走り続けた理由:チャンピオンスター(全5話)
7歳2度の帝王賞制覇編
難しい気性がアダになった。
ある調教をきっかけに、大きく何かが動き出した。
想像もできない幸運が、
1頭の7歳馬に、
1人のジョッキーに、
尽力した関係者に、
オーナーに、
見えない磁気のごとく引き寄せられていく。
再び王者に返り咲き、絶対能力の高さを見せつけた。
消長の激しいサラブレッドにとって、3年は決して短くない時間だ。
まさに前例のない快挙が展開される。
金盃後の調教
年が明けた平成3年、7歳という高齢になったチャンピオンスター。始動は2月26日、金盃からである。
「飛び出した1番枠のアーデルジークがそのまま行って少し抑えてくれればよかったが、内をあけてしまったために、そこに後続がなだれ込み、少し展開が速くなってしまった。このときは、57.5kgという斤量で、気もすごく荒く折り合いがつかなかった。それにやはり脚元が不安だった。利口な馬だから、少しでも不安を感じれば気を抜くところがあった」。
結果、金盃はクビ差2着に終わった。勝ったシローランドは、チャンピオンスターよりも3歳も若く、斤量も54kgだった。
この金盃を境に、調教方法が変わっていく。難しい気性をなだめるような調教をしなければいけない。
「内馬場にある角馬場に連れて行って、荒い気性をなだめるように調教を始めた。ほかの馬がいないここで、馬と向き合うようにしていた」。
気の荒い馬は、どうしても他馬と一緒に調教するのが難しいときがある。大井の馬が、一斉にトラックで調教をする中にいたらどうなるか。
気の荒い馬は、今ではほかの馬がいない角馬場(内馬場の放牧場)に連れて行って、落ち着かせるように調教するのが当たり前だが、当時はそのようなことはしていなかった。
この調教は大成功であった。
4月3日、全国の地方競馬から、そして中央競馬から一流のダート巧者たちが一堂に会し、春のダート王を決定する第14回帝王賞。昭和63年以来2度目の制覇に向けて、参戦した。
この年から、帝王賞、オールカマー(中山)、ブリーダーズゴールドカップ(道営札幌)の3大レースに連勝した馬に対して、1億円のボーナスがブリーダーズ協会から贈られることとなった。この特典によって、帝王賞には、真の実力馬が全国から集まったのである。
最強の対戦相手となるのが、中央競馬のナリタハヤブサだ。帝王賞の前に、ウインターステークス、フェブラリーハンデ(現フェブラリーステークス)を2戦連続でレコード勝ちしたダートチャンピオン馬である。
さらに笠松競馬から、7度の重賞制覇をした牝馬マックスフリートが参戦。鞍上は当時まだ笠松競馬所属だった安藤勝己騎手。
ほかに中央からミスタートウジン、インディアンヒル。地元からは金盃の覇者シローランドやジョージモナーク、スピリットエビスがそろった。
これだけの強豪がそろえば熱戦が期待されるだけに、3万人以上のファンが押しかけ、スタンドは熱気にあふれかえっていた。
1番人気ナリタハヤブサ、2番人気マックスフリート、3番人気にチャンピオンスターが推された。この3頭で人気を3分していた。
レースはナリタハヤブサ、チャンピオンスターが中団、マックスフリートはいつもの軽快なフットワークが見られず、後方にいる。マックスフリートはレース前から落ち着きがみられなかった。3コーナーまでレースは、たんたんと流れ、動き出したのは4コーナーに入ってから。ここから直線中ほどまでの叩き合いとかけ引きが続く。
ゴールまであと200mという直線で、4コーナーから動きが鈍くなっていたナリタハヤブサの内を、がまんしていたチャンピオンスターが豪快に伸びて、先頭集団を一気に捕らえ、ゴール板を真っ先に駆け抜けた。
3年ぶり2度の帝王賞制覇、しかも7歳馬だ。高橋三郎も昭和63年のこのレース前に負ってしまったケガで、勝利の騎乗ができなかった悔しさを晴らしたときでもあった。
厩舎、高橋三郎による金盃後の調教が、大成功を収めたといえる。前走金盃と比べてまったく別なレースをしたのだ。
「7歳になって道中折り合いがつくようになって、無理に行くようなこともなくなった。屈腱炎も治まっていたのがプラスだった」。
1億円のボーナス資格を得たチャンピオンスター。もちろんオールカマーへの参戦を目標とした。
(命を追い求めた馬生編へ続く)
チャンピオンスター 血統表
牡 栗毛 1984年5月9日生まれ 北海道浦河産・山春牧場 | |
