あるすい星の死 ツキノイチバン(全3話)
栄光編
満足な調教すらしていないのに、デビューするやいなや他馬に己の影さえも踏ませぬ圧倒的な速さとパワーで連戦連勝してしまう。期待に違わない強さと裏腹に、ファンの知ることない懸命な治療がだれの目に触れることなく続く日々。
鞍上はデビューしたばかりの新人騎手。彼に襲いかかるのは、勝たなければいけないというプレッシャー。
福永二三雄調教師はあるレースで「追うな!」と叫ぶ……。
追う必要のないすさまじい脚。それでも中央挑戦にはばかる非情な運命。
勝たなければいけないプレッシャー
鞍上を任されていたのは、デビューしたばかりの小安和也騎手であった。ツキノイチバンのデビューに合わせるかのように、小安は平成4年6月にデビューをし、能力試験から手綱を取っている。
デビューしたばかりの19歳の青年に託されたツキノイチバンを、自身はどのように受け止めていたのだろうか?
「すさまじいパワーもある一方で、折り合いもついて、賢いレースをする馬だった。まったく手のかからない馬だったね。ただ左前脚に故障を抱えているだけに、前足の歩様がよくなく、常にゴトゴトしている感じだった。後ろ脚がしっかりしているだけに、なおさら感じた。レースでは終始馬なりで、GOサインを出すだけだった。追ったらどこまで伸びるのだろうか、どこまで走っていくのだろうか、想像ができないほどその脚のすごさを感じた。それに道中は速いとは思わなかった。いつの間にか時計を出している感じ。バテル感覚がまったくなく、相当強い心臓を持っているんだろうね」。
ツキノイチバンと出会い、デビューした直後に優勝を重ねるという、ほかの新人騎手がうらやむ経験をした小安は天狗にはならなかったのだろうか?
「勝てるのだからうれしいことはうれしいが、ツキノイチバンは別物と考えていた。ほかの馬にも当然乗っていたので、いかにツキノイチバンだけが飛び抜けているのかがよく分かっていたから。ただ常に1番人気に推され、勝たなければいけないというプレッシャーに緊張はしていたね」。
福永二三雄調教師は、小安に騎乗に関して、指示らしい指示はしていなかった。なぜならする必要もないほど強いのだから。
「無理はするな。先行して脚に負担を掛けないように。そして、他馬の邪魔にならないように外側を回ってこい」。
とだけ言っていた。
レースの予定が立てらない
レース中では、小安が最大限の用心をしている。4コーナーを回った時点で、時おり後ろを振り向いていることがある。これはなにも振り向く余裕があったのではなく、後続の距離を確認し無理に引き離さずに、脚を使わせないようにしていたのだ。
調教もレースと同じく、小安に任されていた。
「強い追い切りなどはできなかった。脚と相談しながらの調教をずっと続けていた。馬場も普段から状態の良いところを選んで走らせていたぐらいだから。それでも必ず1日1回はつまずいていた」。
調教には細心の注意を払っていたことが分かる。それは福永も同じであった。
「調教なんて満足にできる状態ではなかった。強く追うことができず。調教らしい調教はしたことがなかった。いや、できなかったと言ったほうが正しいだろうね」。
デビューから満足な調教すらしていないのに連戦連勝、しかも後続を数馬身引き離す圧勝の数々。計り知れないパワーを宿す馬体。そのパワーを己が本能の赴くままに存分に発揮することはなかった……。
入厩当時からの世話は、福永、小安、厩務員の3人で行っていた。福永が世話も治療もする。それだけツキノイチバンへの期待の大きさがうかがわれる。
3歳11月から休養を8ヵ月はさんだ。脚を休ませる必要があったのだ。
「レースの予定なんて立てられないよ。使えば勝てるけど、そのあといつ立ち直ってくれるのか。だからここを勝ったら、今度はここへ行こうなんていう話はできなかった。常に脚と相談しながらだったからね」
と福永は振り返る。
休み明けを2戦2勝して向かえた8月30日、ロマンチックナイト賞では、直線でこれまでにない脚を使い後続をグングンと引き離し、11馬身差で勝ってしまう。
この時、福永は思わず、
「追うな!」
と叫んでいる。
強いのは分かっている。無理な勝ち方は必要ないのだ。
ここでまた4ヵ月の休養をはさみながらも、3歳から4歳までに8連勝を飾る。どれも2着との大差勝ちだけに、TCKに新星が現れたと一躍、ファンやマスコミの注目を浴び、スポーツ紙にツキノイチバンの名前が踊るようになった。栄光という名の光がまばゆいばかりに……。
非情な運命
休み明け初戦のクリスマス賞では、小安はツキノイチバンに今までにないレースをさせている。
