第71回 帝王賞 [JpnI]
トップページ

帝王賞について

TEIO SHO

帝王賞の歴史

イメージ
第23回JBCクラシック(令和5年)以来のJpnⅠ勝利を果たしたキングズソード号。

 第1回の帝王賞が施行されたのは昭和53年。創設当初から上半期の古馬チャンピオン決定戦と位置付けられているレースだ。第9回(昭和61年)からはJRA所属馬が出走可能な中央競馬招待競走に、第18回(平成7年)からは地方競馬の他地区に所属する馬も出走可能な指定交流競走となった。JRAとの交流、さらには地区間での交流が全国的な盛り上がりを見せたこともあり、平成9年からはダートグレード競走がスタート。帝王賞は同年の第20回からGⅠ(現在の表記はJpnⅠ)に格付けされている。

 第1回(昭和53年)からは第18回(平成7年)までは4月に施行されていたが、第19回(平成8年)以降は施行時期が6月中旬~下旬に改められた。7月上旬の開催となるのは、本年の第71回(令和7年)が初めてだ。なお、第1回(昭和53年)から第8回(昭和60年)までは2,800mのコースで施行されていたものの、第9回(昭和61年)以降は現在と同じ2,000mのコースで施行されている。

 1着賞金は第45回(令和4年)から8,000万円となった。これは第24回(平成13年)から第27回(平成16年)までと並ぶ歴代最高額である。複数回の優勝経験がある馬は、第11回(昭和63年)と第14回(平成3年)を制したチャンピオンスター、第31回(平成20年)と第33回(平成22年)を制したフリオーソ、第36回(平成25年)と第38回(平成27年)を制したホッコータルマエ、第45回(令和4年)と第46回(令和5年)を制したメイショウハリオの4頭。“連覇”、すなわち2年連続の優勝を果たしたのはメイショウハリオが初めてだった。

 出走資格があるのはサラブレッド系4歳以上の地方競馬選定馬およびJRA選定馬。負担重量は牡馬が57kg、牝馬が55kgで、南半球産の4歳馬は1kg減となる。なお、同年のかしわ記念で2着以内となった地方所属馬、同年の大井記念で2着以内となった馬には、それぞれ当レースへの優先出走権が付与される。


コース紹介

2,000m

 北米を中心に発展してきたダート競馬においては、2,000mがチャンピオンディスタンスとされてきた。大井ダ2,000mも、この東京大賞典や東京ダービー(JpnⅠ)・帝王賞(JpnⅠ)といったTCKの主要競走が施行されるコースとしておなじみだ。

 スタート地点は第4コーナー付近で、スタンド前の直線を通過した後に、全長1,600mの外回りコースを1周してゴールに達する。スタート直後に400m以上の直線部分があるため、隊列が整いつつある状態で1コーナーに入る展開となりやすい。馬場状態などの影響があるとはいえ、コースレイアウトとしては枠順による有利・不利が出にくい形態である。ゴール直前の攻防はもちろん、レース序盤のポジション争いもスタンド前の直線で行われることから、現地観戦の醍醐味を存分に味わうことのできるコースと言えそうだ。

 なお、南関東4場(浦和・船橋・大井・川崎)のうち、右回りのレースが施行されているのはこの大井競馬場だけ。また、JRAでダ2,000mのレースが施行されているのは、平成18年以降に限ると阪神競馬場のみである。類似のコースが少ない分、適性や経験が明暗を分けることになるかもしれない。

 令和7年5月末時点における大井ダ2,000mのレコードタイムは、第56回(平成22年)の東京大賞典で優勝馬のスマートファルコンが記録した2分0秒4だ。


伊吹雅也