第71回 東京ダービー [JpnI]
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レースヒストリー

TOKYO DERBY

 昨年より“ダート三冠”の二冠目として名実ともにダート競馬のダービーとなった東京ダービー。これまで数多の名勝負が繰り広げられ、そして語り継がれてきた。その中でも「ある意味」大きなインパクトを与えたのが、2016年の東京ダービーだろう。

 結果から言えばJRAから転入初戦で3番人気におされていたバルダッサーレが勝った。ディーズプリモとウワサノモンジロウが先頭、2番手で、5ハロン61秒0のハイペース。1番人気の羽田盃馬タービランスは3番手追走と二冠に向け万全の位置取りに思えたが、あまりにもペースが速すぎて先行していた2頭が早々に後退し、押し出されるように3コーナー先頭。

 バルダッサーレは早めに進出したが、実は「ハミが掛かって持っていかれた」と吉原騎手。しかしそのままタービランスをまくって先頭に立つと、直線は独走で2着に7馬身差の快勝。混戦の2着は出走15頭中ブービー人気のプレイザゲームが、後方追走から、直線ポッカリ空いた内を抜けてきた。3着はなんとか粘ったタービランスが追撃するトロヴァオをハナ差しのいだ。

 管理する中道啓二調教師は開業約1年半で重賞初勝利、吉原寛人騎手は2014年のハッピースプリントに続き、東京ダービー2勝目。三連単70万5,810円の大波乱だったが、波乱はそれだけではなかった。転入初戦でのダービー制覇について競馬関係者やファンの間で物議を醸したのだ。

 かつて大井競馬は転入後1走しないと重賞には申し込み出来なかった。それが1994年からハイセイコー記念や京浜盃、黒潮盃等が緩和され、その後さらに緩和されていった。多くは他地区からの転入だが、JRAからの転入も東京ダービーでは2012年の2着馬プーラヴィーダと、11着のメビュースラブが転入初戦で出走しているし、他に2011年羽田盃のルーズベルト(9着)も転入初戦で出走していて、すでにその流れはあった。

 要因はいくつか考えられるが、JRAの3歳ダート路線に適当な番組がなかったことや、JRA GⅢ並みの1着賞金4,200万円、さらにJRAに再転入出来るようになったことなどが大きい。それらにより、地方競馬の重賞が視野に入ってきたのだろう。結局のところ勝つのは時間の問題だったのだが、やはり東京ダービーを転入初戦で勝たれるのは、なにか「聖域」を侵されたかのような印象を抱いたファンや関係者が多かったのだろう。

 90年代に入ってアウトランセイコー以降、道営(ホッカイドウ競馬)からの転入馬が増えて、既に南関東クラシックを席巻していた。さらに90年台後半にはJRAからの転入も増え、2016年は取り消したラブレオも含め、16頭中10頭が転入馬、南関東生え抜き最先着馬は7着のサブノクロヒョウだった。

 2019年の東京ダービーからは「出走馬の決定方法」が見直され、それまで優先出走権を持つ馬の他は収得賞金順で決められていたものが、「地方競馬所属時に収得した賞金」に変更された。「中央競馬所属時に収得した賞金」がカウントされなくなり、東京ダービー出走を目指すJRAからの転厩馬は、ダービー前に地方競馬で賞金を加算するか、優先出走権を得なければならなくなった。

 スポーツのルールに人名を冠するものがある。それはそのルールが特定の選手によって作られたり、その選手がそのルールを象徴したりするような場合に起こる。例えば、野球の「大谷ルール」や「ポージー・ルール」、テニスの「シューゾー・マツオカルール」だ。東京ダービーの出走馬の決定方法の見直しも、ある意味象徴的な出来事のひとつと言えなくもない。ダートグレード競走となった2024年時点では、JRAからの転入馬について、「①中央所属時に獲得した賞金については、上記(地方所属時)の総収得賞金には加算しない。②中央(JRA)からの転入初戦馬は、3歳ダート三冠競走には出走できない」と定められている。

 バルダッサーレはその後も南関東で走り、重賞こそ勝てなかったがオープンで2勝。戸塚記念、サンタアニタトロフィーで2着と活躍した。6歳夏にホッカイドウ競馬に移籍。3連勝で瑞穂賞を制し重賞2勝目。南関東、北海道を行き来した後、8歳夏、盛岡の文月特別2着まで走り切った。


日刊競馬 小山内 完友