重賞名馬ストーリー

重賞名馬ストーリー vol.09

激しさを武器にして トウケイホープ ~サンタアニタトロフィー~

 サンタアニタトロフィーは平成8年に改称されるまで「関東盃」というレース名で実施されていた。真夏のハンデ戦として創設されたのは昭和55年。その第1回を制したのがトウケイホープである。

 「元々は、兄弟子の宮浦(正行)さんのお手馬だったんだけど、ある時宮浦さんがたまたま騎乗馬がぶつかって、乗せてもらって勝ってからの縁。俺がハタチの頃かな。調教はデビュー前から自分がつけていたんだよね。とにかく「きかん坊」で、馬場に入るまでがひと苦労。立ち上がってそのまま歩いてくんだから。必死にタテガミにつかまってた。着地した瞬間にいきなり後ろ向いて走り出すから恐いのなんの」と、出会いの頃を語る秋吉和美騎手(現調教師)。

 この頃の悪ガキぶりには逸話がある。洗い場で並んでいた当時全盛のハツシバオーを蹴飛ばしにいったというのだ。デビューしたての若馬がオーラ全開の古馬に向かっていくことはあまりないものだが、トウケイホープは仕切りを越えて蹴ろうとしたため股が挟まり結局宙ぶらりんに。この出来事は厩舎内で評判になったという。
「デビューした頃は別の人が担当していたんだけど、とにかく気性が荒くて洗い場で蹴られてね。2mくらい吹っ飛んだ。幸い怪我はなかったんだけど、もう怖くてやりきれないってことで俺に回ってきた。最初は410キロしかなくて、しかも腰がしっかりしていない状態。カイロで毎日暇さえあれば温めてマッサージして、半年くらい掛かったかな。ペコンと凹んでいた尻の肉が盛り上がるくらいパンとして、450キロにまでなった。そこからは連勝もしたね。逃げて並んだらかわさせないんだもの。向かうところ敵なしだった」と佐藤明記厩務員。

 秋吉騎手が騎乗するようになったのは12戦目からだが、まだ逃げ馬ではなかった。「それまでは出たなり好位でレースをしていたけど、馬群に入るとなかなか力を発揮できないでいた。それが、ある時先頭に立ったら他馬をかわさせない面を見せたので、この気性だし、テンに少々無理してもハナにこだわる競馬をさせてみようと切りかえてみた。すると、どんなにせっつかれて展開が厳しかろうと頭だけでも出てれば、前に行っていれば凌いで負けなかった。迫られたら自分自身でピッチをあげていく。負けん気の強さですかね」。

 ここから連勝して、一気に重賞戦線に。そして初めて重賞タイトルを奪取したのが関東盃だった。「ピッタリ重なって前に行くレース。後ろからダイドウスターが迫ってきたのはわかっていたんだけど、ハナに立ってからは間隔は詰まらなかった」と危なげなく戴冠。

 トウケイホープの真骨頂は、当時距離が3000mだった東京大賞典だろう。「ハナ行って、4コーナー手前からアズマキングがピッタリつけてきてマッチレース。向こうはいつでもかわせると思っていたんだろうが、結局ゴールまで頭差変わらなかった」。

 年が明けてから重賞戦線で活躍し、7月の報知オールスターCを制したが、その後は夏負けが尾を引き苦戦。しかも斤量を背負わされる機会が増えたことから中央へ移籍。わずか1戦した後岩手に移ったが、そこで岩手競馬史上に輝く華々しい成績を残す。

 さらに種牡馬入りしてからは、わずか5頭の中からトウケイニセイという大スターを輩出。初年度の種付けを済ませたあと急死したことが悔やまれてならない。


第1回関東盃(現 サンタアニタトロフィー)トウケイホープ号

中川明美 (競馬ブック)

※この原稿は、過去のレーシングプログラムに掲載されたものに、加筆・訂正を加えたものです。