TCKコラム

TCK Column vol.29

孤独のダートにゆらめく光と影 サンライフテイオー(全5話)

狂気の気性編

重賞はわずか1勝でも、1人の男の心に残る馬がいる。
狂気を帯びた気性にだれしも戸惑った。
情熱が人一倍高い厩務員と二人三脚で、まれに見る気性の難しい馬の調教に汗を流す男。
だが、たしかな才能を男は見逃さない。この馬ならクラシックを取れると。
しかし、大きな期待とは裏腹に、無敗に終わったクラシック。
起死回生を図るべく目指した新たなる目標とは?
そして何とか勝たしてやりたいという願いは?
名馬に課した試練とは?
心と体に大きな傷を持った名馬と男。
ダートの上で孤独な2人に共通する部分は少なくない。
男が引退し、その7ヵ月後に起こった突如の悲劇とは?

特別メニューの調教

平成9年3月21日、大井競馬場のみならず日本の偉大なジョッキーが引退した。34年間の騎手生活、生涯勝利数3975勝は佐々木竹見騎手に次ぐ日本2位(当時)、重賞勝利数127、獲得賞金王3度。だれからも親しまれた緑の勝負服を脱いだその男の名は高橋三郎。52歳の年齢は、頭髪を白くし、周りの若手のジョッキーと比べれば、父親と同じ年齢かそれ以上だろう。

この男が最後に愛した、育て上げた馬がいた。その名をサンライフテイオー。
鹿毛の520kg台の大型馬。父ホスピタリティはTCKでデビュー8連勝を飾った名馬。その産駒はスタートダッシュに優れたダートに強い馬が多い特徴があった。サンライフテイオーもその優れた血を受け継いでいた。そして、その競走馬としてすばらしい端正な馬体からは想像もつかない一面をのぞかせる。

馬房の奥でじっと息を潜め、引きつった目で人間を威嚇する。まるで自分がここに居なければいけない理由などはないと言わんばかりに。その目にはまるで何かに取り付かれた狂気のようなものさえあった。そして、その狂気が乗り移ったかのような気性の激しさは特別だった。気性の激しい馬はいくらでもいるが、比べ物にならないほどの狂気を宿した気性であった。

入厩当初から高橋三郎は、このサンライフテイオーの調教に携わっていた。
「入厩当初の乗り始めのときから、周りに他馬がいると、飛び掛ったり、蹴ろうとしたりする。だから他馬と接触しないように、ほかの馬の調教が一段落した朝の8時ごろから調教を始めた。終われば角馬場(内馬場の端・放牧地)に連れて行って、トゥインクル開催なら午後2時ごろまで放牧させてね。馬房に入れてイライラさせるより、少しでも放牧させたほうがいいと思って」
この特別メニューの調教アイディアを出し、実行したのは高橋三郎であった。管理する三坂博調教師(故人)も快く賛成してくれた。だが、ここまでしてもサンライフテイオーの気性の激しさをなだめることは不可能だった。
「普通は乗らないよ。あそこまでされたらね。というのは、何度となくバーンと立ち上がって振り落とされているから」

それでも、高橋三郎はサンライフテイオーの能力を信じ、この馬に執着した。なぜならば、並外れた能力があることはまたがった瞬間に分かったからだ。ただ者ではない大物の素質を感じとっていたのだ。それは、高橋三郎と二人三脚で育て上げることになる須田厩務員も同じ思いであった。
「須田厩務員と3冠のなかのひとつや二つは取れるよな、と年中言っていた。乗った感じ馬の硬身はあり、デビューレースでは勝てなかったけれども、2戦目、3戦目となると変わり身が早く、状態がよくなってきた。これは須田厩務員が非常に馬作りに情熱のある人で、彼が一生懸命に世話をしたからだ。私よりも情熱のある人で、彼がいたからこそと思っている」
そんな須田厩務員には、サンライフテイオーも心を少し開いていた。ほかの人間がうっかり馬房の前を通ろうとするものなら、馬房の奥から飛び掛ってきて、噛みつき、中へ引きずり込もうとさえする。須田厩務員がいなければ、大げさでなくケガでは済まされない事故がおきても不思議ではなかったほどだ。人間は嫌いだ。毎日接している人間以外来るな! 近寄るな! 触るんじゃない! という気配が常に出ていたという。

馬とは利口なもので、信頼する須田厩務員の足音、話し声には、耳を動かし、認識するのである。

それに馬は人間に対して従順な動物のように思われているが、決してそうではない。
強い馬、速い馬ほど動物としての強い意思と本能を持っており、簡単には人間に従おうとはしない。それを競走馬として仕上げるのが調教の重要な部分なのである。

