第27回 ジャパンダートクラシック [JpnI]
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レースヒストリー

Japan Dirt Classic

 今年で第27回を数えるジャパンダートクラシック。3歳の指定交流競走という条件は変わらないが、この名称で行われるのは2024年の第26回から。同年に〝ダート三冠〟が創設され、羽田盃、東京ダービーに続く最終戦となって改称された。実施時期も10月に移動。1999年の第1回から2023年の第25回まではジャパンダートダービーの名称で7月に行われていた。

 秋の大井競馬場を舞台に争う3歳の指定交流競走というと、1996年に第1回が行われたスーパーダートダービーを思い出す。ジャパンダートダービーの前身にあたる重賞で、1998年の第3回まで指定交流競走で行われていた。当時の筆者は岩手競馬の専門紙に勤務。岩手からも参戦があった1996年の第1回と1997年の第2回は取材で大井競馬場に出張していた。1997年に参戦したのは同年の東北ダービーと不来方賞を圧勝したメイセイオペラ。当時は、秋に中山競馬場でユニコーンステークス、盛岡競馬場でダービーグランプリが行われていて、大井競馬場のスーパーダートダービーと合わせて〝ダート三冠〟を形成していた。これにすべて挑もうとしていたのだが、その矢先に馬房で前頭骨を骨折するまさかのアクシデント。ユニコーンステークスは回避を余儀なくされ、続くダービーグランプリで戦列に復帰したものの10着、スーパーダートダービーでも巻き返せず10着に敗れた。

 その悔しさだけが残る1997年に対して、創設年の1996年には様々な記憶がある。この年はユニコーンステークス、スーパーダートダービー、ダービーグランプリの順に行われ、ユニコーンステークスを制したJRAのシンコウウインディがスーパーダートダービーに転戦してきた。ところが、同馬が3番人気になるようなメンバーがそろった。1番人気に推されたのは皐月賞を制したJRAのイシノサンデー。芝のクラシックホースの転戦というだけでも注目されていたが、鞍上に船橋の名手、石崎隆之騎手が起用されたことで、さらに注目を集めていたように思う。デビュー5戦目にダート変更となったジュニアカップを勝ち、初ダートではなかったことも人気を後押ししていたかもしれない。2番人気はJRAのザフォリア。こちらもダートで初勝利を挙げ、その後に京都4歳特別(現在の京都新聞杯)を制したほか、函館記念で古馬を相手に2着と好走するなど、芝中心の実績で転戦してきた。

 しかし、そんな第1回を制したのは大井のサンライフテイオー。地元の伏兵が皐月賞の覇者もユニコーンステークスの覇者も退けた。春の〝南関東三冠〟では1800mの羽田盃が2着、2000mの東京王冠賞が3着、2400mの東京ダービーが4着という成績だったが、水の浮く馬場を味方に2000mで逃げ切りを決めた。ユニコーンステークスからではなく、前走は古馬を相手に1200mの東京盃に出走して12着という臨戦過程。9番人気の低評価もあってか後続のマークが緩んだようにも思うが、高橋三郎騎手のペース配分も絶妙だったのだろう。

 2着に敗れたシンコウウインディの負け方も衝撃的だった。差し切りそうな勢いで2番手に上昇して直線に向いたが、ゴールの手前で内のサンライフテイオーに噛みつこうとして鞍上に制止されるまさかの展開。その失速でゴールでは差が1馬身に開いた。

 イシノサンデーは最後に外に切り返して差を詰めたが3着に終わった。2番枠から内々の3番手で運ぶと、勝負どころで後続が外から上昇。そのまま4コーナーで最内を突いた。だが、一気に抜け出す脚がなく、直線の半ばでは前でサンライフテイオーが粘りに粘り、それを外から抜きそうで抜かないシンコウウインディとのポケットにはまってしまった。

 それらのレース内容や結果もさることながら、勝負服も記憶に残る。今でこそ重賞での馬主服の使用は所属を問わないが、当時はJRAの所属馬だけが馬主服で出走していた。ところが、イシノサンデーの石崎隆之騎手とチアズサイレンスの山崎尋美騎手が着ていたのは、馬主服ではなく枠色の貸服。当時の大井競馬場ではJRAの所属馬に地方競馬の所属騎手が騎乗する場合、馬主服も騎手服も使用できないルールになっていたからとのことだが、今思えば指定交流競走の黎明期らしい出来事だ。この他にも当時にしかなかったことといえば、発表される馬場状態の違いだろう。水の浮く馬場ともなると、現在なら当然、不良だが、この日は重。大井競馬場の馬場状態に不良がなかった時代。どんなに道悪になろうとも発表は重までだった。

 取材対象の結果はと言うと、水沢競馬場のひまわり賞(オークス)を制して岩手から参戦したエムティエムディは14着。並みいる牡馬を相手に残念ながら最下位に終わったが、小柄な牝馬の果敢な挑戦のおかげで現地で観戦できた第1回のスーパーダートダービーは、今でも脳裏に焼きついている。


牛山 基康