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スイフトスワロー(USA) | Northern Dancer(CAN) |
Homeward Bound(GB) | |
スイフトロード | ロードリージ(USA) |
ヒデユキ |
チャンピオンスター 競走成績
年月日 | 競馬場 | レース名 | 距離(m) | 騎手 | 重量(kg) | 人気 | 着順 | タイム |
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昭和61年 12月9日 |
大井 | 2歳新馬 | 1000 | 西川栄二 | 53 | (2) | 1 | 1:02.9 |
昭和62年 1年2日 |
大井 | 3歳 | 1400 | 西川栄二 | 54 | (1) | 1 | 1:30.4 |
1月28日 | 大井 | 葉牡丹特別 | 1600 | 西川栄二 | 54 | (2) | 1 | 1:44.8 |
2月13日 | 大井 | 水仙特別 | 1600 | 西川栄二 | 55 | (1) | 3 | 1:45.9 |
4月9日 | 大井 | 黒潮盃 | 1800 | 早田秀治 | 56 | (4) | 1 | 1:58.3 |
6月3日 | 大井 | 東京ダービー | 2400 | 早田秀治 | 57 | (3) | 4 | 2:39.0 |
7月26日 | 大井 | サマーC | 1700 | 早田秀治 | 52 | (2) | 7 | 1:49.2 |
11月11日 | 大井 | 東京王冠賞 | 2600 | 早田秀治 | 57 | (6) | 2 | 2:52.9 |
12月23日 | 大井 | 東京大賞典 | 3000 | 高橋三郎 | 54 | (4) | 4 | 3:16.7 |
昭和63年 2年4日 |
大井 | ウインターC | 1800 | 高橋三郎 | 56.5 | (1) | 1 | 1:55.2 |
3月3日 | 大井 | 金盃 | 2000 | 高橋三郎 | 51 | (1) | 1 | 2:05.8 |
4月13日 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 桑島孝春 | 56 | (3) | 1 | 2:07.0 |
6月21日 | 大井 | 大井記念 | 2500 | 桑島孝春 | 57 | (1) | 1 | 2:42.8 |
7月27日 | 川崎 | 報知オールスターC | 1600 | 桑島孝春 | 57 | (1) | 2 | 1:41.5 |
9月18日 | 新潟 | オールカマー | 2200 | 桑島孝春 | 57 | (4) | 15 | 2:14.6 |
11月2日 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 高橋三郎 | 57.5 | (1) | 7 | 2:36.9 |
1年10ヵ月休養 | ||||||||
平成2年 9年5日 |
大井 | かちどき賞 | 1800 | 高橋三郎 | 55 | (6) | 4 | 1:56.5 |
10月24日 | 大井 | グランド チャンピオン2000 |
2000 | 高橋三郎 | 56 | (2) | 7 | 2:10.5 |
11月20日 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 高橋三郎 | 55 | (1) | 1 | 2:34.3 |
12月13日 | 大井 | 東京大賞典 | 2800 | 高橋三郎 | 55 | (3) | 11 | 3:08.7 |
平成3年 2年26日 |
大井 | 金盃 | 2000 | 高橋三郎 | 57.5 | (2) | 2 | 2:06.7 |
4月3日 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 高橋三郎 | 55 | (3) | 1 | 2:05.2 |
7月10日 | 川崎 | 報知オールスターC | 1600 | 高橋三郎 | 57 | (2) | 1 | 1:41.0 |
9月15日 | 中山 | オールカマー | 2200 | 高橋三郎 | 56 | (9) | 12 | 2:16.1 |
副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。