有吉正徳記者によるミックファイア号引退特別コラム
ミックファイアの引退が決まった後にお会いした渡邉和雄調教師は、実にすがすがしい表情だった。最後の南関東三冠馬を無事に馬産地に送り返すことが叶い、安堵の笑顔だ。
出会ってからの5年は「あっという間」に過ぎたという。改めて感じるのは「ミックファイアは、競馬の神様が僕とオーナー(星加浩一さん)に三冠を獲らせるために与えてくれた馬」という想いだ。振り返れば振り返るほど、不思議な「ドラマ」がミックファイアに起こった。ミックファイアと渡邉調教師が巡り合っていなければ三冠達成はなかった。まずは運命の出会いからスタートしたい。
史上2頭目の無敗で三冠を達成したミックファイア号
それは2021年8月27日のことである。北海道新ひだか町で北海道サマーセールが行われていた。23日に始まったサマーセールは最終日を迎えていた。渡邉調教師は毎年、このサマーセールに足を運び、1歳馬の購入に立ち会う。2年前の2019年にサマーセールで星加オーナーが落札したセイカメテオポリスはこの年、羽田盃、東京ダービー、ジャパンダートダービーに出走していた。
競走馬の競り市に臨む際の渡邉調教師の流儀は先入観を持たないこと。カタログに頼らず、下見に力を入れる。立ち馬、歩きなど実馬を見て、気にいった馬をピックアップする。注目馬の上場が近づくと会場に入り、競りに備える。セイカメテオポリスもそうして管理するようになった。
「実はミックファイアは当日の下見でピックアップしていなかった馬なんです」
だが別にピックアップした馬がミックファイアの近くの順番で上場されていたため、ミックファイアが登場した時に会場に居合わせた。父シニスターミニスター、母マリアージュ。小柄だったが、歩きのいいところが目についた。種牡馬シニスターミニスターは当時、地方競馬の種牡馬別ランキングで常にベスト5に入るような結果を残していた。渡邉調教師と星加オーナーは「母はJRAで4勝しているし、1500万円ぐらいの値はつくだろう」と予想しながら、ミックファイアを見ていたという。競りが始まった。だが、なかなか声がかからない。「500万」。ミックファイアは星加オーナーのひと声で落札が決まった。
なぜ他の購買者が競りかけてこなかったのか。後でわかった。ミックファイアのレポジトリーに問題があったのだ。レポジトリーとは四肢のレントゲン映像など上場馬の情報を提供するものだ。ミックファイアはレポジトリーで不安な点があり、競りかける人がいなかった。血統の割に安価だったのには、そんな理由があった。渡邉調教師が事前にミックファイアをピックアップしていたら、レポジトリーを点検し、他の購買者と同様に購入を避けたかもしれない。目をつけていなかったことが逆に幸いした。
ミックファイアの成長は素晴らしかった。「北海道の牧場に見に行くたびに大きくなっていきました。どこかでバーンと成長する馬って成績がいいんですよね」
2022年9月23日、大井競馬場でデビューした。7頭立ての2歳新馬戦。1枠1番から出たミックファイアは矢野貴之騎手に導かれ、好スタートから先頭を奪うと、1600㍍を逃げ切った。続く2戦目も1600㍍を逃げ切り勝ち。3戦目は距離を1800㍍に延ばした、ひばり特別。矢野騎手から本田正重騎手に代わったが、ここも危なげなく逃げ切って、デビューからの3連勝を決めた。これで2歳シーズンを終え、来たる3歳シーズンに備え、休養に入った。
デビュー戦を勝利で飾った
そこから裂蹄との闘いが始まる。右前脚のひづめが割れ、出走計画は大幅な変更を余儀なくされた。計画では2月の雲取賞(大井)から5月の羽田盃(大井)に進む予定だった。放牧先から一度は厩舎に戻ってきたが、ひづめの状態は思わしくなく、再び放牧に出さざるを得なくなった。前哨戦を走れないことは羽田盃出走に向け、大きな痛手になった。雲取賞で2着以内に入れば、羽田盃の優先出走権を得られるはずだった。
羽田盃の登録が発表された時点で、ミックファイアは出走決定順32番目だった。フルゲートは16頭。ゲートインするには絶望的な順位だった。渡邉調教師はそれでもあきらめなかった。2歳時の3連勝を見ていれば、「来年(3歳時)は絶対大きなところを取れると思った」。負担のかからない坂路でのトレーニングを採り入れたり、装蹄方法を工夫するなどして、ひづめの回復を待った。そうこうするうちに出走回避する馬が出て、なんとか羽田盃に出走できそうな状況になった。しかし、また問題が出てきた。騎手探しだ。過去3戦で手綱を取っていた矢野騎手、本田騎手はすでに先約があり、いずれも乗ることができなかった。幸いにも御神本訓史騎手が空いていた。
5月10日に大井競馬場のダート1800㍍で行われた第68回羽田盃で、ミックファイアは4番人気に支持された。負け知らずの3連勝だったが、5カ月ぶりの実戦。前走比マイナス16㌔の482㌔という馬体重も嫌われた。6番ゲートから飛び出したミックファイアは2番手で1コーナーを回った。これまで逃げ切りで3連勝。2番手でのレースは初めてだったが、折り合いはスムーズ。4コーナー手前で早くも先頭に立つと、最後の直線でも豪快に伸びた。2着に6馬身差をつけたところがゴールだった。勝ちタイムの1分50秒9は従来の記録を16年ぶりに0秒2更新するレースレコードになった。
