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今年の東京ダービーに出走予定のチサット。道営から南関東クラシックを目指して移籍し3戦目の京浜盃を制覇。第一冠の羽田盃では一番人気に推されていた。
 チサットの血統背景にある南関東の名牝たち。東京ダービーに牝馬ながら挑戦し一番人気を背負った母たちの悲願のストーリーを辿ってみよう。

チサットは母ネフェルメモリーの6番仔になるが、母は東京2歳優駿牝馬、桜花賞、東京プリンセス賞を逃げ切った快速馬。牝馬二冠馬が第55回東京ダービーに出走すると一番人気に推された。
 好スタートを決めハナに立って軽快に飛ばしていると、向正面から早めに動き出したのは人気を分け合っている同じ川島正行厩舎のナイキハイグレード。2頭で決まるかと思われたところへ後続勢が強襲。オーバーペースで最後は一杯になりながら、それでも4着に粘ったのは健闘と言っていいだろう。
 遡ること二代母のカシワズプリンセスも1992年の第38回東京ダービーで一番人気に推された。東京2歳優駿牝馬を勝つと牡馬戦線へと挑み、京浜盃では6馬身ぶっちぎり。次のステップ黒潮盃も勝って羽田盃へと進んだ。好位からじわじわポジションを上げ、4コーナーでは逃げるナイキゴージャスに並びかけてあと150mでふり切ってゴール。ロジータを上回る好タイムで第一冠を制した。次なる東京ダービーで圧倒的一番人気を集めたのも納得である。
 好事魔多しとはこのことか。中団からレースを運んだ東京ダービー。「緑の帽子カシワズプリンセス、カシワズプリンセスはまだ、まだ中団位~!」。あと600の標識を過ぎても動かないことで実況アナウンサーの声が場内に響きわたる。直線に入るとさらに後退。アクシデント発生か? 場内のファンがどよめく。結局14着で入線するに至った。
「スタートしていつもならポンと出るのに行きっぷりが悪くてね。1コーナーでもう手応えがなかったくらい。血統からくる距離の壁、ハード調教の疲れ。いろいろあるだろう。ダービーで人気を背負うのはわかっていたから普段から60キロの重斤にしてトレーニング。陣営のプレッシャーはそれほど大きなものだったから」と手綱を取った高橋三郎騎手はそう話した。後日談になるが、この日大井競馬場に到着したカシワズプリンセスはいつもと様子が違っていた。「あれっ?と思ったのは装鞍所。牝馬特有のフケのような仕草を見せた。やれるだけのことはやって来たからここまで来たら自信をもって送り出すしかなかった」。のちに高橋正豪調教師が語ってくれた。いくつかの理由が重なったダービーでの惨敗。しかしこのことがカシワズプリンセスの引退を早めることになり、母として血を繋げた。
 カシワズプリンセスの母シャドウもまた桜花賞、関東オークス、報知オールスターC、キヨフジ記念(現在のロジータ記念)を優勝する輝かしい戦績を誇る。桜花賞では鬼門とされる大外枠からの競馬で直線一気で突き抜けたのは語り草である。
 その母レッドシャドウは双子として産まれた。「双子馬は育たない」と嫌われるものだが、青森・山内牧場の生産者・山内進さんは「どちらも競走馬にしたい」と出産させ、レッドシャドウは乳母に育てられた。その熱い想いがなければ、チサットにつながる母たちのストーリーもなかったことになるのである。

競馬ブック 中川 明美