TCKコラム

TCK Column vol.51

走り続けた理由:チャンピオンスター(全5話)

金盃勝利編

わずか1頭の後継馬を残し、種牡馬を抹消された馬がいる。
まるで、己の将来が分かっていたからこそ、
1年10ヵ月におよぶ故障からの復帰、
そして7歳まで走り続けた馬がいる。
オーナーに見守られ続けた馬がいる。
転厩をして再起をかけた馬がいる。
鞍上も同じく、ケガからの復帰、
そして天国と地獄を味わった男がいる。
この馬を救いたい、必死に看病した男がいる。
復活を祈り、再び頂点に立たせた師がいる。
奇跡の復活、再び上り詰めた頂点、そして訪れた悲劇のクライマックス、
過酷なブラッドドラマがここに始まる。

難しい気性

大井競馬場から数多くの名馬が誕生した。そんな歴代の名馬の中でも、波乱な馬生を歩んだ1頭がいた。名をチャンピオンスターという。チャンピオンスターには、同じ「名馬」でも「命馬」というほうがふさわしいのかもしれない。
 競走馬としての命、残せた子孫への命、そして種牡馬としての命。走れども、走れども見えない「命」を追い求めた馬生だったに違いない……。

昭和61年、大井競馬場で日本初のナイター競馬「トゥインクル」が開催された。今では当たり前の光景であるが、当時は画期的な出来事であった。ナイタースポーツといえばプロ野球ぐらいしかないのだから。会社帰りのOL、サラリーマンが押し寄せ、一挙に競馬ファン層を変えてしまったのだ。
中央競馬では、メジロラモーヌがこちらも史上初の牝馬3冠を達成している。武豊騎手はまだデビューしておらず、彼の出現は翌年になってからであった。
そんな年の暮れに1頭の栗毛馬がデビューする。12月9日、秋谷元次厩舎からサラ系2歳新馬戦でデビューしたチャンピオンスターである。デビューレースでは、後続に5馬身半の大差をつけての勝利。年明け3歳戦、続く特別戦を立て続けに勝利し、デビュー3連勝を達成。一気にクラシックの筆頭に躍り出る快進撃であった。

クラシック前哨戦である黒潮盃を1馬身差で文句なしの勝利。厩舎も周囲からも期待されるクラシック制覇の夢。しかし、そのクラシックは、羽田盃は回避、東京ダービー4着、東京王冠賞2着と無敗に終わってしまった(当時のクラシック3冠は、春の羽田盃、東京ダービー、秋の東京王冠賞であった)。
 チャンピオンスターは、もともとツメが弱い一面があった。厩舎は、脚部不安を抱えながらのレースを繰り返していたのである。
クラシックの敗因は、体調面から満足な調教ができず、本来持っている能力を出し切れなかったことにあるのだろう。

東京王冠賞から1ヵ月後の暮れの大一番、東京大賞典からあの高橋三郎騎手が騎乗することになった。
チャンピオンスターのオーナーは、デビュー戦から高橋三郎を騎乗させるつもりでいた。だが、昭和60年11月、調教中の事故で右足切断寸前の事故に遭い、オーナーの願いをかなえるのには時間がかかってしまったのだ。1年間騎手生命の境をさまよい、さらに1年間のリハビリ、復帰は2年後の昭和62年11月であった。丸2年のブランクで、右足は左足の半分の細さとなり、調教師となった現在もその後遺症に苦しんでいる。

復帰後の翌月、グランプリである東京大賞典に、期待されるチャンピオンスターの鞍上で帰ってきた高橋三郎。馬場入りした両者に多くのファンは大きな歓声で出迎えている。
 レースではテツノカチドキから4馬身半の4着に終わってしまった。
だれもがその復活を待ち望んでいる。だが、意外にも早く、年明けのウインターカップでは、最重量56.5kgながら、相手に恵まれたこともあり、チャンピオンスターと高橋三郎のコンビによる初勝利を飾った。

次戦金盃の数日前、朝の調教を終えた午後、高橋三郎が厩舎に様子を見に行ったときに、馬房から突如チャンピオンスターが飛びかかってきた。
これはチャンピオンスターのもうひとつの一面。気が高ぶってしまい、調教でも折り合いがつかなかったときのほうが多く、ゲートの出はいいのだが、入るまでが大変という難しい気性を持っていた。
 金盃では、逃げるイーグルシャトーの外側2番手に付け、3コーナーで馬ががまんしきれずハナに立ってしまった。
「レースは先行するタイプだった。ハナに立つと気を抜くところがあった。それで苦労した末の勝利。折り合いがつかなかった乗り方だった。当時はそれでもよくがまんして乗ったなとほめられたものだけど、今だったら馬との折り合いが付かないですね、となる」。
気を抜くといっても後続に4馬身差の勝利。ハナに立つときの勢いはすさまじいけれど、それからが問題だった。

(人馬一体の再起編へ続く)

チャンピオンスター 血統表

牡 栗毛 1984年5月9日生まれ 北海道浦河産・山春牧場
スイフトスワロー(USA)Northern Dancer(CAN)
Homeward Bound(GB)
スイフトロードロードリージ(USA)
ヒデユキ

チャンピオンスター 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 人気 着順 タイム
昭和61年
12月9日
大井 2歳新馬 1000 西川栄二 53 (2) 1 1:02.9
昭和62年
1年2日
大井 3歳 1400 西川栄二 54 (1) 1 1:30.4
1月28日 大井 葉牡丹特別 1600 西川栄二 54 (2) 1 1:44.8
2月13日 大井 水仙特別 1600 西川栄二 55 (1) 3 1:45.9
4月9日 大井 黒潮盃 1800 早田秀治 56 (4) 1 1:58.3
6月3日 大井 東京ダービー 2400 早田秀治 57 (3) 4 2:39.0
7月26日 大井 サマーC 1700 早田秀治 52 (2) 7 1:49.2
11月11日 大井 東京王冠賞 2600 早田秀治 57 (6) 2 2:52.9
12月23日 大井 東京大賞典 3000 高橋三郎 54 (4) 4 3:16.7
昭和63年
2年4日
大井 ウインターC 1800 高橋三郎 56.5 (1) 1 1:55.2
3月3日 大井 金盃 2000 高橋三郎 51 (1) 1 2:05.8
4月13日 大井 帝王賞 2000 桑島孝春 56 (3) 1 2:07.0
6月21日 大井 大井記念 2500 桑島孝春 57 (1) 1 2:42.8
7月27日 川崎 報知オールスターC 1600 桑島孝春 57 (1) 2 1:41.5
9月18日 新潟 オールカマー 2200 桑島孝春 57 (4) 15 2:14.6
11月2日 大井 東京記念 2400 高橋三郎 57.5 (1) 7 2:36.9
1年10ヵ月休養
平成2年
9年5日
大井 かちどき賞 1800 高橋三郎 55 (6) 4 1:56.5
10月24日 大井 グランド
チャンピオン2000
2000 高橋三郎 56 (2) 7 2:10.5
11月20日 大井 東京記念 2400 高橋三郎 55 (1) 1 2:34.3
12月13日 大井 東京大賞典 2800 高橋三郎 55 (3) 11 3:08.7
平成3年
2年26日
大井 金盃 2000 高橋三郎 57.5 (2) 2 2:06.7
4月3日 大井 帝王賞 2000 高橋三郎 55 (3) 1 2:05.2
7月10日 川崎 報知オールスターC 1600 高橋三郎 57 (2) 1 1:41.0
9月15日 中山 オールカマー 2200 高橋三郎 56 (9) 12 2:16.1

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。