スタートで追わず、他馬の後ろにつかせて砂をかぶらせることをしたのだ。
「いずれ相手も強敵になってくる。ある程度追わなければ勝てなくなるだろうとね。必ず将来こういう競馬をしなくてはいけないから」。
このレースでツキノイチバンと小安は、落馬したカラ馬に引っかかっている。小安の思いを知ってか知らずか、後方からの競馬を強いられたのだ。
「唯一、不安になったレースだった。一瞬だけどね。勝てるのかってね」。
それでも、直線で他馬を差しきり、後続を1馬身半離し勝ってしまうのである。まさに底知れぬパワーを持つ脚。とてもその脚が爆弾を抱えているとは、想像できないレースであった。
次走では、鞍上が佐々木竹見騎手へと乗り替わった。新人騎手である小安の減量の特典が受けられなくなるために、ベテランの佐々木竹見を起用したのである。
このとき、小安は、
「自分が手綱を取っているときは、故障したらどうしようとは思わなかった。レースだけに集中しているのだからね。自分が乗らなくなって初めて、心配するようになった」。
と語る言葉は、新人ながらツキノイチバンとともに成長した証だろう。
佐々木竹見へと乗り替わるのと同じころ、ファンやマスコミはイナリワンと同じように、中央移籍もしくは中央挑戦を期待し始める。
それもそのはず、翌年から中央G1競走が公営馬にも開放されることが発表されたからだ。当然、無傷の連勝馬という一番勢いがあるツキノイチバンが嫌でも注目される。だから鞍上も来るべき時に備えて、大ベテラン起用にいたったのだと。
「中央に行こうにも、トライアルがある以上、続けて使うことなどできるはずもない」。
福永の言葉を借りるまでもなく、レースの予定は常にツキノイチバンの脚と相談しながら決めなければならない。だから、最初から中央挑戦などは考えられていなかったのである。
パワー、折り合いができる賢い頭脳……中央へ行っても十分に通用する“強さ”を持ち合わせていながら、挑戦できない非情な運命を背負う。
ツキノイチバン 血統表
牡 黒鹿毛 1989年3月8日生まれ 北海道門別町・中館牧場生産 | |
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ミルジョージ(輸入) | Mill Reef |
Miss Charisma | |
エンゼルスキー | マルゼンスキー |
ミスカイリュウ |
ツキノイチバン 競走成績
年月日 | 競馬場 | レース名 | 距離(m) | 騎手 | 重量(kg) | 人気 | 着順 | タイム |
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H4.7.5 | 大井 | 3歳 | 1,400 | 小安和也 | 54 | (1) | 1 | 1.28.2 |
9.15 | 大井 | 3歳 | 1,600 | 小安和也 | 54 | (1) | 1 | 1.46.3 |
10.15 | 大井 | 3歳 | 1,500 | 小安和也 | 54 | (1) | 1 | 1.38.1 |
11.8 | 大井 | C1 | 1,400 | 小安和也 | 55 | (1) | 1 | 1.29.7 |
H5.7.15 | 大井 | C1 | 1,400 | 小安和也 | 55 | (1) | 1 | 1.28.1 |
7.29 | 大井 | みずがめ座特別 | 1,700 | 小安和也 | 55 | (1) | 1 | 1.48.7 |
8.3 | 大井 | ロマンチックナイト賞 | 1,700 | 小安和也 | 55 | (1) | 1 | 1.46.9 |
12.25 | 大井 | クリスマス賞 | 1,800 | 小安和也 | 55 | (1) | 1 | 1.56.2 |
H6.1.18 | 大井 | ベイサイドカップ | 1,800 | 佐々木竹見 | 54 | (1) | 1 | 1.52.9 |
2.28 | 大井 | 金盃 | 2,000 | 佐々木竹見 | 51 | (1) | 1 | 2.04.9 |
8.3 | 大井 | アフター5スター賞 | 1,800 | 佐々木竹見 | 55 | (1) | 1 | 1.52.8 |
10.27 | 大井 | グランドチャンピオン2000 | 2,000 | 佐々木竹見 | 57 | (1) | – | 中止 |
副田 拓人
1968年「みゃー、だぎゃー」と言いながら名古屋に生まれる。
競馬フォーラム、競馬ゴールド、ラジオたんぱなどを経て、現在フリー編集者。