走り続けた理由:チャンピオンスター(全5話)
金盃勝利編
わずか1頭の後継馬を残し、種牡馬を抹消された馬がいる。
まるで、己の将来が分かっていたからこそ、
1年10ヵ月におよぶ故障からの復帰、
そして7歳まで走り続けた馬がいる。
オーナーに見守られ続けた馬がいる。
転厩をして再起をかけた馬がいる。
鞍上も同じく、ケガからの復帰、
そして天国と地獄を味わった男がいる。
この馬を救いたい、必死に看病した男がいる。
復活を祈り、再び頂点に立たせた師がいる。
奇跡の復活、再び上り詰めた頂点、そして訪れた悲劇のクライマックス、
過酷なブラッドドラマがここに始まる。
難しい気性
大井競馬場から数多くの名馬が誕生した。そんな歴代の名馬の中でも、波乱な馬生を歩んだ1頭がいた。名をチャンピオンスターという。チャンピオンスターには、同じ「名馬」でも「命馬」というほうがふさわしいのかもしれない。
競走馬としての命、残せた子孫への命、そして種牡馬としての命。走れども、走れども見えない「命」を追い求めた馬生だったに違いない……。
昭和61年、大井競馬場で日本初のナイター競馬「トゥインクル」が開催された。今では当たり前の光景であるが、当時は画期的な出来事であった。ナイタースポーツといえばプロ野球ぐらいしかないのだから。会社帰りのOL、サラリーマンが押し寄せ、一挙に競馬ファン層を変えてしまったのだ。
中央競馬では、メジロラモーヌがこちらも史上初の牝馬3冠を達成している。武豊騎手はまだデビューしておらず、彼の出現は翌年になってからであった。
そんな年の暮れに1頭の栗毛馬がデビューする。12月9日、秋谷元次厩舎からサラ系2歳新馬戦でデビューしたチャンピオンスターである。デビューレースでは、後続に5馬身半の大差をつけての勝利。年明け3歳戦、続く特別戦を立て続けに勝利し、デビュー3連勝を達成。一気にクラシックの筆頭に躍り出る快進撃であった。
クラシック前哨戦である黒潮盃を1馬身差で文句なしの勝利。厩舎も周囲からも期待されるクラシック制覇の夢。しかし、そのクラシックは、羽田盃は回避、東京ダービー4着、東京王冠賞2着と無敗に終わってしまった(当時のクラシック3冠は、春の羽田盃、東京ダービー、秋の東京王冠賞であった)。
チャンピオンスターは、もともとツメが弱い一面があった。厩舎は、脚部不安を抱えながらのレースを繰り返していたのである。
クラシックの敗因は、体調面から満足な調教ができず、本来持っている能力を出し切れなかったことにあるのだろう。
東京王冠賞から1ヵ月後の暮れの大一番、東京大賞典からあの高橋三郎騎手が騎乗することになった。
チャンピオンスターのオーナーは、デビュー戦から高橋三郎を騎乗させるつもりでいた。だが、昭和60年11月、調教中の事故で右足切断寸前の事故に遭い、オーナーの願いをかなえるのには時間がかかってしまったのだ。1年間騎手生命の境をさまよい、さらに1年間のリハビリ、復帰は2年後の昭和62年11月であった。丸2年のブランクで、右足は左足の半分の細さとなり、調教師となった現在もその後遺症に苦しんでいる。
復帰後の翌月、グランプリである東京大賞典に、期待されるチャンピオンスターの鞍上で帰ってきた高橋三郎。馬場入りした両者に多くのファンは大きな歓声で出迎えている。
レースではテツノカチドキから4馬身半の4着に終わってしまった。
だれもがその復活を待ち望んでいる。だが、意外にも早く、年明けのウインターカップでは、最重量56.5kgながら、相手に恵まれたこともあり、チャンピオンスターと高橋三郎のコンビによる初勝利を飾った。
次戦金盃の数日前、朝の調教を終えた午後、高橋三郎が厩舎に様子を見に行ったときに、馬房から突如チャンピオンスターが飛びかかってきた。
これはチャンピオンスターのもうひとつの一面。気が高ぶってしまい、調教でも折り合いがつかなかったときのほうが多く、ゲートの出はいいのだが、入るまでが大変という難しい気性を持っていた。
金盃では、逃げるイーグルシャトーの外側2番手に付け、3コーナーで馬ががまんしきれずハナに立ってしまった。
「レースは先行するタイプだった。ハナに立つと気を抜くところがあった。それで苦労した末の勝利。折り合いがつかなかった乗り方だった。当時はそれでもよくがまんして乗ったなとほめられたものだけど、今だったら馬との折り合いが付かないですね、となる」。
気を抜くといっても後続に4馬身差の勝利。ハナに立つときの勢いはすさまじいけれど、それからが問題だった。
(人馬一体の再起編へ続く)
