不屈の闘志、尽きることのない挑戦 テツノカチドキ(全5話)
テツノカチドキと赤嶺本浩編
テツノカチドキは地方55戦、中央3戦の合計58戦を走り、優勝17回、2着が13回も数える。これほどまでに走り続けた理由とは……。
デビューは2歳の暮れ。入厩当初から体調が弱く、なかなか仕上がらなかった。明けて3歳時には年間16戦も走っている。仕上がれば、丈夫で、ケガなどもしない馬だった。
レースでは、大差勝ちは少なく、一方で大敗したレースも少ない。重賞初制覇がGI。中央へも挑戦し芝を制した。また、ジャパンカップへの出走をかけて名勝負を演じている。意外な雌伏の時間を経験し、周囲の予想とは裏腹に、感動的なラストランを生んだ。
この昭和60年前後は、南関東黄金時代。サンオーイ、スズユウ、ロッキータイガー、トムカウント、キングハイセイコー、カウンテスアップ、ハナキオーといった多くの英雄たちが誕生した。テツノカチドキもこの黄金時代を支えた1頭である。
日本が世界に誇る偉大なジョッキーは、一番思い出に残る馬だと公言する。
これはテツノカチドキが引退する7歳までに走った58戦の蹄跡物語である。
2歳暮れのデビュー
昭和57年、テツノカチドキが大山末治厩舎に入厩したとき、もう1頭の有力馬と一緒に入厩した。テツノカチドキについてはソコソコ走ってくれれば、という思いがあった。だれもがこの500kgを超える鹿毛の大きな馬が生涯58戦も走るとは想像していなかった。
当時、大山厩舎には、所属騎手のほかに栗田厩舎に所属する赤嶺本浩騎手(現調教師)も、大山厩舎の馬でレースに出走したり、調教を担当していたのである。テツノカチドキは、入厩当初から赤嶺に託されるようになった。
「私は栗田厩舎の所属でしたが、大山厩舎の馬にも何頭か乗せてもらっていたり、攻め馬をしていたりしたから、テツノカチドキが入厩したときから毎日調教していた。だから、能力試験も任されて、レースに出るようにもなった。自厩舎の馬に乗らなければならないときには、乗り替わっていたね」。
テツノカチドキの最初の印象を赤嶺は、
「馬っぷりはよかったね。最初からパワーはあるなと思った。ただ腰が少し軽いようだった。それに『ゴホン、ゴホン……』とセキばかりしていて、なかなか思うように調教が進まなかった。1日の攻め馬で20回から30回もセキを繰り返すのだ。そのセキが半年ぐらい続いたかな。そのため思うように調教ができず、仕上がりがずいぶん遅くなったよ」。
それでも、2歳の暮れには、何とか仕上がるのである。その大きな要因は、大山末治調教師の育成方法にあると赤嶺は指摘する。
「大山先生は軽めに仕上げるほうだから。馬なりでの調教方針だから、ビシッと追ったりしたら、嫌がるような先生だった」。
だから当然、テツノカチドキに対しても、強い追い切りをさせるようなことはしなかったのだ。急いで仕上げるようなことはせずに、じっくりと馬任せに仕上げていったのである。
その甲斐合って、セキは静まり、徐々に仕上がっていったのだ。ただ、500kgオーバーの巨体をどこかもてあますようなところはあったようだ。
能力試験が行われたのは、2歳の暮れの12月4日。800mを53秒3のタイムで合格している。
「能力試験では、それほどすごいなと思うことはなった。なにぶん体が大きく、その体をもてあますようなところがあったから。だからゲートが開いたら“グワー”と行くようなところはなかった」。
デビューレースは、この能力試験の20日後、クリスマスイブの24日であった。これは地方競馬の所属馬としてはかなり遅い。中央競馬所属馬と違って、地方馬はすぐにでも結果を求められる。それでもじっくりと調教されたのは、テツノカチドキの潜在パワーを大山と赤嶺が見抜いていたからにほかならない。
赤嶺の口から何度もテツノカチドキがいかに頭がよかったか、という言葉が出て止まない。
レースを繰り返すたびに、まるで、成長曲線をなぞるかのようにテツノカチドキは、赤嶺の手綱にこたえるようになる。
「走るたびにだんだんよくなっていき、3歳から4歳にかけて、だいぶ反応できるようになった。ただ、ゲートは下手ではないけれど、うまくはなかった。腰の影響があると思うね」。
ゲートを出てのダッシュに難題は残していた。だからといって、馬を追い立てるようなレースをしていたのでは、とても年間16戦も持たないだろう。
大山は調教だけでなくレースにおいても、「馬本位で行くように」という方針を持っていた。
