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 東京大賞典で激戦を繰り広げてきたのはいずれも時代を彩ったトップホースたち。62回の歴史を紐解くと牝馬による戴冠はミスアサヒロ、ヒガシジヨオー、ロジータ、ドラールオウカン、ホワイトシルバー、ファストフレンドと6回あるが、その中で3歳にして優勝したのは第35回のロジータのみ。3歳牝馬が頂点レースを勝ち抜くのがいかに過酷かは想像に易い。
 そのロジータが30歳で大往生を遂げたニュースが飛び込んできた。生まれ故郷の高瀬牧場で2007年に繁殖を引退したあとは娘や孫たちに囲まれて余生を過ごしていたという。

 「ロジータが1番強い競馬をしたのは東京大賞典だった」15戦10勝すべての手綱を取った野崎武司元騎手がそう言った。「三冠達成した3週間後のギリギリの馬体で挑んだジャパンカップで大敗した後のレースだったし、盛岡からこのために移籍してきた怪物スイフトセイダイに的場(文男)さんが乗って盤石と見られていた。当時の東京大賞典は2800mだったからコースを1周半。1周目のゴール版前で引っかかって行きたがるのを、なだめて、なだめて、我慢できなくなったところで上がっていった。4コーナーではスイフトセイダイが横にいたが、俺は手綱をもったまま、ただ掴まっていただけ。ロジータの走りに一番驚いたのは俺かもしれない」と破格の強さだった。

 「この馬の母メロウマダングもうちにいた馬でね、新馬戦をレコード勝ちして、2戦目で自分の記録を塗り替える速さだったんだがスピードの代償なのか種子骨々折して4戦3勝で繁殖に上げた。その子供たちのほとんどを手がけたが、2番仔がロジータ。ミルジョージをつけようと自分が決めたんだが子供の頃から1頭だけ違っていた。生まれてしばらくは母親から離れないものだがこの仔だけはすぐにピューと走り回っていたんだよ」と話すのは2011年に勇退した福島幸三郎元調教師。妹のテーケーレディも福島調教師の元で東京2歳優駿牝馬を制している。

 茨城の栗山牧場での育成を経て川崎にやって来たのは2歳の6月。そのバネのような跳びはすぐに厩舎内でも注目を浴びた。10月にデビューすると、新馬戦は勝ったものの2戦目は出遅れて舌を越すアクシデントがあって②着。

 「最初はあそこまで強くなるとは思ってなかったんだ。これは只者ではないと思ったのは京浜盃を勝ったとき。馬なりのまま3コーナーで外出すとスーとあがっていった。クラシックで男馬にぶつけようと決めたのはあの時だね。3ハロンいい脚を使える馬は他にもいるが、ロジータは4ハロン脚を使える馬だった。メロウマダングの肌では長い距離は向かないと思われたが距離が延びるほど強い競馬をしてくれた。『川崎競馬場ロジータ様』でファンからニンジンやリンゴが届くほどの人気になっていて、周囲からはもっと実績のある騎手を乗せろと言う声もあったが、うち(所属)の武司で行くと決めていた」と1989年の南関東クラシックでは三冠達成。牝馬が打ち立てた唯一無二の金字塔。奇しくもこの年は育成の同時期を栗山牧場で過ごしたウイナーズサークルが日本ダービーを優勝している。

 4歳年明けの川崎記念で引退するまで駆け抜けた短い競走生活の間に、ニューイヤーカップ、京浜盃、桜花賞、羽田盃、東京ダービー、東京王冠賞、東京大賞典、川崎記念と8つの重賞を制覇。白ひとつない馬体に水色のメンコ、そして縞々のバンテージ。愛らしく強いロジータは『南関東最強牝馬』として語り継がれ、また母としても数々の重賞ウィナーを残して血をつなげている。

競馬ブック 中川 明美