重賞名馬ストーリー

重賞名馬ストーリー vol.04

生涯輝いた2つの星アーデルジーク ~大井記念~

 大井記念は距離2600mの長丁場。今では日本一長いダート競走となっているが、大井競馬場のコーナーを6つ回るその舞台では52回の歴史が刻まれてきた。様々なドラマが繰り広げられてきた中でも、第36回を制したアーデルジークは意外性抜群。60戦2勝という競走生活を送った個性派である。

 3歳(現2歳)夏にデビューしたアーデルジーク。新馬戦から4回連続して2着し、青雲賞(現ハイセイコー記念)では3着同着と着実に階段を上った。地方競馬では総賞金でクラス編成されるため、たとえ勝ち星が無くても上位入線を重ねることによってクラスが上がっていく。羽田盃6着、ダービー8着。当時は第三冠として秋に東京王冠賞が距離2600mで行われていたが、春の二冠を制していたアウトランセイコーの三冠達成に注目が集まっていた。「すんなり2番手につけてスタート出たらすぐコーナー。いい位置さえ取れればもうジッと我慢比べ。今と違って当時の大井競馬で2番手につけることは絶好位とされていた時代だからね。3コーナーでハナいっている馬がバテて先頭に押し出されて、アウトランセイコーがすぐ後ろにいるのはわかったが自分の馬も手応え上々。4コーナー回った時にはひょっとしたらと思った。直線はいつものように差されてはいけないと無我夢中で追ったよ」と手綱をとった鈴木啓之騎手(現調教師)。2着、3着を繰り返していたアーデルジークはこれで18戦1勝。生涯初の勝ち星がクラシック第三冠という大金星だった。

 しかしその後、再び勝ち運から見放される日々は続き、大井記念に向かったのは24戦目のこと。
平成3年6月20日。「あの日はどしゃ降りの雨。スタートポンと出て逃げたジョージモナークの後ろ。3コーナーでペースが上がって流れが一気に変わって後続馬が迫ってくるのがわかったが直線までジッとしていた。あと100mというところで勝利を確信した」と2つ目の勝利もまた重賞タイトルとなった。7歳夏には吾妻小富士賞へも挑んだ。アーデルジークは福島産馬だったことからオーナーが生まれ故郷で走らせたいと望んだことだった。「もの凄い不良馬場のなかゲート入りも悪くて追走一杯。跳びも芝向きではなかったかもしれないね」。このレースを最後に鈴木騎手の手を離れ、岩手競馬に活路を求めたが再び先頭ゴールを駆け抜ける日は来なかった。
「競馬はスタートしてゴールするまで何があるかわからない。アーデルジークはノド鳴りという致命傷をもっていたが距離を乗り越えた。東京王冠賞ではマグレと言われながら大井記念で本物にした。馬が秘めた未知の部分を引き出してあげることの大切さを教えられました」。鈴木啓之騎手はそう結んだ。


第36回大井記念 アーデルジーク号

中川明美 (競馬ブック)

※この原稿は、過去のレーシングプログラムに掲載されたものに、加筆・訂正を加えたものです。