Q
基本的なことですが、獣医師とはどんなお仕事ですか?
A
獣医師は一般的に人間のお医者さんと同じようなイメージが強いと思いますが、競馬場にいる競走馬はトップアスリートなので基本的にはひどく悪い状態の仔はいません。レースに出るスポーツ選手の健康管理にかかわっているスポーツドクターのようなイメージだと思います。詳しく言うと、レースに向けてトレーニングを積んでいったときに筋肉痛や体の苦しさが出てきたとして、マッサージやマイクロ波治療の指示を出す感じですね。万全の態勢でレースを迎えられるように日々の健康管理の手助けをしています。

大井競馬場には8つの診療所と小林牧場に3つの診療所があって、今は17人の獣医師が働いています。父が診療所を開業しているので僕はそこに雇われている形です。
Q
獣医師になろうとしたのはお父さんがきっかけだったんですか?
A
それが大きな理由ですね。父は大井競馬場の獣医師になって40年以上は経つので、子供の頃に競馬場へ遊びに行けるのが楽しかったことを覚えています。まだのどかな時代だったので競走馬に乗せてもらったり、競馬場の隣が海だったのでハゼ釣りをしたり、小さい頃から競走馬を見ていて動物が好きだったので、ムツゴロウ動物王国に憧れていました(笑)。その影響で日本大学農獣医学部畜産学科に入学したんですが、車に触ることも好きになってのめり込んでしまったので、卒業後はガソリンスタンドに就職しました。1、2年してからこの道に進みたくなり、今度は編入して日本大学農獣医学部獣医学科に入り直しました(2年生から6年生まで)。卒業するときにはもう30歳を過ぎていましたが、獣医学科には若い人だけじゃなくておじさんやおばさんなどいろんな年代の人がいましたね。
Q
獣医師は競走馬がレースに出るためにどんな携わりかたをしていますか?
A
日課は担当している馬の調教師さんや厩務員さんに、「どういう状態ですか?」と健康状態を欠かさず確認して回ります。

追い切り(レースに出走するための大切な仕上げ)は普段の調教よりも負担が大きくなるので、その前後には心臓の音を聞いたり脚や蹄に熱がないかを確認したり、それを調教師さんや厩務員さんに伝えます。馬は話せないので、人と人がコミュニケーションを取り合うのも大切なことですね。競馬サークルは競走馬が主人公ですが、その周りにいる調教師、厩務員、装蹄師、獣医師、みんなが力を合わせて競走馬をレースに出走させることを目標に頑張っています。


<馬の心音チェック>

レース当日には走り終わった担当馬の目を洗ってあげて、そのときに怪我はないか確認をして、「どうして走らなかったのか?」などの原因も話し合います。レース翌日にも具合を診て何事もなければまた次のレースに向けて始まります。

レース直後の馬は気持ちを高めているので多少の痛みは隠すんですが、クーリングダウンをして、洗い場で体を洗って、そこから馬房に帰ろうと1歩目を出したときに痛みを出すことも多いです。症状がかなりひどいときはレース直後でも痛みを出すこともあります。
Q
競走馬は体が大きいので診断をしているときに怪我をすることはありませんか?
A
いっぱいありますね。蹴られる、噛まれる、挟まれる、足を潰される……。そこはいつも細心の注意を払って怪我をしないように馬と接しています。治療などは厩務員さんに馬を保定してもらって行うので、厩務員さんがいて初めてできる仕事です。
Q
通常の日はどんなタイムスケジュールですか?
A
基本的には朝8時頃起床し10時頃には出勤しますが、厩舎の人たちから緊急を要するときは呼び出されることもあります。午前中は主にレントゲン検査やエコー検査、内視鏡検査、ショックウェーブなどの時間がかかる診察を行うようにして、空き時間を利用して、午後からの診察の準備や掃除などします。午後は厩務員さんの出勤に合わせて一般診療を開始して、夕方4時半頃まで厩舎を回りながら担当馬を診ます。
院長の父と私、代診の先生の3人体制で約100頭を診ています。その後は仕事の後片付けなどをして夜7時くらいには終わります。それぞれの診療所によって活動時間はさまざまですね。夕飯は夜8時から9時くらいで、深夜0時頃には就寝します。ときには早起きをして小林牧場の馬たちを診に行くこともあります。
Q
開催中はどんなタイムスケジュールですか?
A
ナイター開催中でも起床時間は基本一緒です。午前中から診療する場合もありますが、終わるのは一緒で夕方4時半頃。それからレース中に担当馬の目洗いや走った後のチェックをします。小林牧場の馬たちの目洗いも8割くらいを担当しているので、もしそのときに怪我をしていれば怪我の処置をしてから小林へ帰します。最終レースまで仕事があるきは深夜0時頃に帰宅をして寝るのは2時頃です。

