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テイエムヨカドーがJRA栗東・西園正都厩舎から、船橋・渋谷信博厩舎へトレードされたのは2009年秋。今でこそ実力馬がJRAと南関東を行き来することは珍しくなくなったが、当時、1000万条件を勝った直後の馬が移籍してくるというのは、稀なケースだった。転入後、条件戦を②着、①着とまとめ、3戦目にはクイーン賞へ出走し頭差の②着。軽量52Kを利して、1番人気“白毛のアイドル”ユキチャンをゴール寸前まで苦しめた。

翌2010年は重賞ばかり11戦出走して、8度掲示板に載る健闘ぶり。ダートグレード競走でも入着を果たしていたが、2011年突如として不振に陥ってしまう。東京シンデレラマイルの前まで7走して、南関東では⑤着が1度だけ。昨年までの安定ぶりが影を潜めてしまった。そんななかでも、馬券に絡んだレースがあった。九州産馬の祭典・霧島賞だ。

鹿児島生まれの同馬は霧島賞に3歳時から毎年出走。荒尾競馬場で戦果を挙げてきた。このレース、JRAからは1000万条件馬が選定されるが、地方馬に制限はない。1600万条件に昇格後、船橋へ来ていなければ連続出場が途絶えていた可能性もあった。この年は、後に高松宮記念へ出走するメモリアルイヤーと接戦を演じて②着。健在ぶりを示した。

東京シンデレラマイル当日の人気は12番目。近況、産地限定レースの好走例しかない上に、57Kという酷量では仕方のないところか。それでも、渋谷調教師はレース前「最近は交流戦や牡馬相手で結果が出ていないが、今度は南関の牝馬同士だからね。何とかこの馬の力を見せつけてほしい」と、あわよくば復活を期待するコメントを残していた。

レースはゴールドセントが軽快に逃げて、1000M通過60秒8というハイペース。テイエムヨカドーは道中、ジッと中団に待機。5走前の霧島賞と同様、3~4角から馬場の内目を追い上げていく。最後の直線、先に抜け出した1番人気マニエリスムの外を鋭く伸びて、先頭に躍り出るかと思いきや、最内から2番人気ハルサンサンが強襲。斤量が堪えたかやや脚勢が鈍ったものの、めげることなくもうひと伸び。ゴール板では頭だけ抜け出していた。単勝8880円は未だに破られていないレース史上最高配当だ。ちなみに、母の名前はテイエムシンデレラ。これだけで高配当にありつけた方もいるのではなかろうか。

2012年8月15日。この年も九州産馬の祭典に元気な姿を見せた。実績を買われ3番人気に推されたが、勝ち馬から7馬身半差の④着。霧島賞で初めて馬券対象から外れてしまった。舞台は佐賀競馬場。数々の名勝負を繰り広げた思い出の地・荒尾競馬場は、同馬が東京シンデレラマイルを制した一週間前の2011年12月23日。83年の歴史に幕を閉じていた。ヨカドーもこの日を最後に現役を引退。足かけ6年。JRA、南関東、九州と駆け巡った競走馬としての歴史に終止符を打った。

競馬ブック 善林浩二