重賞名馬ストーリー

重賞名馬ストーリー vol.01

記憶に残る大輪コンサートボーイ ~マイルグランプリ~

 マイルグランプリ。その歴史はまだ浅いが、帝王賞という大舞台に向けた重要なステップであり、ここを飛躍のチャンスに羽ばたいた名馬は多い。

 アマゾンオペラ、ナイキジャガーそしてコンサートボーイの三強に沸いた1997年。外から一気に先頭に躍り出たコンサートボーイが2馬身突き放した。大きなガッツポーズで喜びをあらわした内田博幸騎手。「これが初めて獲ったGIタイトル(現在はSII)。テン乗りだったし、マイルを意識して早めに動いたが、思った以上の爆発力でグングン伸びたのでこっちが驚いたくらい」と第3回マイルグランプリは内田騎手にとって大躍進の序章といえるレースになった。

 しかしながら、次なる帝王賞では直前まさかの騎乗停止で手綱を委ねることに。6万人の観衆が熱狂する中、コンサートボーイと共に初のダートグレードGI優勝の栄誉を手にしたのは、乗り替わった的場文男騎手だった。内田騎手は発奮の糧となる熱い杭をコンサートボーイに打たれたという。

 コンサートボーイは3歳(当時の表記)の夏、旭川競馬場でデビューした。新馬戦は9馬身圧勝。 その後6戦3勝という成績で川崎へ移籍する。その年の南関東は浦和のヒカリルーファス、大井のジョージタイセイという大物が誕生し、コンサートボーイとの三強ムードが漂ったが、第一冠の羽田盃はヒカリルーファスを捕らきれず2着、東京ダービーではジョージタイセイに迫るも2着。タイトル奪取を賭けて大井の名伯楽・栗田繁調教師の元に転厩して東京王冠賞(当時三冠目として秋に行われていた)に臨んだが、今度はツキフクオーという新星の強襲にあってまたしても2着。「善戦マン」返上こそならなかったが、クラシックを最高に盛り上げる立役者となった。

 「クラシックのうっぷんを晴らす成長力を見せて開花したのは5歳になってから。大型馬で冬場は絞りきれず、夏は暑さにめっぽう弱くてベストの時期が短い馬だった。それでも口を割って相手を捕らえに行く勝負根性が素晴らしかったね。毎回人気になるんだが球節不安が出てからは応えることが叶わなかったのが残念」と父の元で調教師補佐として調教も担っていた栗田泰昌調教師が語る。

 39戦11勝、2着9回、3着8回。帝王賞制覇等の輝かしい実績はもちろんだが、この数字は繰り広げた名勝負の証。巨体を揺るがす豪快な末脚で魅了し続け人々の記憶に残る名馬となったコンサートボーイ。2000年1月には大井競馬場で引退式が行われ、大声援に包まれた。


第3回マイルグランプリ コンサートボーイ

中川明美 (競馬ブック)

※この原稿は、過去のレーシングプログラムに掲載されたものに、加筆・訂正を加えたものです。