TCKコラム

TCK Column vol.33

孤独のダートにゆらめく光と影 サンライフテイオー(全5話)

悲しい一生編

胸に突き刺さる鳴き声。
だが、自身にはどうすることもできない苛立ち……。
帰らないでくれ、ここに居てくれ、そばにいてくれ。
だが、男がしてやれることはまぶたを閉じてやることだけ。
1つの亡骸がその男にもたらしたものは、果てしなく重い。
男は孤独のダートにゆらめいた光と影の命を一生忘れることはない。
自身の光と影が交錯した日々。
あの馬がいたから、いてくれたから……。
今の自分の存在を振り返るとき、その根幹にいる馬。
静かに、安らかに、眠れ、眠れ。

オレはいいからおまえはがんばれよ

高橋三郎引退後に、サンライフテイオーは復帰をし、鞍上に佐々木竹見騎手を迎え入れるものの、3戦して3着が最高であった。その後、オーナーが代わることで、サンライフテイオーは転厩をするのであった。
転厩1戦後の10月18日、悲劇は起こった。
調教中に突然暴れだし、左第3中手骨複雑骨折を起こし、立つこともできない重傷だった。駆けつけた医師はその場で予後不良を宣告するしかなかった。

同じく他馬の調教中だった高橋三郎は、その報を聞きつけてサンライフテイオーの元へ駆け寄った。
「このときの辛さは忘れもしない。馬運車の中でね。これが本当に辛い」
横たわるサンライフテイオーに、「オーイ!」と声をかけると、すぐに「ヒィーン」と声にならない鳴き声を出した。
そして、高橋三郎を見て確認した瞬間、立ち上がろうとするのであった。そっと首筋をなでてやると、また静かに横たわるサンライフテイオー。
「本当におまえは大変だったなと声をかけると鳴くんだよ。『帰らないでくれ』とね。
そして、その表情から、『オレはいいからおまえはがんばれよ』と言っているようだった。そのことは今でも思い出しただけで胸が詰まる思いがする」

動かなくなったサンライフテイオーのまぶたを閉じてやり、「眠れ、眠れ」と声をかけながら、まだ温もりの残る首筋をいつまでもなで続けた。
「それから自分の家へ行って、線香と好物だったりんご、人参、バナナを持ってきてね。持ってきてといってももう遅いんだけど……」
手を合わせたあと、切り取った前髪を持って馬頭観音へと向かった。
ともに戦った須田厩務員は、「オレは嫌だ。行かない。絶対に行かない」と言ってサンライフテイオーの最期を見届けてはいない。

転厩したサンライフテイオーは何を思っていたのだろうか。
同じ大井にいながら自分を信頼してくれた須田厩務員も高橋三郎もそばにいない。足音は聞こえるのに、声も聞こえるのになぜ自分のところに来てくれないのか。なぜなんだとサンライフテイオーは思っていたのだろうか。やがてそれが、ストレスとなって蓄積されていったのだろうか。

サンライフテイオーが北海道からTCKへ運ばれる際に、ある事故が起こった。
「北海道から運ばれてくる途中で、馬運車のなかで暴れて、太ももの後ろのところに、人間の指の第一関節まですっぽり入るぐらいまでの裂傷を負ってしまった。その大きなケガがあったために、デビューしてからしばらくは、踏ん張る力が足りなかったようだ。体もケガのおかげで仕上がってなかったんだろう、だからカリカリしていたんだろう。だから結果が最初は伴わなかったんだろう。傷口はなかなかふさがらなかったからね」
ケガの具合は相当痛かったはずだ。通常なら新馬戦を走る前に、傷口を縫ってしまえば治りも早くなるのだが、獣医を寄せ付けようとはしなかった。
「獣医さんにしてみれば早く治してあげたいのだけれども、サンライフテイオーにしてみれば、『何を言ってるんだ! オレをこんな目にあわせたのはおまえら人間だ』。こんなことした人間なんか絶対に信用しない。そばに来たら蹴りますよ、噛みつきますよという気持ちだったんだろう。あのケガがなければ、この馬はもっと勝っていたかもしれない……」
 馬房で見せる人間への威嚇、そして難しい気性はだからこそなのだろうか。

ダービーグランプリのために盛岡へ遠征をしたときにはこんなこともあった。
馬運車から馬房に降ろしたところに、獣医が検疫のために診察しようとした。その行動見て高橋三郎が、「危ないから入らないでくれ」と言ったが、時すでに遅く、暴れだし、後ろ脚で獣医を蹴ろうとした。獣医は卒倒し、危うく大ケガをさせるところだった。盛岡はほかの競馬場と違って特に厩舎は大きく、馬房も広い。そんな広い馬房の中であっても、このようなことがあったのだ。
これほどまでに気性が荒いサンライフテイオーを須田厩務員と一緒に育て上げ、そしてスーパーダートダービーを勝ち、自分の引退の花道を作ってくれた。
いろんなことが重なり合ったからこそ、スーパーダートダービーでは、ガッツポーズをして喜びを表にし、この勝利が本当にうれしかったと言わせるものにした。
そして高橋三郎は最後にこう語る。
「大きなレースを勝たせてもらいながら、引退の決断をさせてもらいながら、悲しい一生を送らせてしまった……」
(注釈:サンライフテイオーをはじめ多くの名馬が眠る馬頭観音はパドックの脇に設置されています)

