TCKコラム

TCK Column vol.70

TCKジョッキーヒストリーWEB版 Vol.4 鈴木 啓之騎手編

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鈴木 啓之 騎手プロフィール
・所属厩舎
杉山 康史
・初騎乗年月日
昭和58年4月30日
・生年月日
昭和40年9月7日
・出身地
埼玉県
・2004年成績
978戦89勝(うちTCK53勝)
・2005年成績
794戦64勝(うちTCK46勝)

■ジョッキー人生七転び八起き

辛いことだって
あるわけで

昨年は出遅れちゃったな~、5馬身くらい(笑)。あんなヒドいの初めてだし、病院も絶対安静だったし参った。でもほんとに寝起きするのもキツいくらいで、かなり辛かったよ。なんとか無理して3月から乗り始めたけど、休んだ分を巻き返していかないとね。
騎手学校時代


騎手学校時代
(右から3番目)

 出身は埼玉県なんだけど、お爺さんの代から家で馬主やってて。

だから物心ついた頃から競馬場に通ってたね(笑)。北関東の足利、宇都宮、高崎あたり。そんな事情で競馬と遭遇して「お馬さん好き」って感じだったかなあ。でも小学生になったらすでに乗馬してたよ。うちの回りに田んぼいっぱいあって、そこで放牧してた馬に父が装鞍してくれてね、その時「あ、面白い、騎手になろうかな」と。


幼少の時(左)

それで、中学卒業したら騎手学校を受験するんだけど、これがまた大変。ぜんぜん自覚しないまま体重オーバーに気づいたのが2週間前。バスケと陸上やって1日に4~5食くらい食べてたから緊急措置の減量生活。給食の時間辛かったなあ。ガマンして一人で校庭にいたんだよね(笑)。その甲斐あって7~8キロ落とせたけど、それだけ努力して入学したわりに初日の身体検査でまた重量オーバー。いきなり無言でブン殴られたりして「いや~こりゃ凄いとこ来ちゃった」みたいな(笑)。


騎手学校時代
(下段右から2番目)

 初騎乗の思い出は緊張。前の日から眠れないくらいドキドキしてた。たしか1,700mの5~6頭立てで、たしかケツでゴール(笑)。だから、初勝利をあげた時はすごく嬉しかったのを覚えてる。それからも夢と現実のギャップがありすぎて、もうやめようと思ったこともあるよ。でも夢があったし、努力することだけはやめなかったから。ダービージョッキーになるまでは苦労したけど、今の自分があるのは全て故小筆昌調教師のおかげかな。だから今年の休養はキツかったね。乗って負けるのが一番悔しいけど、乗りたくても乗れないのはどうしようもないし。


騎手学校時代
(上段左から4番目)

 今後の方針は、イケイケ戦法だけじゃなく頭も使って乗っていくよ。推理しながらレースに臨めば、いい結果も多いしハマった時に快感も倍増。そういう新しい面を見せながら自分をアピールしていきたいかな。若い頃には制裁とかも多かったけど今は違うぞと。これからは人気薄でも、あんまり無視してるとヒョっとしてコワいかもしれませんよ。あ、ファンの皆さんにということで(笑)。

■オフの楽しみは

娘がいるから頑張れるよ

現在のマイフェイバリットは娘だね。今2歳だから、いちばんかわいい時かな~と親バカするようにして、一緒に買い物いったり散歩したり。それ以外で自由な時はジムに行って泳いでる(笑)。平泳ぎとクロールで500mずつ。飽きたらエアロバイクとかウェイトやったり、趣味と実益を兼ねてみたいなとこで。

温泉もいいね。騎乗停止の時にふら~っと回った伊豆は最高だったよ。釣りした魚を料理したりして楽しかったなあ。それと映画。なかなか行けなくてDVDとかになっちゃうけど調整ルームでも観てるよ。最近のやつだと韓流ブームで『僕の彼女を紹介します』なんか良かった。ちょっと感動したりしたし。

■座右の銘

「勝利、勝者」

やっぱり、この世界にいる限り勝たないと駄目。いつも先頭でゴールすることしか考えてないから、負けた時はほんとうに機嫌悪くて。後輩から「目がコワい」とか言われたりするけど、それだけ真剣にやってる証拠(笑)。

■ファンへのメッセージ

さらなる上を
目指すためには

もうちょっと早くから中央との交流があってたら、チャレンジすることも考えたんだろうけど、それより今は後輩の育成のほうが大事かな。若手のメンバーなんかは積極的に経験を積んだほうがいいけどね。でも、やっぱり自分を育ててくれた大井競馬に恩返ししたい気持ちも強いし、大井の鈴木のままでいたほうが自然と注目度も高くなるかもしれないし。でもチャンスは見逃さないよ。

目標にしたいのは、デットーリ騎手。もう10年以上前の話だけど、JRAのヤングジョッキーズワールドチャンピオンシリーズで一緒になって、そりゃもうド迫力だった。腕に磨きをかけ、技を駆使して、またいつか対戦してみたいね。さらに相手も進化してるだろうから、負けないようにしなくちゃ。

■感動の名馬

個性豊かな
馬たちと出会い

 いちばん印象に残るのは、アポロピンク。ダービージョッキーになるという自分の夢をかなえてくれた馬だから。今だから言えるけど、ほんとはダービーで乗れなかったかもしれなかったんだよね。オーナー・サイドから的場さんって話も出てたらしくて。でもその後に中央移籍も決まってたし「最後のチャンスだから乗せてやってほしい」と故小筆昌調教師が頼んでくれたんだ。すごく賢くて牝馬特有の切れ味も持ってたから自信はあったね。ゴールした瞬間「騎手になってよかった」と実感できた。どちらかと言えば、こちらが感謝しなくちゃというのがホントかも。


アポロピンク

 ハシルショウグンで出場したジャパンカップも忘れられないね。競馬全体としても最高潮だった頃で13万人くらいお客さん入ってて「ほんとにここで走っていいのかなあ」みたいな感じで舞い上がったよ。結果はそれなり(笑)。でも、あの舞台で乗れた経験はどこかで活きてると思うし。的場さんに負けないぞ!みたいな意識も強くて、ハナ差ながらも川崎記念を勝った時は「やったぜ」と。そういった貴重な経験を積ませてもらったから、この馬にも感謝しなくちゃね。


ハシルショウグン

 なんだか妙に心に残るのは、サントス。体も小さいしトビも大きくないし、最初の頃そんなに強いと思ってなくて。でも騎乗を断ったら勝っちゃうんだなあ。まさか重賞までいけるなんて想像もしなかったけど、馬自身が努力家だったのか、厩務員さんに応えようとしてたのか、あるいは見る目がなかったかな。

 あと、またも大井記念で残念賞だったウエノマルクン。今回こそ一番のチャンスと期待したけど、ケージーチカラがねえ・・(笑)。そちらにも乗ってたから、手の内はだいたい把握してたんだけど、4コーナーで少し気を抜いた分だけ勝つチャンスを逃した感じかなあ。これで大井記念、2着、3着、2着。いい脚を持続できるし長距離向きは間違いないけど、いつも必ず何か前にいるね。コンスタントに走ってくれてるけど(東京大賞典は12着)もう7歳だし今年はキビしいかなあ。まあ、勝負は時の運みたいなとこもあるから。いや、言いわけじゃなくて(笑)。


ウエノマルクン