TCKコラム

TCK Column vol.25

不屈の闘志、尽きることのない挑戦 テツノカチドキ(全5話)

いちょう賞編

デビューが遅れたテツノカチドキが、下から這い上がりやっと一線級と戦うまでになった。クラシック3冠目の東京王冠賞への道が開けたのだ
だが、赤嶺はこの東京王冠賞の前走である「いちょう賞」の優勝が一番思い出に残るという。
4コーナーを回っても後方に沈んでいるテツノカチドキ。上がりたくとも、進路がふさがれどうすることもできない。ゴールが迫る、残り150mとなったそのとき……。
手綱を取る赤嶺に、テツノカチドキの成長した証がビリビリと伝わった3歳の秋であった。

150mの勝利

レース内容ではゲートの出がよくなく、道中は好位置に着くこともままならなかった。それでも勝ったり負けたりの成績が続き、3歳の半ばには終いの脚がよくなり、切れるようになってきた。
「これは楽しみだなあと思うようになってきた。同じ3歳でも、クラシックに出ている馬は、もっと上に行ってるし、こちらはデビューが遅く、11月の東京王冠賞には出場したけど、その前戦のいちょう賞で優勝したことが、一番の思い出だったよ」。
当時は、現在のようなアメリカダート競馬体系と同じ春に3冠が行われることはなく、東京王冠賞は中央競馬の菊花賞に相当するクラシック3冠目のレースであった。1800mのいちょう賞は東京王冠賞の1ヵ月前の10月17日に行われた。
赤嶺がこのいちょう賞を一番の思い出と語るのにはそれだけの思い入れがあるからだ。
「このときは本命だった。クラシックに出場するような馬は出ていなかったけど、それでも一線級と初めて競うことになった。下から這い上がってきて、3歳の秋でようやく重賞に間に合うかな、というようなところまできたから」。
ようやく胸を張ってレースに出走できるまでになったのだ。

ゲートはいつものように遅く、8頭立ての、最後尾か7番手でずっと内に位置してレースは進む。
「3コーナーを回ってきたとき、テツノカチドキの手ごたえはバッチリで、いつでも交わせるだけの手ごたえはあった。だが、真ん中を突こうと思ったら、なかなか前が開かなかった。4コーナーを回り終えたときには、まだ内にいたので、中途半端な位置取りに終始せざるえなかった。それで外に持っていこうとしたが、他馬が壁になっていて動けなかった。さらに悪いことに、前にいた馬がバテてきて、前も壁になってしまったことだ」。
テツノカチドキはまだ6番手から7番手ぐらいに位置していた。手ごたえがあるのに動けないもどかしさ。ようやく這い上がってきたレースなのに、手ごたえは十分なのに、それでも仕掛けることができない。煩悶する心を抑え、ひたすら好機をうかがい待つ赤嶺。
「ゴールまであと1ハロン(200m)になっても、まだ引っ張っていた。前に行きたくてもまだ身動きが取れない状態が続くと同時に、ゴールが迫ってきた。『いやあ、まいった』と思った瞬間、前にほんのわずかな隙間が、目に飛び込んできた」。
おそらく時間にして、コンマ何秒の世界だろうか、いやもっと短いだろうか。プロのジョッキーにしか体感し得ない、一瞬の好機が一筋の光として、目に飛び込んでくるのである。
その瞬間、テツノカチドキは赤嶺の意思に呼吸するかのようにそのわずかな隙間に飛び込んでいき、ゴールまで己の前にいる全馬を一気に抜き去りゴールするのである。
結果的に追ったのはわずか『150m』足らず。たった150mで己の前をふさぐ全馬を抜き去る。行きたくても行けない、出たくとも出られない進路へのフラストレーションが、一気に爆発する。そして、信じられない脚を使い優勝したのだ。
一番の思い入れとは、そのプロフェッショナルな騎乗とテツノカチドキの脅威の末脚で手にした勝利だからである。

