第49回 帝王賞 [JpnI]
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レースヒストリー

TEIO SHO

 ダートグレード競走上半期の総決算「帝王賞」の季節が今年もやってきた。

 中央競馬招待競走となったのが1986年、中央・地方全国指定交流競走に指定されたのが1995年、ダートグレード競走の統一GⅠに格付けされたのが1997年、日本がパートⅠに昇格し、格付の表記がJpnⅠに変更されたのが2007年。39年もの長きに渡り「春のチャンピオン決定戦」としての地位を担ってきている。

 2010年のフリオーソを最後に中央勢が15年連続で勝利しているが、かつては中央所属馬と地方所属馬が互角の勝負を繰り広げていた。そんな頃の話である。

 2001年の帝王賞。登録段階から盛り上がりをみせる。ドバイワールドカップ2着のトゥザヴィクトリー、フェブラリーステークス馬ノボトゥルー、菊花賞馬エアシャカールらが名を連ね、笠松からオグリキャップ記念を制したハカタビッグワン。しかし、故障などで次々と回避し、最後の最後にトゥザヴィクトリーも回避。南関東勢もゴールドヘッド、アローセプテンバー、サプライズパワーの名がなく、期待から一転、寂しい顔ぶれとなったことは否めない。

 結果的に前年の1・2着馬ファストフレンドとドラールアラビアンが1・2番人気となった。

 先手を奪ったのは3番人気のイナリコンコルド。鞍上は内田博幸騎手。「次世代を担う期待の若手」と言われていて、実際3年後に南関東リーディングとなり「石崎・的場時代」に終止符を打った。

 レースは前半36秒1の平均ペース。向正面で息を入れたかったが、サンデーツヨシとトーホウエンペラーにかかり気味に並びかけられ、苦しくなった。

 3コーナー。タマモストロングとワールドクリークが進出、一方で昨年の覇者ファストフレンドの手ごたえが怪しい。ドラールアラビアンは後方でもがいている。

 直線に入り粘るイナリコンコルドを交わしにかかるインテリパワー、その外から一気に抜け出したのが7番人気のマキバスナイパーだ。好位4~5番手のインに身を潜め、勝負どころでスムーズに馬群を割ってきた。
 残り1ハロンでリージェントブラフが、大外から上がり37秒5の末脚で矢のように飛んできたが大勢はマキバスナイパーで決していた。

 鞍上はケント・デザーモ騎手。「調教師の指示通り好位からの競馬になったが、マキバスナイパーは指示に忠実に従ってくれる馬です。4コーナーで前が詰まっても、怯むことなく馬群を突き抜けてくれました。よく調教されて乗りやすい馬です」と。

 家族の治療も兼ねて中央競馬で短期騎乗のため来日。期間終了後に地方競馬の短期免許を取得し、船橋の川島正行厩舎所属としてこの日から騎乗していた。騎乗馬を探している話を聞いたオーナーが騎乗を依頼したという経緯があった。本来の主戦である左海誠二騎手に後にこの件をこっそり聞いたら、左海騎手自身もこの時のスナイパーのデキには自信があったと悔しさを滲ませながら語ってくれた。

 実際に追い切りも船橋でみていたが、前走の大井記念で減っていた体も戻り(レース当日+17キロ)、動きも良くなっていた。スタンドで一緒にみていた岡林調教師も「ヨシッ!」と仕上がりに自信を持っていた。その通りに、大井2000mの持ちタイムを1秒4短縮する走り。岡林師もレース後に「正直この時計で走ってきてびっくりしている」と。

 マキバスナイパーは父ペキンリュウエンというギャラントマン系のマイナー種牡馬の産駒。重賞を勝った産駒はスナイパーの他には91年高崎皐月賞に勝ったディスプレジャーのみである。母はスコールディングでスナイパーの半姉マキバサイレント(父ベリファ)も97年のクイーン賞に勝つなど活躍した。地味ながらも生産を続けてきた千葉新田牧場の成果だろう。

 あれから25年、EQUIBASEで調べたらケント・デザーモ騎手はいまだ現役で、本稿執筆時点で5勝を挙げている。岡林光浩調教師は勇退、千葉新田牧場も生産をやめている。時の流れを感じざるを得ない。記憶の補填に当時の新聞を引っ張り出した。「夜8時 真の帝王が目覚める」という見出しがついている。私の予想は○△だった。そこだけはあまり変わってないなと思う。

 今年の「帝王」はどの馬か。夜が待ち遠しい。


日刊競馬 小山内 完友