昼間開催のほうが仕事時間はハードなんです。通常の診療時間とレースがほぼ同じ時間なので、朝10時から夕方4時半の間にすべてをこなさなくてはいけないので。
Q
競馬場にいる獣医師は幅広く診ることになりますよね?
A
人間で言えば、内科、外科、歯科……細かく言えば、目も鼻も口なども全部を診ています。血液検査をしたり、レントゲンも撮ったりするし、何でも屋さんですね。例えば、「食欲がなくなってきた」と厩務員さんに報告を受けたら、「それなら歯を見てみましょう」とか「疲れがないか」など。ハードトレーニングで疲労がたまってエサを食べられなくなる場合もあるので、そういう仔には点滴や栄養剤を打ったりするんですが、それで元気が出てくるのは人間も一緒ですよね。

競走馬はプロフェッショナルな人たちが常日頃からチェックをしているので、いろんな病気は早く見つけることができます。脚元の腫れ、息遣いや顔つき、目の色が違うとか、馬の平熱は38度くらいですがいつもより体温が上がっているとか。

<歯の治療中>

Q
いちばん多く診る症状は何ですか?
A
風邪や外傷、トレーニングの疲労などです。走っているときだけではなくて馬房で脚をぶつけて怪我をすることもあります。馬もくしゃみをするし、せきや鼻水も出るし、便秘や食べ過ぎなどでお腹が痛くなることもあります。皮膚アレルギーもあって蕁麻疹ができることもありますが、人間のようにアレルギーによってくしゃみをしたり目をショボショボさせたりはありません。花粉症は基本ないと言われています。

<脚元チェック>

Q
獣医師が厩舎回りをするときの必需品はありますか?
A
必ず持っているのは聴診器と小さなライトです。聴診器は心拍数を計るときに使いますが、疝痛(腹部臓器の疼痛、腹痛)のときにお腹がちゃんと動いているかどうかを確認するときにも使います。人間は心拍数が60から70くらいですが、馬は28から36くらいです。競走馬もアスリートなので鍛えれば鍛えるほど心拍数は減っていきますよ。オープンクラスになると心拍数も低くなるし、ボンボンと張りのあるいい響きをしています。ミニライトは目や口、外傷を診るときに使います。
Q
獣医師の収入はどんな形になるんですか?
A
診療所なので競走馬の治療代から売上げが発生しています。院長が診療所の社長にあたるので僕たちはそこからお給料をもらっています。ボーナスやレースの出走手当て、進上金などはありません。
Q
休日はどんな形になっていますか?どんなことをして過ごしていますか?
A
厩舎地区の休みが決められているので、その辺りは厩舎関係者と一緒です。ただ、獣医師には当直制があって大井競馬場には365日誰かは泊まっているので、週に1度は回ってきます。呼び出されるときは朝の疝痛や熱発、調教中の怪我などで、追い切り期間中に入ると結構多いです。

休みのときは家族サービスをして過ごしています。アウトドアが好きなのでアクティブに過ごすことが多いですね。趣味は20年前に始めたウェイクボードなんですが最近は忙しくて行けません。アスリートを診ているせいか基本は体を動かすことが好きで、自宅から競馬場まで7キロの道のりを30分くらいかけて自転車通勤していたこともありました。

<獣医師仲間たちと>

Q
このお仕事でいちばんつらいときはどんなことですか?
A
レースでの故障や疝痛などで安楽死処置を施すときです。ただ、悲しんでばかりいたらぼくを待っている次の馬を診に行けなくなるし、落ち込んでいると精神的にもきつくなるので、仕事としてとらえて割り切るようにしています。
Q
このお仕事のうれしいときはどんなことですか?
A
1頭の競走馬にそれぞれの立場の人たちが携わって勝ちたいという同じ気持ちでやっているので、勝ってくれたときは『よっしゃ~!』って思います。あとは、何事もなく無事に帰ってきてくれたときがいちばんうれしいです。「無事だから獣医師はいらないよ」って言われるのが原点に戻るといちばんうれしいことなんです。レースを走って無事に帰ってきて元気にエサを食べているのが何よりですね。
Q
最後にこれからの夢や目標を教えてください。
A
大井競馬場には手術ができる二次診療施設(処置室)が去年できたんですが、そこを活用できるようにもっと勉強したいです。夢や目標はいっぱいありすぎて困ります(笑)
聞き手:高橋華代子