重賞名馬ストーリー

重賞名馬ストーリー vol.15

遅咲きの女傑 プルザトリガー ~TCKディスタフ~

  Pull The Trigger――「引き金をひけ!」という意味の名をもつ女傑プルザトリガー。小柄な馬体から弾ける瞬発力はまさしく弾丸。2004年に重賞として格上げされた第1回TCKディスタフの覇者となり、トゥインクルレディー賞、そして統一GIIのエンプレス杯も制して2005年にはNARグランプリ最優秀牝馬に輝いた。通算成績42戦13勝。それまでの暗いトンネルを抜け出すと一気に頂点まで駆け上がって、女王の座を打ち抜いた。

 北海道でデビューしたプルザトリガー。7戦したのち船橋に移籍したが、「初めて見たのは2歳の夏。北海道の競馬場まで見に行って、小さいけど早熟っぽいからこっちに持ってきたらすぐに走りそうだなって印象でね」と山浦武調教師。

 ところが、船橋に移籍してからのプルザトリガーは逃げてはバテ、差しては届かず、他頭数では流れについていけずという苦戦が続く。うまい具合にペースに乗ってたまに好成績を挙げるくらいというムラ駆け。「最初は鳴かず飛ばずでね、勝っても年に1回程度。オーナーの高橋さんが2年も結果が出ないのをよく我慢してくれたと思う。辛抱してなかったらその後の活躍はなかったわけだから、オーナーのファインプレーだよね。4歳の夏がこの馬のターニングポイントになった。ササ針して、7月に復帰したレースでハナいって4着だったんだけど、いつもより真面目に走っていてね。それまでは道中走る気なくしてヤーメタ、ってなる面があった。この時でクラスがC1。このあたりから、弱くて腹痛を起こしやすかった内蔵が改善して、カイバの内容を変えたり、調教量増やすことができるようになって馬体重も増えだした。2歳の4月から走っていたんで早熟タイプかと思っていたら実は奥手だったんだね」と、開花までの道のりは長かった。

 「船橋でポンポンと二連勝でB1に格付されて、ここまでくれば上等だとこの時点ではまだ思っていたんだ。ひょっとしてもっと上を目指せるんじゃないか、と欲が出たのはスパーキングレディー賞で先行して粘って3着した時かな。次は二ヶ月後のトゥインクルレディー賞と目標を決めてビッチリ仕上げて、重賞初制覇。そしてTCKディスタフに臨んだ。1枠でうまく先行できればと思っていたらスタートでボコッと躓いて、しかも左前が落鉄。あの時はもう『内田(騎手)なんとかしてくれ!』という気持ちだったよ。それであれだけ伸びてくるんだから、これで本物になったと実感したね」。

 後手を踏んで中団からのレースになったにもかかわらず、直線内を突くと先頭に立っていたドリームサラを3/4馬身かわしきってプルザトリガーはTCKディスタフの初代女王になった。馬上から降りた内田博幸騎手は「予想外の展開で、直線はもう必死だった。馬がよく応えてくれたね。この馬本来の力をようやく引き出すことができた」とコメントした。

 「もともと追い切りは動く馬だったから、持っている力を発揮するまでに時間の掛かるタイプだったんだろうね。うちに来て30キロ近く馬体が増えて、幅が出て風格が漂うようになってきた。馬が自信をつけたんだろう。普段からへたな男馬より度胸が据わっていて、厩舎でも姉御的存在だった。エンプレス杯では逃げて、レマーズガール、グラッブユアハートという当時の女王2頭を負かした。これは何よりの勲章だよ」。

 ラストランになったのは第2回TCKディスタフ。58キロを背負って、最後方から追い込むも4着。この頃から脚元に不安が出たこともあり、繁殖入りすることが決まった。今では母として穏やかな日々を過ごしている。

中川明美 (競馬ブック)

※この原稿は、過去のレーシングプログラムに掲載されたものに、加筆・訂正を加えたものです。