重賞名馬ストーリー

重賞名馬ストーリー vol.14

世界を懸けた名勝負 テツノカチドキ ~東京記念~

 1985年10月31日。第22回東京記念はテツノカチドキ、マルゼンスター、ロッキータイガー、スズユウ、トムカウント等、時の南関東オールスターキャストが揃っていた。そしてまた、第5回ジャパンCに向けた代表選考レースでもあった。

 ハードスキーが逃げ、トムカウントが追いかける。テツノカチドキは中団から。ロッキータイガーは後方からレースを進めた。3番手にいた高橋三郎騎手(現調教師)騎乗のマルゼンスターが一気にまくった向正面から、がぜんペースは速まり、テツノカチドキも動く。4角を回る頃にはロッキータイガーが脚色よく伸びてきて直線は一騎打ち。テツノ、ロッキーがピタリと併せる形で壮絶に叩き合い、ロッキーがほんの頭差抜け出したところがゴールだった。今でも屈指の名勝負として人々の記憶に残るレースになった。
「もう、ゴール前は首の上げ下げ。必死に追ったよ。こっちは59キロで向こうは60.5キロ。最後の最後は斤量差もあったのかな。『これで俺とロッキータイガーがジャパンCに行くのか』と冷静に思った。勝負は勝負だけど、芝を勝っていたテツノカチドキは行きたかっただろうなぁと想う気持ちもよぎったよ」とロッキータイガーに騎乗した桑島孝春元騎手は振り返った。

 福島で行われた芝の地方招待競走で勝って実績をつくり、出走権を狙っていたテツノカチドキ。陣営の落胆は大きかったという。
「あのレースは今でも悔しいよね。騎手として一番忘れられないレース。テツノカチドキは一緒にジャパンCへ行く夢を見た、かけがえのない馬だから挑戦したかったね。だが、もしテツノカチドキがジャパンCに出ていたらどうなってただろう。今になって思うと、腰の甘い馬だったから雨馬場の芝コースでシンボリルドルフと渡りあえたかどうか。ロッキータイガーだから2着になれたのかもしれないよね」と佐々木竹見元騎手。7153勝の鉄人は「騎手人生の中で一番印象深い馬」と言ってはばからなかった。

 鉄人を魅了したテツノカチドキ。大山末治厩舎に所属し生涯成績は58戦17勝。2歳暮れにデビューし、本格化したのは4歳になってから。帝王賞、関東盃のほか東京大賞典と大井記念は2度戴冠している。

 大井競馬場開設と共に、獣医師として様々な名馬を診てきた大塚正夫獣医師にとっても指折りの一頭だという。「たぶん初めてこの馬を見た人は走る馬だとは思わないんじゃないかな。腰についている筋肉は普通の馬の半分くらい。『三度笠』って嫌な言い方されるように腰が三角に尖ってる。どうしてこんな馬買ってきたんだ?と大山先生に聞いたことがあるんだけど『馬は前脚で走るもんだよ』と言われた。乗り出したら、先生の言うとおり本当に走るんでびっくりした。確かに腰はさびしいけど、肩が深くて首が長い。そうすると歩幅が広いからストライド大きいわけ。前駆がしっかりして球節の回転が速くてね。珍しい体型の馬だった。だから治療も普通の馬とは違ってた。腰の筋肉がない分、背中を使って走ってたんだね。背中の筋肉がカチコチになるから、硬くなった筋肉をほぐすのが治療の中心。

 レースで印象深いのは、ラストランとなった東京大賞典。これで引退と決まっていたから、竹見くんも有終の美を飾らせてあげたいと思い切ったレースをしたんでしょう。一気にハナに立つと当時の3000mを逃げ切ってしまった。気持ちよく馬も走ってた。何よりすごいのは、引退して北海道に旅立つ時の脚が、ダメージひとつなく2歳で大井にやって来た時と少しも変わってなかったこと。本当に脚元の丈夫な馬だった」。

 7歳の東京大賞典を最後に引退し、種牡馬入りしたテツノカチドキは地方競馬初の3億円獲得馬となった。

中川明美 (競馬ブック)

※この原稿は、過去のレーシングプログラムに掲載されたものに、加筆・訂正を加えたものです。