TCKコラム

TCK Column vol.67

TCKジョッキーヒストリーWEB版 Vol.2 内田 博幸騎手編

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内田 博幸 騎手プロフィール
・所属厩舎
荒井 隆
・初騎乗年月日
平成元年4月6日
・生年月日
昭和45年7月26日
・出身地
福岡県
・2004年成績
1951戦385勝(うちTCK155勝)
・2005年成績
1750戦414勝(うちTCK151勝)11月24日現在

■ジョッキー人生七転び八起き

まだ夢の途中でも、
ここまで来れた

 小さい頃、興味があったのは器械体操。父親がやってた影響もあって、なんかカッコいいし、今でいう「ハマる」ってやつかな。大きくなったら器械体操でオリンピック出場することまで夢みたね。遠くまで練習に通ったりして打ち込んでたもんだよ。そのうち、学校でしょっちゅう居眠りしているのが親にバレちゃって「それじゃいかん」と(笑)やめさせられたけど。


ヤングジョッキー歓迎会(右から6番目)

 実家は兼業農家をやってて、ぜんぜん競馬とは無縁。それこそ親が小さい頃に農耕馬がいたくらいじゃないかなあ。関わりができたのは6歳違いの兄貴が進路を決める時になって。担任の先生から「体は小さかけど運動はできるけん騎手になったらよか」みたいなこと言われ、そこから「競馬の騎手て何する人かいな?」という興味を持ったのが事の始まりってとこだね。


騎手学校時代(下段左から1番目)

  そして、いつの間にか兄貴は佐賀の騎手になっていた。そうすると自然の成りゆきというか、厩舎に遊びにいったりするわけ。そしたら知らないうちに自分も騎手を意識したりしてくるよね。でも見た目カッコいいけど、厳しそうだしなるのは無理だろうなと思ってた。体を動かすのは好きだったし、水泳とか陸上とかもやってたんだけど、どれも中途半端でやめてたから。(笑)

 中学の終り頃かな、決心したのは。ぜんぜん経験なしじゃマズいから、夏休みに知り合いのとこ行って、休養馬とか当歳馬を手入れしたり、厩舎の掃除したりとかしてたよ。変な癖がついたらダメだって、乗り運動までしかやらせてもらえなかったけど、それで少しは慣れたくらいかな。動物が好きだっていっても、なんせデカいからね、なかなか思うように扱えないもんだよ。


騎手学校時代(左から2番目)

 それから徐々に騎手で一番になるのが夢に変わった。大井に来たのは、どうせなら一番大きい舞台でやりたかったし、的場さんもいたから。今はチャレンジして正解だったと思う。そりゃあ辛いことや大変なこともあったけど、ようやく自分の描いた夢に近づいた気がする。これからも、器械体操でオリンピックに行けなかった分まで(笑)もっともっと世界に羽ばたきたいね。

■オフの楽しみは

格闘技好きなのはみんな知ってる

 そうだなあ、休みの日は寝てるね。乗るだけで忙しいし、みんな一緒だろうけど体が資本だから。ま、それだけじゃつまんないし(笑)マイフェイバリットは格闘技を見ることかな。騎手の友だちもみんな知ってるから「今度のチケット取りましょうか」とか連絡あったりしてね。なかなか機会はないけど、余裕があったら1時間だけでも観戦しにいったりしてるよ。

 行けない時でも、ちゃんとビデオ録画してるし。(笑)最近はK1よりプライドがお気に入りかなあ。吉田選手とか山本選手とか好きだよ。体を見ても凄いし、意気込みを見習わないとね。真剣勝負でファンを引き付けるのは騎手も同じだし、そういう魅せるテクニックなんかを勉強しないといけない。(笑)


モータースポーツへのスポンサード

■座右の銘

「気合だあ!」

いや、流行りだからじゃなくて。(笑)マイナス思考に傾きそうな自分をプラス思考で引き戻す言葉として、勝負の世界を生きる人間に必要だよ。

■ファンへのメッセージ

大井競馬から世界に
名乗りをあげたい


 お陰さまで去年はリーディングも取れ、充実した年になりました。でも、そうなればなったで新たなプレッシャーや責任なんかも生じてきます。最近いつも聞かれる話題が地方騎手の中央移籍ですけど、どこで乗ろうと騎手は騎手というのが自分の基本的な考えです。ダートはダートの、芝は芝の難しさがあるし、それは経験しないとわかりません。そういういろんなシチュエーションを乗りこなしてこそ、一流ジョッキーの仲間入りができるんじゃないかと思います。

 だから、乗せてもらえるチャンスがあるならば、いつでもどこでも全力で騎乗していきます。そうしていくことで、自分のためにファンのために、成長していくことが大事ではないでしょうか。常にひとつでも上の着順を目指して乗り続け『大井の内田』から『日本の内田』そして『世界のUCHIDA』になっていけたら騎手冥利にもつきますし。これからも、応援よろしくお願いします。

■感動の名馬

快感だったなあ、
大井の馬たちに育ててもらったよ


 初騎乗だった、ハツマドンナ。それで『ハツ』つながりだけど(笑)もちろん緊張していたのはこっち。大きいレースに乗り、リーディング取って、海外のレースに行って・・みたいな大きい夢は持ってたけど、それより馬に乗ることの難しさが身にしみて、やっていけるか不安のほうが大きくなってさ。でもそれから、ずっと乗せてもらえたし、この馬から学んだことは多かった。
 それからも認められる乗り方はなかなか出来なかったけど、減量が切れる年に乗せてもらえたのが、ゴールセイフ。たしか14頭立てのレースで、4コーナー回るまで殿のまま。もう「こりゃダメだ」と諦めかけたら、そこからビっくりな末脚で前の馬まとめてゴボウ抜き。もう「チョー気持ちいい」みたいな。そのへんで何かを掴んだような気がするし、忘れられない馬の一頭だね。


ゴールセイフ

 そしてやっぱり、ドラールオウカン。牝馬なのに、凄い瞬発力と切れ味でたくさん勝たせてくれて、追込みの魅力を教えてもらって(笑)ついには東京記念まで取らせてもらったからね。しかし、そこで好事魔多し。そのすぐ後に騎乗停止となって東京大賞典が乗れなかった。若気の至りでラフプレーが多すぎたのが悪いんだけど、そんな不甲斐なさが悔しかったね。でも気を取り直して冷静にビデオを見ると、乗り替った堀先輩の騎乗がスゴいんだよ。経験も技術も判断力も当時の自分と大違いなのがわかった。今思えば、ドラールオウカンが自ら勝つべき道を通ったのかもしれないけどね。それからは、堀さんや的場さんの域に達することを目標に頑張れたわけだから、この馬には頭が上がらないかも。(笑)


ドラールオウカン

 最近は、川島先生の馬にたくさん乗せてもらって、アジュディミツオーで東京大賞典も勝てたし、ドバイワールドカップもいい勝負(6着)できた。素晴らしい経験させてもらえて、すごい感謝の気持ちでいっぱいだよ。けど、本音の部分では大井の強い馬を育ててみたいと思ってる。これからの課題として調教師の先生と一緒にやっていきたいよ、大井から世界を目指せるように。


アジュディミツオー