image

image

「競馬場に寄っていかないか――」  2003年6月25日。その日は通常業務の後、次に行われる船橋競馬の資料作りに励んでいた。資料を受け取りに来社していた船橋担当の先輩TMと退社時間が重なり、帰る方向が同じということで車で送っていただくこととなった。長時間働いていたため、車内でうつらうつらしていた……と、その時。
「競馬場に寄っていかないか。帝王賞だし」
「――まあ、いいですよ」
 送っていただいている手前、断ることもできず、途中、船橋競馬場へ立ち寄ることに。車を降り、通用門を通り、競馬場内の専門紙記者席へ。到着するとすぐさま先輩はブラウン管のスイッチに手を伸ばした。そこに映し出されたのは、ひと際輝く単勝「1・1」。
 乗り気でなかったもうひとつの要因。それは、圧倒的1番人気ゴールドアリュールの存在。しかも、東京大賞典、フェブラリーSでこれに次いだビワシンセイキが2番人気では馬券妙味がなく、興味が沸かなかったのだ。
 レースが始まった。大本命は労せず番手にとりつき、折り合いスムーズ。必勝態勢に持ち込み、あとはどこで先頭に立つかだけ。ビワシンセイキも好位4~5番手。向正面では銀行レースの予感しかしなかったのだが。
 直線に向くやいなや、モニター越しに聞こえていた大歓声が悲鳴へと変わる。栗毛の王者は推進力を失い馬群の中へ。対抗馬も自慢の末脚が弾けることなく2着が精一杯。その4馬身前方では終始、ハナを譲らなかった5歳牝馬が悠々とゴール。予想だにしなかった大波乱に興奮し、疲労感も吹き飛んだ。
 「ネームヴァリューかあ。いいとは聞いていたんだけど……」川島正行厩舎担当だった先輩が呟く。が、二言目が続かない。恐らく、このメンバーで強くは推せなかったのだろう。96年にホクトベガ、00年にファストフレンドが優勝。当時、男勝りは珍しくなかったが、これ以降、牝馬による帝王賞制覇は1度もない。時がこの偉業の価値を上げている。
 ネームヴァリューは02・03年NARグランプリ最優秀牝馬、03年は年度代表馬にも選出。それらを記念して造られた品を先輩からいただいた。そこには、晴れ晴れしい表情で愛馬の口を取る川島調教師、主戦の佐藤隆騎手の姿が。18年の歳月が流れ、両氏は鬼籍に入られ、あの夜、取材の成果を結びつけられず、悔しそうな表情を浮かべた先輩も不帰の客となられた。時代も環境も大きく変化したが、それでも、記念の品を見るたび思い出し、あらためて胸に刻むのだ。あの夜の出来事と“競馬に絶対はない”というありふれた格言を。

競馬ブック 善林 浩二