TCKコラム

TCK Column vol.53

走り続けた理由:チャンピオンスター(全5話)

天国と地獄編

引退してもおかしくない故障との戦い。
復帰をすれば元号が変わっていた。
1年10ヵ月もの長期休養。
消長の激しいサラブレッドに、これは致命的であった。
しかし、なによりも愛馬を見守り続けたオーナーの存在は大きかった。
必死に看病した厩務員と関係者。
奇跡は、2年5ヵ月ぶりの重賞制覇となって実った。
だが、この直後に高橋三郎は天国と地獄を味わう。
地獄の結末は……言葉にならない。
放心状態の高橋三郎がダートに1人取り残された……。

大差負けした理由

平成2年9月5日、6歳になったチャンピオンスターが1年10ヵ月ぶりに帰ってきたレースは、かちどき賞。結果は4着と掲示板を確保するにとどまる内容ではあったが、また屈腱炎を発生するんじゃないかと、レース中の高橋三郎は胸中穏やかではなかった。
次戦の第1回グランドチャンピオンでは、押し出されるように早くから先頭に立ち、そのまま先頭できた直線で失速してしまい7着。展開に恵まれなかったといえばそうだが、いまだ本調子ではなかった。

「飯野厩舎の若い厩務員が、非常に熱心にケアをしていた。同じ屈腱炎を患ったイナリワンを管理する福永二三雄調教師から、屈腱炎の治し方を教わり、チャンピオンスターに付きっきりで手当てをしていた。私も、飯野先生も調教の仕方など熱心に議論して、一生懸命だった。これだけの馬が転厩して来るということは大変なことだからと、厩舎一丸となってケアしていた」。

厩務員を始め、高橋三郎、飯野貞次調教師、そして厩舎一丸となっての努力は、復帰から3戦目の第27回東京記念で、2年5ヵ月ぶりの重賞制覇を飾ることで実った。
3番から4番手で先行し、直線中ほどで先頭へ出て、後続に2馬身差のゴール。
「単騎で逃げると、気を抜いてしまうのでハラハラした」。
とレース後、コメント残している。装鞍所に戻ってきた高橋三郎の顔には満面の笑みがこぼれていた。

東京記念で奇跡の復活を果たしたチャンピオンスターが、次に目指すは東京大賞典。高橋三郎が初騎乗した昭和62年の東京大賞典から3年も経過していた。
自信があったレースだったはずが……。結果11頭立ての11着、しかも6.5秒差、30馬身差以上の大差負けだ。
最初の1周目の4コーナーで、先頭に立ったものの、向正面に入ったところで、突如失速した。

「その理由は、鞍が大きくズレてしまったから。思いもよらず先頭に立ったものだから、抑えると同時に、急激に前のめりになって、鞍が一気にズレてしまった。鞍は馬の首のところまでズレてしまった。馬を止めようと思っても止まらず、飛び降りようにも、右足がいうことをきかないから、アブミに引っかかって、引きずられ死ぬのではないかと思った。何とかなだめて、馬のたて髪に必死につかまっているのが精一杯だった。よく落ちなかったなと。鞍も首からさらに先へズレれば、どうなっていたか分からない。自分が甘く見てしまった。それほど鞍をきつく閉めなかったのだ。ファンに対しても、オーナーさんに対しても、だれにでも申し訳ない以前に、言葉を出せる状態ではなかった」。
 言葉を出せる状態ではないという高橋三郎の気持ちは、騎手生活30年という大ベテラン、自分は大井競馬でのトップであり、地方競馬を代表する騎手でありながら、その自分がなぜこんなミスをするのか。そしてこれまで築き上げてきたすべてのものが、一気に目の前から崩れ落ちるさまであったのだ。

東京大賞典の前日、現在では廃止になってしまった全日本アラブ大賞典というアラブ日本一を決める大レースをオオヒエイで制覇していた。わずか2日間で天国と地獄を味わった高橋三郎。なんという対照的な日になってしまったのだろうか。自身のケガからの復帰、チャンピオンスターの復帰、やっとの思いで、大井のダートに帰ってきたというのに……。
 東京大賞典後、高橋三郎はしばらく放心状態に陥っている。

(7歳2度の帝王賞制覇編へ続く)

チャンピオンスター 血統表

牡 栗毛 1984年5月9日生まれ 北海道浦河産・山春牧場
スイフトスワロー(USA)Northern Dancer(CAN)
Homeward Bound(GB)
スイフトロードロードリージ(USA)
ヒデユキ

チャンピオンスター 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 人気 着順 タイム
昭和61年
12月9日
大井 2歳新馬 1000 西川栄二 53 (2) 1 1:02.9
昭和62年
1年2日
大井 3歳 1400 西川栄二 54 (1) 1 1:30.4
1月28日 大井 葉牡丹特別 1600 西川栄二 54 (2) 1 1:44.8
2月13日 大井 水仙特別 1600 西川栄二 55 (1) 3 1:45.9
4月9日 大井 黒潮盃 1800 早田秀治 56 (4) 1 1:58.3
6月3日 大井 東京ダービー 2400 早田秀治 57 (3) 4 2:39.0
7月26日 大井 サマーC 1700 早田秀治 52 (2) 7 1:49.2
11月11日 大井 東京王冠賞 2600 早田秀治 57 (6) 2 2:52.9
12月23日 大井 東京大賞典 3000 高橋三郎 54 (4) 4 3:16.7
昭和63年
2年4日
大井 ウインターC 1800 高橋三郎 56.5 (1) 1 1:55.2
3月3日 大井 金盃 2000 高橋三郎 51 (1) 1 2:05.8
4月13日 大井 帝王賞 2000 桑島孝春 56 (3) 1 2:07.0
6月21日 大井 大井記念 2500 桑島孝春 57 (1) 1 2:42.8
7月27日 川崎 報知オールスターC 1600 桑島孝春 57 (1) 2 1:41.5
9月18日 新潟 オールカマー 2200 桑島孝春 57 (4) 15 2:14.6
11月2日 大井 東京記念 2400 高橋三郎 57.5 (1) 7 2:36.9
1年10ヵ月休養
平成2年
9年5日
大井 かちどき賞 1800 高橋三郎 55 (6) 4 1:56.5
10月24日 大井 グランド
チャンピオン2000
2000 高橋三郎 56 (2) 7 2:10.5
11月20日 大井 東京記念 2400 高橋三郎 55 (1) 1 2:34.3
12月13日 大井 東京大賞典 2800 高橋三郎 55 (3) 11 3:08.7
平成3年
2年26日
大井 金盃 2000 高橋三郎 57.5 (2) 2 2:06.7
4月3日 大井 帝王賞 2000 高橋三郎 55 (3) 1 2:05.2
7月10日 川崎 報知オールスターC 1600 高橋三郎 57 (2) 1 1:41.0
9月15日 中山 オールカマー 2200 高橋三郎 56 (9) 12 2:16.1

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。