チャンピオンスター 血統表
牡 栗毛 1984年5月9日生まれ 北海道浦河産・山春牧場 | |
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スイフトスワロー(USA) | Northern Dancer(CAN) |
Homeward Bound(GB) | |
スイフトロード | ロードリージ(USA) |
ヒデユキ |
チャンピオンスター 競走成績
年月日 | 競馬場 | レース名 | 距離(m) | 騎手 | 重量(kg) | 人気 | 着順 | タイム |
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昭和61年 12月9日 |
大井 | 2歳新馬 | 1000 | 西川栄二 | 53 | (2) | 1 | 1:02.9 |
昭和62年 1年2日 |
大井 | 3歳 | 1400 | 西川栄二 | 54 | (1) | 1 | 1:30.4 |
1月28日 | 大井 | 葉牡丹特別 | 1600 | 西川栄二 | 54 | (2) | 1 | 1:44.8 |
2月13日 | 大井 | 水仙特別 | 1600 | 西川栄二 | 55 | (1) | 3 | 1:45.9 |
4月9日 | 大井 | 黒潮盃 | 1800 | 早田秀治 | 56 | (4) | 1 | 1:58.3 |
6月3日 | 大井 | 東京ダービー | 2400 | 早田秀治 | 57 | (3) | 4 | 2:39.0 |
7月26日 | 大井 | サマーC | 1700 | 早田秀治 | 52 | (2) | 7 | 1:49.2 |
11月11日 | 大井 | 東京王冠賞 | 2600 | 早田秀治 | 57 | (6) | 2 | 2:52.9 |
12月23日 | 大井 | 東京大賞典 | 3000 | 高橋三郎 | 54 | (4) | 4 | 3:16.7 |
昭和63年 2年4日 |
大井 | ウインターC | 1800 | 高橋三郎 | 56.5 | (1) | 1 | 1:55.2 |
3月3日 | 大井 | 金盃 | 2000 | 高橋三郎 | 51 | (1) | 1 | 2:05.8 |
4月13日 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 桑島孝春 | 56 | (3) | 1 | 2:07.0 |
6月21日 | 大井 | 大井記念 | 2500 | 桑島孝春 | 57 | (1) | 1 | 2:42.8 |
7月27日 | 川崎 | 報知オールスターC | 1600 | 桑島孝春 | 57 | (1) | 2 | 1:41.5 |
9月18日 | 新潟 | オールカマー | 2200 | 桑島孝春 | 57 | (4) | 15 | 2:14.6 |
11月2日 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 高橋三郎 | 57.5 | (1) | 7 | 2:36.9 |
1年10ヵ月休養 | ||||||||
平成2年 9年5日 |
大井 | かちどき賞 | 1800 | 高橋三郎 | 55 | (6) | 4 | 1:56.5 |
10月24日 | 大井 | グランド チャンピオン2000 |
2000 | 高橋三郎 | 56 | (2) | 7 | 2:10.5 |
11月20日 | 大井 | 東京記念 | 2400 | 高橋三郎 | 55 | (1) | 1 | 2:34.3 |
12月13日 | 大井 | 東京大賞典 | 2800 | 高橋三郎 | 55 | (3) | 11 | 3:08.7 |
平成3年 2年26日 |
大井 | 金盃 | 2000 | 高橋三郎 | 57.5 | (2) | 2 | 2:06.7 |
4月3日 | 大井 | 帝王賞 | 2000 | 高橋三郎 | 55 | (3) | 1 | 2:05.2 |
7月10日 | 川崎 | 報知オールスターC | 1600 | 高橋三郎 | 57 | (2) | 1 | 1:41.0 |
9月15日 | 中山 | オールカマー | 2200 | 高橋三郎 | 56 | (9) | 12 | 2:16.1 |
副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。