この勝利で、11月8日の東京王冠賞への出走が開ける。
「前の開催のいちょう賞ですごい勝ち方をして、この東京王冠賞で、初のクラシック組みという一線級と対戦して、どうなるかなあと思っていた。だが、そんなに甘くなかった……。9頭立ての6着だからね」。
優勝したのは、この勝利で3冠馬になったサンオーイであった。
赤嶺は後日、別の馬で青雲賞(現ハイセイコー記念)に出場するものの、返し馬の事故で指を骨折してしまう。そのため、テツノカチドキの鞍上は本間騎手に乗り替わることになった。これまでにも、赤嶺が所属する栗田厩舎の馬に騎乗するレースが、テツノカチドキのレースと重なれば秋吉騎手に乗り替わっていたのだが、今回は骨折というアクシデントでの乗り替わり。心中は複雑だったのではないだろうか。テツノカチドキも力を付けてきた矢先だったのだから。

完成されゆくパワー

赤嶺はケガから復帰したが、すぐにテツノカチドキの鞍上は回ってこなかった。乗り替わっていた本間騎手も結果を出していたからだ。赤嶺が手綱を取ったのは、11月の東京王冠賞以来5ヵ月ぶりの昭和59年4月11日、帝王賞であった。
この5ヵ月間、テツノカチドキの戦績は6戦中3勝、2着1回、5着1回、6着1回。勝率5割をマークし、賞金が出ない6着を除き、しっかりと稼いでもいるのである。
帝王賞では、残念ながら7頭立ての4着に終わっている。優勝馬からわずかコンマ5秒差であった。
惜しいレースは続く5月の大井記念でも同じであった。優勝したポートテンユウに敗れるものの1馬身差の2着。テツノカチドキは本格化する前の4歳。一方、5歳になり本格化したポートテンユウは絶好調時であった。
「当日は、降雨による重馬場でありながらよく走った。あと半年あれば、勝っていたと思う。まだテツノカチドキは、完成されたパワーが出し切れるほど成長していなかった。馬は4歳の秋になってからが本格化するものだしね。だからあと半年あったら勝っていたよ。レース内容は悪くはなかったし、頭数も少なかっただけに、惜しかった」。

成長段階でありながら、善戦するテツノカチドキのレース振りがもどかしい赤嶺。
「大差で負けることなく、そこそこ行くんだよ! このころ調教では当初のように、強い追い切りをしないというわけにはいかなくなった。条件が上に行けば行くほど、長めからも追うし、最後は気合をつけるような追い切りもするようになった。もちろん先生からの指示でね。たしかにオープンのレースで、馬なりというわけには行かないから。最初はそうでもなかったが、使い続けるうちに、時計もオープン馬の時計が出るようになった。もとが違う証拠なのだろう」。

次戦となる6月の中央競馬招待では、12頭立て6着だったが、前2戦同様、優勝馬からコンマ3秒差、1馬身半ほどの差で負けているのである。あともう一歩で、テツノカチドキは必ずや大物になる。そんなレースが4歳の夏までには多く見られる。
「これまでテツノカチドキは、無事名馬でケガや故障などはなかった。本当に丈夫な馬だった。仕上がりが遅いだけだったのだ。休養もしない、爪に問題を抱えたこともない、笹針(筋肉の凝りを直す治療)などもしなかった」。
大山も無茶なレースの指示はしていない。
「出たからにはハナへ行ってくれとか、気合を入れさせて仕掛けて行ってくれというような指示は一切なかった」。
馬に無理や負担を与えていないのである。

テツノカチドキ 血統表

牡 鹿毛 1980年3月25日生まれ 北海道荻伏・不二牧場生産
コインドシルバー(輸入) Herbager
Silver Coin
フジノアオバ マリーノ(輸入)
ブラツクフオレスト(輸入)

