重賞名馬ストーリー

重賞名馬ストーリー vol.03

伝説になった最強馬マルゼンアデイアル ~羽田盃~

 「一番印象深い馬は?」そう聞かれるたびに的場文男騎手は「マルゼンアデイアル」と真っ先にその名を挙げる。そして「重賞は130個くらい勝っているし、相当な名馬に乗ってきたつもりだけど、その中でも別格。もうあんな馬には出会えないかもしれない」と続けるのである。8戦6勝という生涯成績の中に、今も的場騎手の心をとらえるどんな強さがあったというのだろうか。

 川崎でデビューしたマルゼンアデイアルが大井の岡部猛厩舎へと移籍したのは、4歳(現表記3歳)初春のこと。

 「裂蹄のため半月くらい牧場で休んでからうちに来たんだが、追い切り掛けたらそりゃもう速いことったら。でもレースでは負けちゃってね。すぐ使ったから影響があったんだろうな。で、次の京浜盃からは的場にしようってことになってね」とマルゼンアデイアルと的場騎手の出会いを語ってくれたのは織田力男厩務員。トドロキムサシ、トドロキエイカンなど20以上の重賞タイトルを獲ってきた大井屈指の腕利き厩務員が手掛けていた。
1985年。バブル絶頂だった時代である。

 京浜盃は2番手マークで3馬身、黒潮盃は逃げて5馬身、そして圧倒的人気を集めた羽田盃。単勝は110円。逃げ馬多いメンバーの中であっさり先手を取ったマルゼンアデイアルは、マクリを打ったマリンボーイの追撃を2馬身退けてケタ違いの強さを披露した。

 「京浜盃、黒潮盃、羽田盃の3回しか乗っていないんだけど、どれも馬なりで本当に強かった。あんなにゴムマリみたいな馬はいないね。羽田盃も馬なり5馬身。ポーンと出っぱ良くゲートを出た瞬間にあぁ、勝ったなと。負ける気がしなかった」と的場騎手は言う。実はこの時、的場騎手は調教で落馬し肋骨が4本折れていた。それでも「落っこちなければ勝てるから乗せてください」と午後には病院を抜け出してきたのだった。

 「ダービーは絶対勝てるだろうから、夢見たのはその先。まずはオールカマー使って、この馬とジャパンカップに行こうと思った。芝適性がものすごくありそうだったし、とにかく素軽くて、車でいうならベンツの最高級クラス。それくらい乗り味がよかった。羽田盃のレース後ヒザが腫れっぽい。剥離骨折が判って休養に出て、戻ってはきたんだが復帰は叶わず、羽田盃が最後のレースになってしまった」。

 ヒザを手術し、約1年の休養を経て帝王賞での戦列復帰を目指した時に悲劇は起こった。「何本目かの中間追いだったが、3コーナー回ってボキーッと大きな音がした。肩を骨折していて、もう手の施しようがない状態。最期のあの目、何度も振り返って俺を見るんだ」と、織田厩務員もまた、マルゼンアデイアルには昇華できない想いが残っているという。


第30回羽田盃 マルゼンアデイアル号

中川明美 (競馬ブック)

※この原稿は、過去のレーシングプログラムに掲載されたものに、加筆・訂正を加えたものです。