高橋三郎は「なんかこの仔にしてあげられないか」という思いから、多摩川に行き、食べさせてやる草を刈って与えることを日課としていた。
「自然で新鮮な草はおいしい。食べ方が違うのを見れば分かる。バナナ、りんごなども自分で購入して与えていた。そんなコミュニケーションをとっていたから、徐々に壁は取れ始めたんだろう」
このように馬のことを第一に考え、実践しながら調教をしていたので、馬の気性も徐々に和らぎ、ストレスのはけ口を上手に作っていくこととなる。
馬との根気比べのような我慢強い調教は、3歳の秋口になってようやく実ることになるとはまだだれも知らなかった。いや、そこまでかかるとはだれも想像していなかった、もっと早く結果が出ると思っていたのだから。

夢ではないクラシック制覇

平成7年、能力試験から12日後の9月24日、デビューをする。
「新馬戦のときは、勝てると思っていた。だが、ゲートの中で暴れるだけ暴れてしまった。とにかくテンションが上がる馬だった。パドックでも同様で、3戦目まで常にテンションが高かった。ゲートの中で暴れるのは、これ以降も続いていた」
2戦目に優勝し、この勢いをつなげたい3戦目は、11月8日のゴールドジュニアー。出脚のよさは並外れたものが備わっていた。それゆえ、高橋三郎は並の逃げ馬にはしたくないという思いがある。
いつものように先行するサンライフテイオーを向正面から必死になだめる高橋三郎の姿があった。それは直線勝負に持ち込む考えだったのだ。直線では先行する2頭に合わせ、一気に先頭に立ち、だれもが勝ったと思った瞬間、大外から脚を伸ばしてきた的場文男騎手騎乗のアイアイシリウスに並ばれ、叩き合いの勝負となりそのままゴール。結果はアタマ差の2着であった。この後、アイアイシリウスとは幾度となく戦うこととなる。

ローティションは、3冠クラシックロードに乗せるために、1ヵ月に1回のレースを守っていた。だが、あとになればの話だが、この使い続けたことが、サンライフテイオーの体に疲労を蓄積させ、その代償は思わぬところで見ることとなる……。

年明け、3歳となった平成8年3月5日、デビューから数えて9戦目となる若駒特別。
2番手の好位置につけ、直線で抜け出し2着以下に大差をつけて優勝。3戦目以降、すっかりこの勝負パターンが板についてきた。クラシック制覇も夢ではないレースぶりに、関係者は胸躍らすのであった。

次戦の南関東3歳登竜門となる準重賞の雲取賞では、セントリックとの2頭による激しい追い比べが続き、激しい闘志と勝負強さを見せ、ハナ差で勝利する。

サンライフテイオー 血統表

牡 鹿毛 1993年3月20日生まれ 北海道新冠・武田牧場生産
ホスピタリティ テュデナム
トウコウポポ
ティーヴィミニカム Dickens Hill
Camera

サンライフテイオー 競走成績

年月日 競馬場 レース名 距離(m) 騎手 重量(kg) 人気 着順 タイム
H7.9.12 大井 能力試験 800 高橋三郎       52.5
9.24 大井 2歳新馬 1000 高橋三郎 53 (1) 2 1:02.1
10.16 大井 2歳 1200 高橋三郎 53 (1) 1 1:15.4
11.18 大井 ゴールドジュニアー 1400 高橋三郎 53 (5) 2 1:27.8
11.30 大井 青雲賞 1600 高橋三郎 54 (3) 3 1:43.7
12.20 大井 胡蝶蘭特別 1600 高橋三郎 55 (1) 2 1:44.8
H8.1.17 大井 ゴールデンステッキ賞 1700 高橋三郎 55 (2) 2 1:50.8
2.19 大井 京浜盃 1700 高橋三郎 55 (11) 10 1:47.2
3.5 大井 若駒特別 1600 高橋三郎 56 (1) 1 1:43.6
3.26 大井 雲取賞 1700 高橋三郎 54 (1) 1 1:47.8
5.14 大井 羽田盃 1800 高橋三郎 56 (3) 2 1:54.4
6.6 大井 東京王冠賞 2000 高橋三郎 56 (2) 3 2:07.1
7.4 大井 東京ダービー 2400 高橋三郎 56 (3) 4 2:37.8
8.26 大井 アフター5スター賞 1800 高橋三郎 55 (3) 6 1:53.8
9.26 大井 東京盃 1200 高橋三郎 52 (8) 12 1:14.1
11.1 大井 スーパーダートダービー 2000 高橋三郎 57 (9) 1 2:05.8
11.23 盛岡 ダービーグランプリ 2000 高橋三郎 56 (5) 8 2:09.6
H9.6.26 船橋 京成盃グランドマイラーズ 1600 佐々木竹見 57 (2) 3 1:41.2
7.28 大井 サンタアニタトロフィー 1600 佐々木竹見 55 (2) 4 1:41.1
8.28 大井 アフター5スター賞 1800 佐々木竹見 55 (4) 8 1:54.7
10.2 大井 東京盃 1200 早田秀治 55 (9) 13 1:15.2

副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。