テツノカチドキ 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 着順 タイム
S57.12.4 大井 能力試験 800 赤嶺     53.3
12.24 大井 2歳 1000 秋吉 53 3 1:03.1
S58.1.19 大井 3歳 1200 赤嶺 54 6 1:15.6
2.7 大井 3歳 1400 赤嶺 54 1 1:30.3
2.27 大井 3歳 1400 赤嶺 54 3 1:29.9
3.8 大井 3歳 1500 秋吉 54 2 1:39.1
3.27 大井 3歳 1500 秋吉 54 1 1:35.8
4.16 大井 菜の花特別 1700 秋吉 54 7 1:51.2
4.30 大井 チューリップ賞 1700 赤嶺 54 4 1:50.8
5.27 大井 4歳 1600 秋吉 54 2 1:42.7
7.1 大井 菖蒲特別 1700 赤嶺 54 1 1:48.3
7.16 大井 天の川特別 1700 赤嶺 55 1 1:48.0
8.5 大井 江東特別 1700 赤嶺 55 2 1:47.7
9.13 大井 目黒特別 1800 赤嶺 55 1 1:55.9
10.17 大井 いちょう賞 1800 赤嶺 54 1 1:53.3
11.8 大井 東京王冠賞 2300 赤嶺 57 6 2:46.3
12.7 大井 グローリーカップ 1800 本間茂 54 1 1:54.4
12.21 大井 ディセンバー特別 1600 本間茂 52 1 1:39.7
S59.1.17 大井 新春盃 1800 本間茂 50 6 1:54.2
2.1 大井 ウインターカップ 2000 本間茂 55 1 2:04.9
2.27 大井 金盃 2000 本間茂 51 2 2:04.9
3.27 大井 江戸川特別 1800 本間茂 52 5 1:54.5
4.11 大井 帝王賞 2800 赤嶺 57 4 3:02.0
5.16 大井 大井記念 2500 赤嶺 53 2 2:38.9
6.19 大井 中央競馬招待 1800 赤嶺 56 6 1:53.0
7.9 川崎 報知オールスターカップ 2000 本間茂 55 2 2:07.3
8.7 大井 関東盃 1600 本間茂 54.5 3 1:39:0
9.26 船橋 NTV盃 2000 本間茂 55 4 2:07.5
10.31 大井 東京記念 2400 本間茂 54 2 2:32.6
11.23 大井 かちどき賞 1800 本間茂 55 1 1:50.4
12.25 大井 東京大賞典 3000 本間茂 56 1 3:13.3
S60.2.7 大井 金盃 2000 本間茂 58 3 2:06.6
2.25 川崎 川崎記念 2000 本間茂 58 2 2:08.0
4.18 大井 帝王賞 2800 本間茂 57 4 3:00.8
5.16 大井 大井記念 2500 佐々木 58 1 2:40.3
6.16 福島 地方競馬招待 芝1800 佐々木 57 1 1:48.0
7.3 川崎 報知オールスターカップ 2000 佐々木 57 2 2:06.6
8.1 大井 関東盃 1600 佐々木 59.5 1 1:39.5
9.25 船橋 NTV盃 2000 佐々木 60.5 2 2:05.4
10.31 大井 東京記念 2400 佐々木 60.5 2 2:33.9
12.6 大井 おおとり賞 2000 鷹見 60.5 2 2:07.0
12.28 大井 東京大賞典 3000 佐々木 56 3 3:14.6
S61.2.11 川崎 川崎記念 2000 桑島 60.5 3 2:10.2
3.4 大井 金盃 2000 佐々木 60.5 6 2:07.6
4.9 大井 帝王賞 2000 佐々木 55 5 2:06.7
5.14 大井 大井記念 2500 佐々木 60 1 2:39.4
6.18 川崎 報知オールスターカップ 2000 佐々木 57 2 2:07.2
8.1 大井 関東盃 1600 佐々木 61 4 1:41.7
9.21 中山 オールカマー 芝2200 佐々木 56 3 2:15.8
10.21 大井 東京記念 2400 佐々木 61 5 2:36.6
12.23 大井 東京大賞典 3000 佐々木 55 5 3:19.8
S62.1.28 大井 金盃 2000 石川 60.5 9 2:09.8
2.25 川崎 川崎記念 2000 佐々木 60 3 2:09.8
4.8 大井 帝王賞 2000 佐々木 55 1 2:07.5
6.17 大井 大井記念 2500 佐々木 61 6 2:44.5
7.15 川崎 報知オールスターカップ 2000 佐々木 57 4 2:08.4
9.20 中山 オールカマー 芝2200 佐々木 56 7 2:15.4
11.10 大井 東京記念 2400 鷹見 60 6 2:38.3
12.23 大井 東京大賞典 3000 佐々木 55 1 3:15.8

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。