第71回 帝王賞 [JpnI]
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レースヒストリー

TEIO SHO

 上半期ダート競馬界古馬の頂上決戦と位置付けられている帝王賞。創設当初は2800メートルで行われていたレースだが、第9回から現行の2000メートルとなり、第18回より指定交流競走として実施。今年で指定交流競走となって30周年を迎えた。JRA・地方から精鋭が揃い、チャンピオンディスタンスと呼ばれる大井2000メートルでの力比べ。ナイター照明のスポットライトを浴びながら繰り広げられる戦いは、これまで幾多もの名勝負が存在している。

 この原稿の執筆依頼を頂いて、真っ先に思い浮かんだ私にとって思い出の帝王賞と言えば…。

 2006年に船橋のアジュディミツオーが制した第29回帝王賞。

 少し私的な話をさせて頂くと、ケイシュウNEWSに入社したのが同年の4月。当時は編集部所属で、水曜の重賞日は仕事の後にナイターで行われている大井競馬場によく足を運んでいた。スタンド上段にある『記者席』という名の特等席からの眺めは、当時の私にとっては絶景だった。

 レースの話に戻れば1番人気はJRAのカネヒキリ。前年に大井で行われたジャパンダートダービーでGⅠを初勝利すると、ダービーグランプリ、ジャパンカップダート、フェブラリーステークスとGⅠタイトルを上乗せ。前走ドバイワールドカップは4着に健闘しており、国内に戻れば人気の中心に推させるのも納得の実績。2番人気が船橋、川島正行厩舎所属のアジュディミツオー。前年の東京大賞典で1年ぶりの勝利を挙げて同レースの連覇を飾ると、年明けから川崎記念、かしわ記念と指定交流のGⅠレースを勝利。フェブラリーステークスでは勝ったカネヒキリから1秒1差の7着と敗れており、人気の面では後塵を拝す形。

 ジョッキーに注目すると、カネヒキリに騎乗したのは武豊騎手。当時は無敗の3冠馬ディープインパクトの現役4歳シーズン。JRAでは不動のリーディングジョッキー。アジュディミツオーに騎乗したのは内田博幸騎手。現在はJRAの騎手だが、この時は移籍前で大井所属の騎手。’06年の内田博幸騎手は地方競馬だけで463勝をマークして、地方リーディーングを獲得。2位の的場文男騎手が267勝だったことを考えれば圧倒的な数字。更に付け加えると、’06年の内田博幸騎手はJRAでの勝利を合わせて年間524勝をマーク。佐々木竹見元騎手の持つ年間騎乗最多勝利日本記録を更新する大活躍のシーズン。

 大歓声の中でJRA・地方を代表する馬、騎手による2分2秒1のドラマが幕を開ける。

 逃げたのは大方の予想通り内枠を引いたアジュディミツオー。カネヒキリもスタートを決めるとゴール板前では一旦アジュディミツオーの後ろに入って3番手だが、コーナーワークで向正面に入る頃には、外2番手で約2馬身前を走るアジュディミツオーをマークする形。ここから先は互いの動きを見ながら時が進み、4コーナー手前でアジュディミツオーの後方に忍び寄るカネヒキリ。アジュディミツオーはラチ沿いをロスなく運んで直線へ。引き離したいが突き離せない、捕まえたいが差が縮まらない。3番手のサイレントディールが前2頭に迫ろうとするが、差は広がる一方。アジュディミツオーとカネヒキリ、人気馬2頭の一騎打ち。

 ラスト1ハロンのハロン棒を切るあたりで…。

 『勝ちたい内田、負けられない武豊』

 これは当時、場内で流れていた実況のワンフレーズ。レースから約20年経とうとしているが、この言葉はすぐに思い出せるくらい私にとってはインパクトのあるメッセージだった。

 両雄のデッドヒートに決着がついて、アジュディミツオーが1馬身のリードを守って優勝。ゴール直後に高々と左腕を上げる内田博幸騎手。勝ち時計の2分2秒1は当時のコースレコード。陣営の執念で掴み取った勝利だろう。そしてこの勝利がアジュディミツオーにとって現役最後の勝利となり、’09年の帝王賞10着がラストランとなった。

 隔年で勝利している馬はいるが、レースを連覇したことがあるのは’22&’23年のメイショウハリオのみ。2011年より14年連続でJRA勢が勝利しており、地方馬の優勝はフリオーソまで遡らないといけない。執筆段階では出走予定馬は発表前だが、今年は各地の交流重賞でも地方馬の活躍が目についており、悲願達成なるか。はたまた、強力なJRA勢が連勝を15に延ばすか。レース当日を楽しみに待ちたい。

 もうひとつ付け加えるなら、帝王賞が指定交流で行われるようになってから初めての7月決戦。7月2日、是非大井競馬場で熱戦を楽しんで頂きたい。


ケイシュウNEWS 藤田 裕之