「こんなに強いのか、と驚きました。なんとか送り出しましたが期待半分、不安半分でしたから」
羽田盃は6馬身をつける圧勝だった
羽田盃の圧勝は陣営にプレッシャーを与えることになった。休み明けで羽田盃を勝つのだから、続く東京ダービーはもっと体調も良くなる。羽田盃ではチャレンジャーだった立場から、東京ダービーでは勝って当然、負けられない王者に変わった。
「そうなると、もう悪いことしか考えないんですね。ゲートで出遅れたらどうしようとか、アクシデントはないだろうかとか」
重圧を感じていたのは渡邉調教師だけではなかった。担当厩務員は馬装を整える際、手が震えて覆面のひもを結ぶことができなかったし、御神本騎手もどこか上の空で渡邉調教師との打ち合わせもうまくできなかった。
6月7日、第69回東京ダービーのゲートが開いた。羽田盃から距離は200㍍延びて2000㍍。12番ゲートからスタートしたミックファイアはすぐに2番手をキープした。羽田盃のビデオを見ているようなレース運びだ。今回もまた4コーナー手前で先頭に立つと、あとは後続を引き離すばかり。またまた2着に6馬身差をつけての快勝だった。勝ちタイムは再びレースレコードの2分04秒8。南関東勢同士で戦う最後の東京ダービーを締めくくる鮮やかな勝利になった。「プレッシャーがあったので、東京ダービーの時は正直ほっとしたという気持ちでした」と渡邉調教師は振り返る。単勝1・5倍の重責に応えた。
東京ダービーでは圧倒的人気に応えた
羽田盃、東京ダービーを制した無敗の二冠馬に残された目標は「最後の」ジャパンダートダービーで南関東三冠を達成することだった。ジャパンダートダービーは翌年から装いも新たに秋に行われるジャパンダートクラシックとして再出発することになっていた。
11頭がそろった7月12日の第25回ジャパンダートダービー(大井競馬場、ダート2000㍍)にはJRA勢7頭が出走してきた。ミックファイア包囲網だ。1番人気はミックファイアだが、2番人気から8番人気はJRA勢が占めた。厳しい展開になった。6番ゲートから出たミックファイアだったが、JRA勢が前を固め、いつものようなポジションが取れない。向こう正面で5番手にとりついたが、内を開けてもらえず、終始外を回ることになった。3番手で4コーナーを回ったが、逃げる武豊騎手のミトノオーは約3馬身も前を走っていた。ただ、そこから頑張るのがミックファイアだ。ミトノオーの脚勢が鈍るのと同時に末脚が勢いを増した。後ろから来たキリンジに2馬身半の差をつけて、栄光のゴールに飛び込んだ。史上8頭目。デビューから無敗の三冠制覇はトーシンブリザード以来2頭目の快挙だった。
ゴール後、渡邉調教師は御神本騎手の渾身のガッツポーズを見て、「クールな御神本騎手があんなに熱いガッツポーズをしたのを初めて見た」と感じた。それだけ苦しいレースだったということだろう。

三冠目を制し、ガッツポーズをする御神本騎手
半信半疑だった羽田盃、重圧に押しつぶされそうになった東京ダービーとは違い、ジャパンダートダービーはJRA勢に立ち向かう立場で気楽に臨むことができた。休み明け3戦目で体調は最高だったし、JRA勢との対戦で挑戦者の気持ちで挑むことができた。
渡邉調教師は2008年、36歳の時に厩舎を開業した。三冠レースは「指をくわえて見るしかなかった」。夢の先にあったレースだった。そんな雲の上のレースをミックファイアは3つとも制した。5月、6月、7月で争う最後の年に現れた三冠馬はなにものにも代えがたい宝物だ。
もしもサマーセールで出会っていなかったら星加オーナーの馬になることもなかったし、渡邉調教師が管理することもなかった。羽田盃の出走順が17番目以下だったら、レースに出ることすらかなわなかった。裂蹄で休んだから余力があり、3カ月連続出走という厳しい日程を克服することができた。ミックファイアが三冠馬になるためには、いくつもの幸運が味方した。
しかし運に任せただけではない。騎手とのコンタクトがうまくいくように特殊なハミを用意したり、ひづめを守るため装蹄を工夫したり、脚に負担をかけないよう坂路調教を選んだり。できることは何でもやった。渡邉調教師の惜しみない献身があった。
来春、ミックファイアは北海道新ひだか町のレックススタッドで種牡馬になる。生まれ故郷の高橋ファームからほど近いところだ。「ミックファイアの子供も育ててみたいです。皮膚は薄いし、とても柔らかく、いい筋肉をしているんです。その特長が伝われば、いろいろなタイプの産駒が出ると思います」
4年後の2030年、渡邉厩舎のミックファイア産駒がデビューする日を今から心待ちにしたい。
<文:有吉 正徳>

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