サンライフテイオー 血統表

牡 鹿毛 1993年3月20日生まれ 北海道新冠・武田牧場生産
ホスピタリティ テュデナム
トウコウポポ
ティーヴィミニカム Dickens Hill
Camera

サンライフテイオー 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 人気 着順 タイム
H7.9.12 大井 能力試験 800 高橋三郎       52.5
9.24 大井 2歳新馬 1000 高橋三郎 53 (1) 2 1:02.1
10.16 大井 2歳 1200 高橋三郎 53 (1) 1 1:15.4
11.18 大井 ゴールドジュニアー 1400 高橋三郎 53 (5) 2 1:27.8
11.30 大井 青雲賞 1600 高橋三郎 54 (3) 3 1:43.7
12.20 大井 胡蝶蘭特別 1600 高橋三郎 55 (1) 2 1:44.8
H8.1.17 大井 ゴールデンステッキ賞 1700 高橋三郎 55 (2) 2 1:50.8
2.19 大井 京浜盃 1700 高橋三郎 55 (11) 10 1:47.2
3.5 大井 若駒特別 1600 高橋三郎 56 (1) 1 1:43.6
3.26 大井 雲取賞 1700 高橋三郎 54 (1) 1 1:47.8
5.14 大井 羽田盃 1800 高橋三郎 56 (3) 2 1:54.4
6.6 大井 東京王冠賞 2000 高橋三郎 56 (2) 3 2:07.1
7.4 大井 東京ダービー 2400 高橋三郎 56 (3) 4 2:37.8
8.26 大井 アフター5スター賞 1800 高橋三郎 55 (3) 6 1:53.8
9.26 大井 東京盃 1200 高橋三郎 52 (8) 12 1:14.1
11.1 大井 スーパーダートダービー 2000 高橋三郎 57 (9) 1 2:05.8
11.23 盛岡 ダービーグランプリ 2000 高橋三郎 56 (5) 8 2:09.6
H9.6.26 船橋 京成盃グランドマイラーズ 1600 佐々木竹見 57 (2) 3 1:41.2
7.28 大井 サンタアニタトロフィー 1600 佐々木竹見 55 (2) 4 1:41.1
8.28 大井 アフター5スター賞 1800 佐々木竹見 55 (4) 8 1:54.7
10.2 大井 東京盃 1200 早田秀治 55 (9) 13 1:15.2

<取材後記>

高橋三郎調教師へのインタビューは、昨年の東京大賞典の数日前に行いました。インタビュー前、自ら調教を施し、下馬した直後でした。顔には疲労の色が出ていたにもかかわらず、丁寧なあいさつで私を迎え入れ静かに、詳しく、分かりやすく語ってくれました。インタビュー終了後、深々と頭をたれてありがとうございましたと礼を言われたときは、こちらが恐縮するばかりでした。礼に始まり礼に終わるとはまさにこのことなのでしょう。とても礼儀正しい師でした。
また、インタビュー中、後遺症を抱えた右足を見せてくれました。その姿に言葉が詰まりました。
そして、東京大賞典で師が手がけたコアレスハンターが2着に入ったとき、競馬とは、競走馬とは、レースとは、騎手とは、故障とは、馬作りとは、事故とは、死とは、引退とは……私の頭にあらゆる問いかけが浮かびました。

大事故、幾度の故障、後遺症、ハイセイコーとの出会いと許された2鞍、そして別れ、かなわなかった東京ダービーをキングハイセイコーとアウトランセイコーで、引退間際に孫のテツノセンゴクオーで2度の重賞勝利、引退を決意したサンライフテイオーとの出会いと別れ、4000勝を目の前にした引退……、競馬の喜びも、苦しみも、悲しみも知り、一方で信念を貫きとおす師だからこそできた2着なのではないでしょうか。中央馬と互角、それ以上の走りをするレースを、ひとりでも多くのファンに見てもらう。憎らしいほどに魅力的で、重厚な気概が垣間見られる瞬間でもありました。これは高橋三郎調教師だけが特別なのではありません。彼のようなすばらしい調教師がたくさんいる大井。彼らが手がけた競走馬がレースを繰り広げる大井。

レースのバックボーンが少しでも分かれば、レースはより魅力的になります。ぜひ今年もそんな魅力的な大井へ来て、ライブでレースを楽しんでください。競馬はライブが一番だと思っています。私も少しでも多くの大井競馬の魅力的なバックボーンを提供できることを誓って。

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。