こんな力強さがこの小さな女馬のどこにあるんだ、って感じ。しかも初めてのレースだもん。二戦目は好位から差して、三戦目は逃げ切って、と自在にレースをこなした。たぶん牧場で大事にされたからだと思うけど、人間をものすごく信頼しているんだ。だから騎手の指示に素直に従うんだよね。普段もホント従順で可愛くてたまらなかった」という。

 今では後進の指導に当たるベテラン広瀬厩務員も当時はキャリア4年の駆け出しだった。「7戦目でダービーグランプリを使いに水沢へ遠征したんだけど、わずかにハナ差で2着。あれは悔しかったなぁ。俺の腕が足りなかった。今ならハナ差を逆転できる仕上げをしてあげられただろうに。それまで前にいる馬に届かず負けたことはあったが、後ろから来た馬に差されたのはこの時が初めてだったから」と言葉を詰まらせた。レース10日前に入厩して万全を期していただけに悔しさも一層大きかったという。

 「いつもレースの日は装鞍所の時点でいれ込んで、馬体をプルプルふるわせていたし、パドックでは汗がポタポタ落ちるほど気の小さい面もあったんだけど、走ると首を上手に使う馬でね。調教でも首を上下する振り幅が一頭だけ違っていて目立っていたな。推進力がほかの馬とは別格だった。体型から考えると本来はスプリンターなんだろうが、首や全身の使い方がうまかったからトゥインクルレディー賞をはじめ幅広い距離をこなせたんだと思う」。

 バブルの余韻に浸っていた1992年。トゥインクルレディー賞当日の大井競馬場には約5万人ものファンが駆けつけていた。1番人気はシノサクシード、エースポポ、チャームダンサーと続きケイワンハートは6番人気の伏兵。東京プリンセス賞以来スランプに陥っていたゆえの評価だった。「前走が関東盃で、この時に早田騎手が仕掛けてハナに行かせた。結果は惨敗だったけど、スピードを試したんだと思う。トゥインクルレディー賞でも逃げ馬を尻目にハナを切って結局そのまま」。早田騎手の思い切った作戦が功を奏し、迫りくる後続に影を踏ませなかった。

 「従順だし、賢くてレース近くなると自分でカラダを作るからまったく手が掛からない馬だったんだけど、休養を挟んだあたりから引っ掛かるようになって、首を巧く使えなくなってしまった。それはレース結果にも響いていったよね。その後岩手に移籍して、ナンバー4くらいの存在にまでなったと聞いている。繁殖入りしてからもほとんど空胎がなく子供を産んでいるし、母としても優秀だよね。そうそう。ケイワンハートの初仔と二番仔が自分のもとに来たんだけど、不思議なくらい母親に似てなかった(笑)」

 21戦6勝で引退したケイワンハート。従順な淑女が今では母として、タフに産駒を送り出している。


第25回東京盃 テツノヒリユウ号

中川明美 (競馬ブック)

※この原稿は、過去のレーシングプログラムに掲載されたものに、加筆・訂正を加えたものです。