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先日、名牝ロジータが昨年末に永眠したとの報道があり、思い出したのが10歳違いの半妹で、同じ川崎の福島幸三郎厩舎からデビューしたテーケーレディーという名の栗毛の牝馬。

当時は筆者が関西から出てきて、南関東競馬に携わり2年目が終わろうとしていた。そんな駆け出しのペーペーでもオグリキャップ世代の筆者にとってロジータは、オールカマーやジャパンカップで中央馬を相手に走っていた勇士は記憶に鮮明で、牝馬ながらに牡馬3冠(羽田盃・東京ダービー・東京王冠賞)も制した女傑であったことも承知していたが、母としてシスターソノやオースミサンデー、カネツフルーヴ、アクイレジアといった大物を輩出した偉大な功績の方が今でも印象に残っている。

その名牝の妹が2戦無敗で駒を進めたのが、この東京2歳優駿牝馬(2000年までは東京3歳優駿牝馬)。翌年の牝馬3冠ロードへと続く重要な一戦だ。

ロジータの旧3歳(現2歳)時は4戦2勝で、東京3歳優駿牝馬には不出走だったが、テーケーレディーは新馬戦と続く大井の1400メートル特別を圧勝。単勝140円という圧倒的1番人気でゲートイン。そして第3戦の東京3歳優駿牝馬では、16頭立ての14番枠という大井1600メートルでは不利な枠順だったが、スッと3番手を取り、4角先頭からの横綱相撲。後続には3馬身差をつける完勝で、見事3歳女王に輝いた。鞍上の森下博騎手は前年のダイアモンドコア(羽田盃馬ナイキハイグレードの母)に続く連覇を達成。当時、川崎のトラックマンが、「来年の春は浦和じゃなく、仁川の桜の下を走ってるかもなぁ」というセリフを2年連続で聞いた記憶がある。

4歳になったテーケーレディーはさっそく年明けのニューイヤーカップに登場して⑤着となり初黒星。その後は仁川の桜の下を走ることもなく、黒潮盃で復帰したものの⑯着でしんがり大敗。結局、勝ち星を上積みすることなく、2001年の2月にB1特別での⑩着を最後に現役を引退。3歳戦を無敗で終え、一世一代の走りをして燃え尽きたのか?それとも父スマコバクリークで早熟だったのか?こればっかりは分からないが、当レースで見せた走りは駆け出しの競馬記者だった筆者には今でも記憶に残る強烈なモノだった。

今年で41回目を迎える当レース。昨年は歴史上で初めて他地区馬のピンクドッグウッド(愛知)が勝ち新たの1ページを刻んだが、ロジータの妹ではなく、3歳女王テーケーレディーの名は、これからも筆者の心にいつまでも残り続けるだろう。

競馬ブック 齊藤大輔