TCKコラム

TCK Column vol.06

中央の年度代表馬に輝いたイナリワン

2002年の東京シティ競馬ナイター開催も終幕を迎えました。3連複、3連単の新馬券で湧き立った“地方のメッカ大井”ですが、ひと夏の熱い想い出を残して、今は秋シーズンたけなわです。年末の指定交流競走「東京大賞典」(GI=12月29日)をハイライトに激しいバトルが続きますが、その東京大賞典で、1988年、地方日本一に輝いたのがイナリワンです。レース後に中央移籍を宣言し、翌年、天皇賞・春、宝塚記念、有馬記念と年間GI3勝を果たし、JRAの年度代表馬に輝きました。第3回は大井が生んだ名馬イナリワンを取り上げます。

イナリワンは南関東出身では唯一のJRA年度代表馬の栄誉に輝いた名馬である。
地方出身では、ヒカリデュール(1982年、東海競馬場)とオグリキャップ(1990年、笠松競馬場)の例があるだけだ。

今から18年前の1984年5月7日、イナリワンは北海道・門別町厚賀の山本実儀牧場で生まれた。父は米国産の名馬ミルリーフの仔ミルジョージで、母は英ダービー馬ラークスパーの娘、テイトヤシマという血統の鹿毛馬である。父は日本の代表的種牡馬の一頭で、中央でGIホース4頭のほかに、地方ではロジータ(南関東3冠馬)ロッキータイガー(帝王賞、東京王冠賞。ジャパンカップ2着)など数多くの優駿を送り出している。だが、母テイトヤシマは不出走馬で競走成績がなく、繁殖入り後も不受胎や不出走馬が目立ち、イナリワンが誕生した年の12月に繁殖牝馬失格の烙印を押されて、用途変更になっている。

イナリワンは牧場の同期8頭の中で地味な存在だったが、当歳の夏、牧場を訪れた大井の福永二三雄調教師が「この馬は必ず走る」と直感した。「小柄だが精悍でバランスが良い馬だ。ミルジョージの仔は最初の世代から世話して熟知しているが、イナリワンはミルジョージの分身といった感じで生き写し。賢そうで、気性も競走馬向きと思った」と第一印象を語っている。

オーナーになる保手浜忠弘氏(城南製作所代表取締役)が2歳春に福永師と見に行き、目の澄んだ利口そうな鹿毛に一目惚れした。「馬相が良く、目に澄み切った海底をのぞくような深いものを感じた。値段の交渉もほとんどせずに買いました」――保手浜オーナーは中央で走らせる馬には故郷(愛媛県三島町)の“戦いの神”を祭った大山祇(おおやまずみ)神社にちなんで“カミノ”と、自分のイニシャルの「T・H」から“テイエッチ”、そして地方馬には大井競馬場近くの穴守稲荷によく参拝するので“イナリ”と付け始めていた。イナリワンは「一番出世して欲しい馬」の期待を込めて命名した。

福永厩舎に入ったイナリワンは、1986年12月9日、大井の新馬を宮浦正行騎手で2着に4馬身差をつけて楽勝すると、連戦連勝。翌1987年11月の東京王冠賞と12月末の船橋の東京湾カップまで破竹の8連勝を飾った。1988年はスランプでなかなか勝ち鞍を上げられなかったが、地方でのラストランになる12月29日の東京大賞典(大井、当時3000m)でアラナスモンタ以下を一蹴して地方日本一に輝いた。
イナリワンは地方で14戦9勝の戦績を残して保手浜オーナーの希望通り、中央入りした。中央では美浦の鈴木清厩舎の管理馬となり、引退する6歳春まで11戦3勝。1989年の5歳時に天皇賞・春、宝塚記念、有馬記念のGIを制覇した。1番人気は一度もなく、いつ走るか分からない馬という印象があったが、何故かGIでは不思議な幸運に恵まれた。
中央移籍3戦目の天皇賞・春と次の宝塚記念では、当時“2強”のオグリキャップとスーパークリークが体調を崩して休養中。本来ならスーパークリークに騎乗するはずの武豊騎手がイナリワンの手綱を取った。結果、天皇賞は2着ミスターシクレノンを5馬身ちぎるレコード勝ち。宝塚記念もフレッシュボイスの追い込みを封じ、その存在感をアピールした。

秋に入ると2強が復活したことで、毎日王冠でオグリキャップに鼻差の惜敗。天皇賞・秋はスーパークリークの6着。さらに続くジャパンカップではホーリックスとオグリキャップの歴史的な一騎打ちを尻目に11着という惨敗を味わった。
だが、イナリワンには意地があった。有馬記念は単枠指定馬のオグリキャップとスーパークリークの対決色が濃かったが、イナリワンが2強の競り合いの一瞬のスキを突いて強襲した。まさに疾風の末脚でスーパークリークを鼻差抑えての優勝だった。
毎日王冠以来、4戦目で初優勝の柴田政人騎手は「いつの間にか3強からイナリワンの名が脱落して2強の争いなんて言われていたので、意地を見せてやろうと思った。引っかかる点だけを気をつけて乗った。強い馬です」と語った。

大井出身馬として初めてJRA年度代表馬に輝いたイナリワンは、1990年春の3戦(天皇賞2着、最後の宝塚記念4着)で現役を引退。1991年から門別種馬場でシンジケート種牡馬として毎年50頭前後の種付けをしてきた。初期の産駒でツキフクオー(東京王冠賞)、シグナスヒーロー、ボストンエンペラー、オースミジョージらを出したが、2002年の今春は、父ミルジョージ(27歳)が余生を送る三石町のスタリオン中村畜産に移って3頭に付けただけ。まだ18歳で馬には若さがあるが、種牡馬としての期待度は少ない。

故・鈴木清師は「イナリワンの良さは内臓の強さで、特に心臓の強さは獣医も驚いた。それにキック力が凄い。普通なら3週間持つ蹄鉄が2週間で擦り減った。450kgと小さいのに、そのあたりが強さの秘密かな」と語っていた。
生産牧場の2代目山本文雄さん(55歳)は「父(実儀さん=88歳)は“天皇賞を取ったなんて夢みたい”と言いましたが、これからも第2のイナリワンを育てるつもりで馬作りに励みたい」と懐しみ、意欲を見せている。
バランスの取れた、よく伸びた四肢が美しい典型的なステイヤー。そのツボにはまった時の強さは絶品だった。1980年代後半を代表する名馬である。

横尾 一彦
日刊スポーツ時代(98年退社)に編集委員として競馬コラム担当。フリー・ジャーナリスト。
中央競馬会の「優駿」コラムニスト。「サラブレッド・ヒーロー列伝」を103回にわたり長期連載。