「先生の指示が適切だった。私も馬任せでいつも乗っていたからね。そうじゃなければ、これだけ走るようなことはないだろう」。
3歳時の年間16戦中、優勝8回、2着3回、3着1回。勝率50%、連対率68.7%という数字はすばらしいとしか言いようがないものだ。さらに、賞金が出る5着までの入着が14回を数える。丈夫でいて賞金も稼ぐ。後に地方所属馬初となる獲得賞金3億円を突破する偉業の試金石は、このころからあったのではないだろうか。
(いちょう賞編へ続く)
テツノカチドキ 血統表
牡 鹿毛 1980年3月25日生まれ 北海道荻伏・不二牧場生産 | |
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コインドシルバー(輸入) | Herbager |
Silver Coin | |
フジノアオバ | マリーノ(輸入) |
ブラツクフオレスト(輸入) |
テツノカチドキ 競走成績
年月日 | 競馬場 | レース名 | 距離(m) | 騎手 | 重量(kg) | 着順 | タイム |
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S57.12.4 | 大井 | 能力試験 | 800 | 赤嶺 | 53.3 | ||
12.24 | 大井 | 2歳 | 1000 | 秋吉 | 53 | 3 | 1:03.1 |
S58.1.19 | 大井 | 3歳 | 1200 | 赤嶺 | 54 | 6 | 1:15.6 |
2.7 | 大井 | 3歳 | 1400 | 赤嶺 | 54 | 1 | 1:30.3 |
2.27 | 大井 | 3歳 | 1400 | 赤嶺 | 54 | 3 | 1:29.9 |
3.8 | 大井 | 3歳 | 1500 | 秋吉 | 54 | 2 | 1:39.1 |
3.27 | 大井 | 3歳 | 1500 | 秋吉 | 54 | 1 | 1:35.8 |
4.16 | 大井 | 菜の花特別 | 1700 | 秋吉 | 54 | 7 | 1:51.2 |
4.30 | 大井 | チューリップ賞 | 1700 | 赤嶺 | 54 | 4 | 1:50.8 |
5.27 | 大井 | 4歳 | 1600 | 秋吉 | 54 | 2 | 1:42.7 |
7.1 | 大井 | 菖蒲特別 | 1700 | 赤嶺 | 54 | 1 | 1:48.3 |
7.16 | 大井 | 天の川特別 | 1700 | 赤嶺 | 55 | 1 | 1:48.0 |
8.5 | 大井 | 江東特別 | 1700 | 赤嶺 | 55 | 2 | 1:47.7 |
9.13 | 大井 | 目黒特別 | 1800 | 赤嶺 | 55 | 1 | 1:55.9 |
10.17 | 大井 | いちょう賞 | 1800 | 赤嶺 | 54 | 1 | 1:53.3 |
11.8 | 大井 | 東京王冠賞 | 2300 | 赤嶺 | 57 | 6 | 2:46.3 |
12.7 | 大井 | グローリーカップ | 1800 | 本間茂 | 54 | 1 | 1:54.4 |
12.21 | 大井 | ディセンバー特別 | 1600 | 本間茂 | 52 | 1 | 1:39.7 |
S59.1.17 | 大井 | 新春盃 | 1800 | 本間茂 | 50 | 6 | 1:54.2 |
2.1 | 大井 | ウインターカップ | 2000 | 本間茂 | 55 | 1 | 2:04.9 |
2.27 | 大井 | 金盃 | 2000 | 本間茂 | 51 | 2 | 2:04.9 |
3.27 | 大井 | 江戸川特別 | 1800 | 本間茂 | 52 | 5 | 1:54.5 |
4.11 | 大井 | 帝王賞 | 2800 | 赤嶺 | 57 | 4 | 3:02.0 |
5.16 | 大井 | 大井記念 | 2500 | 赤嶺 | 53 | 2 | 2:38.9 |
6.19 | 大井 | 中央競馬招待 | 1800 | 赤嶺 | 56 | 6 | 1:53.0 |
7.9 | 川崎 | 報知オールスターカップ | 2000 | 本間茂 | 55 | 2 | 2:07.3 |
8.7 | 大井 | 関東盃 | 1600 | 本間茂 | 54.5 | 3 | 1:39:0 |
