レースヒストリー

サミットストーン(2014年3着)

小さい頃は目立たなかった人が、大人になって才能を開花させ世に名を知らしめることになるということが時としてあるが、競走馬においてもそれは例外ではない。

2014年に交流重賞浦和記念を勝ち、その年の東京大賞典でも中央の強豪勢相手に3着と健闘しNARグランプリ年度代表馬になったサミットストーンも、デビュー当時は才能の種を持ちながらもまだ目を出せずにいた。

2歳の6月に阪神芝1200mでデビューするも結果は6着。続く2戦目ではダートに切り替え2番人気に推されるも再び6着。4戦目でやっと未勝利を脱出したが、500万でも燻り勝利を挙げるまでには7戦を要した。

「まさかここまで活躍するとは思いもしなかった。うちにいた時は体が緩くて、大人しいイメージしかないよ。調教でも乗りやすかったのは覚えているけど、そこまで走る感じはなかった」とデビューから3歳の秋まで過ごした栗東の森秀行厩舎の日高調教助手は当時を振り返る。

3歳の秋から4歳の春にかけて休養を挟み美浦の田村康仁厩舎に転厩したが、500万と1000万のレースを連勝したものの、準オープンに上がってからは掲示板圏内に入ることもなく、目立った実績も残せないまま北陸金沢へ移籍することとなった。

JRA所属時と比較すると相手関係も大分楽になってか5連勝を挙げ、6戦目では中央交流重賞である白山大賞典で5着と健闘。結局金沢での9戦のうち白山大賞典とJBCスプリントの2戦を除き7勝を挙げ、2013年の冬に船橋 矢野厩舎へ移った。

「入厩した時はまだ冬毛もあったし、状態面での疲れも残っていた。こっちのOPで間に合うかどうかも半信半疑だったよ」と矢野師が入厩当時の様子を語ったように、初戦の多摩川OPで1番人気の支持を受けるも5着に敗れる。

矢野師が同馬の能力の高さを感じたのは、3戦目となったダイオライト記念。「中央勢相手に3着という結果で、暖かくなってきたらもうちょっとやれるんじゃないかな」と感じたという。この時は初めて騎乗した石崎駿騎手も「厩舎に来た時よりだいぶ良くなっていたし、腰に難点があって良くなる必要はあったけど力は通用すると思った」と語った。

その後、ブリリアントカップで2着馬に1.9秒差をつけての圧勝、続く大井記念では南関重賞初制覇。盛岡に遠征したマーキュリーカップでは4着だったが、レコード決着の中で差はわずかコンマ4秒。大井記念では逃がされる形となって勝ったユーロビートの餌食になったが、力負けではなかった。そして、古巣である金沢へ遠征した白山大賞典ではレコード勝ちしたエーシンモアオバーに詰め寄ってコンマ1秒差の2着。

そして、ついに交流重賞のタイトルを手にすることとなったのが2014年の浦和記念。「状態はこの時ピークだった。中央の一角でも崩したいと思っていたけど、勝てるとまでは思っていなかったよ。4コーナーで絶体絶命のところから差しきったから力があると感じたね」と矢野師。石崎駿騎手も「メンバー的にはチャンスだと思ったけど、逃げていた馬が思ったより早くバテてしまって3~4コーナーで詰まってしまった。直線を向いても前の馬とは差があったし、ゴールしても負けたと思っていた」と語ったように、サミットは周りの想像以上の力を見せつけ才能の花を開かせた。

その年の東京大賞典には、昨年の覇者でジャパンカップダートに変わり新設されたチャンピオンズCを制したホッコータルマエ、2014年だけでフェブラリーSを始め3つのGⅠタイトルを獲ったコパノリッキーなど超豪華メンバーが集まり、浦和記念を勝ったとはいえサミットストーンは8番人気に甘んじる。

しかし、陣営は「浦和記念の状態はキープしていたし、左回りよりも右回りの方が良いからこのメンバーでもそこそこはやれるはず」と考えていた。

ゲートが開くと好スタートを切ったホッコータルマエを制し、コパノリッキーがハナへ。「切れ味では中央馬に劣るが、前目の位置取りを取れれば。あとは折り合いだけ…」と石崎駿騎手は、好位につけ様子を窺う。

3~4コーナーでタルマエがリッキーに並びかけ、サミットストーンも3番手に上がった。 直線を向くと、前はタルマエとリッキーの2頭の追い比べになったが、タルマエが完全に抜け出す。サミットストーンもグイグイと力強い走りでリッキーに迫った。届かず3着での入線だったが、もしゴール板があと100m先にあったら結果は違っていたかもしれない。

その年、サミットストーンは年度代表馬に選ばれる。2015年に入り川崎記念でも再び3着と好走したが、阪神に遠征したアンタレスSでは3本の脚の蹄鉄が落鉄するアクシデントに見舞われ、休養を余儀なくされる。休養明け初戦となった日本テレビ盃では5着という結果だったが、「前走は6分くらいのデキだけど、状態はだいぶ上がってきている。まずはJBCだけど、今年の大賞典でも年度代表馬として恥ずかしくない競馬をさせてあげたい」と矢野師。石崎駿騎手も「年齢の衰えもないし、大きいところを勝ちたい」と抱負を語った。

怪我という試練を乗り越えたサミットストーンは、今年の東京大賞典でどんなレースを見せてくれるだろうか。


豊岡 加奈子
1981年4月1日生まれ。
北海道函館市出身。

8年半総務省で勤務した後、競馬の 仕事に就きたく退職。
2012年06月~競馬専門紙「勝馬」地方版記者。
競馬を始めたのは、2009年の皐月賞前日に中山競馬場付近で犬の散歩をしていたところ、前日から並んでいる方々を見て「競馬は単なるギャンブルではなく奥深いスポーツなのだ」と思い、皐月賞当日、一人で中山競馬場に足を運んだことがきっかけ。