重賞名馬ストーリー

重賞名馬ストーリー vol.11

生粋の「大井っ子」ゴールドヘッド ~アフター5スター賞~

 ゴールドヘッドは北海道平取町で5月という遅生まれで誕生した。「セリで売れ残っていたんだけど、首が長くてトモ幅があって良い馬だと思ってね。でもまさかオープンまでいって活躍することになるとは想像できなかったよ」と蛯名末五郎調教師(故人)がゴールドヘッドに出会ったのは1歳の秋だった。「調教師として開業して6、7年の時だったかな。2歳の6月に入厩させたが、乗り運動してみるとブレるところがなくてね。首も脚もひょろりと長くて細く映るから、周りからは『キュウリに棒を通したみたいな馬だね』と笑われもした。けっして体型的には見栄えのするタイプではなかったから」としながらも、能力試験では破格の49秒。「スター誕生」を予感させるものだった。

 新馬戦に出走すると、ぶっちぎりの8馬身圧勝。1分1秒1というタイムも優秀。「食べたもの、トレーニングしたことが全て身になって、長い手足にどんどん肉がついて500キロに。最終的には520キロくらいまで大きくなった」。連勝街道まっしぐらでクラシックの主役に躍り出た。

 「この頃は過酷なクラシックでね。秋にあった東京王冠賞が間に入って、羽田盃、東京王冠賞、東京ダービーというスケジュール。しかもそれを二ヶ月のうちにやるもんだから、馬が相当疲れていた。馬体が一戦ごとに減っていたよね。それにね、ダービーはこの年まで2400m。次の年から2000mに変更されているんだから、運がなかったというしかない」。

 第一冠の羽田盃を勝って人気の絶頂にあったゴールドヘッド。クラシックに向かうのは至極当然な事と、突き進むしかなかった。東京王冠賞2着、東京ダービー2着。「体調やコンディション的にはきついものだったけど、本命ゆえにこれも巡り合わせだと思うしかなかったね。クビ差の東京王冠賞、内をすくわれたダービーは今でも悔しいよね」と中田和宏オーナー。

 「古馬になると斤量との闘いになった。毎度背負うから厳しくなっていった。どうも道中遊ぶところがあって、横の馬を気にするって言うんで、ブリンカーをつけることにしたのがアフター5スター賞。この頃は距離が1800mだったし、スピードばかりでなく年齢とともに抑える競馬もさせていきたいという意図があった」という。59キロという重量を背負っていたが、3番手からの競馬で、直線最後は早め先頭に立っていたゴールデンカバリエを1馬身半退けて見事優勝。10ヶ月ぶりに勝利の美酒を味わった。

 「最後の1年くらいからノドが鳴る病気になって、レースで結果を出すのは難しくなっていったね」。2002年のマイルグランプリ(8着)を最後に引退。通算成績31戦10勝。青雲賞、京浜盃、羽田盃、マイルグランプリ、大井記念、グランドチャンピオン2000、アフター5スター賞と重賞を7勝。しかも31戦全て大井コースで走った、生粋の「大井っ子」であった。

 「7歳で引退させて自分の牧場で種牡馬にしたが、今のところ種付けは毎年2頭。体型やらどこかゴールドヘッドに似たところがあるよ。オープン級の繁殖牝馬をつけていることもあって、生まれた子供はなかなか評判のいい好馬体。ちょうど今、蛯名先生の元にゴールドヘッドの仔を預けているところだから、その子が父のように大きく羽ばたいてくれることを期待しているよ」。

 中田オーナーが所有するスターゲイズ(引退)は道営でデビューしたのち大井に移籍。父の走ったコースでの勝利を目指し、そして夢を繋げている。


第7回アフター5スター賞 ゴールドヘッド号

中川明美 (競馬ブック)

※この原稿は、過去のレーシングプログラムに掲載されたものに、加筆・訂正を加えたものです。