9.26 | 船橋 | NTV盃 | 2000 | 本間茂 | 55 | 4 | 2:07.5 |
10.31 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 本間茂 | 54 | 2 | 2:32.6 |
11.23 | 大井 | かちどき賞 | 1800 | 本間茂 | 55 | 1 | 1:50.4 |
12.25 | 大井 | 東京大賞典 | 3000 | 本間茂 | 56 | 1 | 3:13.3 |
S60.2.7 | 大井 | 金盃 | 2000 | 本間茂 | 58 | 3 | 2:06.6 |
2.25 | 川崎 | 川崎記念 | 2000 | 本間茂 | 58 | 2 | 2:08.0 |
4.18 | 大井 | 帝王賞 | 2800 | 本間茂 | 57 | 4 | 3:00.8 |
5.16 | 大井 | 大井記念 | 2500 | 佐々木 | 58 | 1 | 2:40.3 |
6.16 | 福島 | 地方競馬招待 | 芝1800 | 佐々木 | 57 | 1 | 1:48.0 |
7.3 | 川崎 | 報知オールスターカップ | 2000 | 佐々木 | 57 | 2 | 2:06.6 |
8.1 | 大井 | 関東盃 | 1600 | 佐々木 | 59.5 | 1 | 1:39.5 |
9.25 | 船橋 | NTV盃 | 2000 | 佐々木 | 60.5 | 2 | 2:05.4 |
10.31 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 佐々木 | 60.5 | 2 | 2:33.9 |
12.6 | 大井 | おおとり賞 | 2000 | 鷹見 | 60.5 | 2 | 2:07.0 |
12.28 | 大井 | 東京大賞典 | 3000 | 佐々木 | 56 | 3 | 3:14.6 |
S61.2.11 | 川崎 | 川崎記念 | 2000 | 桑島 | 60.5 | 3 | 2:10.2 |
3.4 | 大井 | 金盃 | 2000 | 佐々木 | 60.5 | 6 | 2:07.6 |
4.9 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 佐々木 | 55 | 5 | 2:06.7 |
5.14 | 大井 | 大井記念 | 2500 | 佐々木 | 60 | 1 | 2:39.4 |
6.18 | 川崎 | 報知オールスターカップ | 2000 | 佐々木 | 57 | 2 | 2:07.2 |
8.1 | 大井 | 関東盃 | 1600 | 佐々木 | 61 | 4 | 1:41.7 |
9.21 | 中山 | オールカマー | 芝2200 | 佐々木 | 56 | 3 | 2:15.8 |
10.21 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 佐々木 | 61 | 5 | 2:36.6 |
12.23 | 大井 | 東京大賞典 | 3000 | 佐々木 | 55 | 5 | 3:19.8 |
S62.1.28 | 大井 | 金盃 | 2000 | 石川 | 60.5 | 9 | 2:09.8 |
2.25 | 川崎 | 川崎記念 | 2000 | 佐々木 | 60 | 3 | 2:09.8 |
4.8 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 佐々木 | 55 | 1 | 2:07.5 |
6.17 | 大井 | 大井記念 | 2500 | 佐々木 | 61 | 6 | 2:44.5 |
7.15 | 川崎 | 報知オールスターカップ | 2000 | 佐々木 | 57 | 4 | 2:08.4 |
9.20 | 中山 | オールカマー | 芝2200 | 佐々木 | 56 | 7 | 2:15.4 |
11.10 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 鷹見 | 60 | 6 | 2:38.3 |
12.23 | 大井 | 東京大賞典 | 3000 | 佐々木 | 55 | 1 | 3:15.8 |
副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。