Café Americano

Café Americano vol.19

第19回 あっというまの米国3冠競走。ケンタッキーダービー編

前回からまたもや3ヶ月経過

 TCKファンの皆様、元気でお過ごしでしょうか。東京シティカップが終了してからもあわただしく動いているうちに、あっという間に6月後半(執筆当時)。あと数日で下半期に突入です。もしかするとこの稿がアップロードされるときには、既に7月に入ってしまっているかもしれません。本当に時が経つのは早いものです。
 今年は既に10回以上の出張があり、車で行ける範囲の出張は2回のバレッツセール@デルマー競馬場だけ。他は全て日本・シカゴ・ラスベガス・フロリダ・ケンタッキー・ニューヨークへのフライト。その合間に日本からのお客様をロサンゼルス界隈にご案内しましたし、はたまた尊敬しているアメリカ人の友人が亡くなり、そのメモリアルサービス(故人を偲ぶ会のようなもので、アメリカでは一般的です)に参加。これを書いている日は、英国における国民投票が行なわれて、英国の欧州連合離脱支持が勝利。私の大好きなイギリス(第二の母国と自負してます)が、この後どのような未来を歩むことになるのかを心配する・・・などなど、個人的には喜怒哀楽にあふれる上半期でした。

 でもそんな中で、2016年上半期に、私に一番の経験をさせてくれたのは、あの芦毛の馬でした。

21年ぶり。ケンタッキーダービーへ日本調教馬が挑戦

 こう書いたら、上記の文章が指し示す馬は1頭しかいません。米国生まれ鳥取育ち、ケンタッキー州にお住まいの天皇賞馬が送り出す芦毛の怪物、ラニ様です。ノースヒルズ様生産のTapitの仔は、1歳だった2014年の秋に当社が日本に輸出した馬でした。あの当時を思い返すと、「いい身体をしている馬だな」と思いながらストールに積み込んだ思い出しかありませんでした・・・。
 前年の12月、朝日杯3歳ステークス(当時)で惜しくもフジキセキに敗れたものの翌95年のきさらぎ賞を優勝、晴れて日本の重賞ウィナーとしてケンタッキーダービーに初出走したスキーキャプテン。
 奇しくも同じ毛色の馬が21年後の今春にダービーに挑戦するとは、昨年の今頃は全く想像すらしていませんでした。その後のドバイでの活躍はメディアでの報道通りですが、私の彼との再会は、その数日後のシカゴでの輸入受け入れの時でした(写真1)。ドバイから飛んできたラニ様と一緒にトラックに乗ってきたアテンダントは、「彼はとんでもない馬だ!」「カリフォルニアクロームとか他のチャンピオンホースがいるのに、全く構わずに威嚇し続けてたよ!(笑)」が第一声。耳を澄ませると、確かに吼える声が聞こえ、しばらくするとラニ様よりも早くカリフォルニアクロームがトラックからお目見え。どうやら本当の話みたいでした・・・。シカゴの検疫所に入ったラニ様は、落ち着き始めたら、全く回りを気にせずに黙々と乾草を頬張っておりました(写真2)。

写真1
写真2

次の再会はチャーチルダウンズ競馬場で

 その3日後にラニ様はチャーチルダウンズへ移動。私はサンタアニタ競馬場で開催される東京シティカップもありましたから、シカゴに受け入れた翌日にいったんロサンゼルスへ引き上げ。しばらくして、私は4月末にケンタッキー州・ルイヴィルのチャーチルダウンズ競馬場に入り、1ヶ月ぶりにラニ様と再会。周囲に伺うと、環境に慣れきってしまうところもあったのでしょうが、何よりもチャーチルダウンズは本馬場そのものが非常に小さい(写真3、本当に20頭も走れるのかと心配になるくらい)ことから、他の馬が嫌いなラニ様には最良の環境とはいえなかったと思われ、調教助手の丸内さんを始めとする陣営の皆様はかなり調整にご苦労されたようでした(写真4)。最後はきっちりと仕上げられ、晴れてケンタッキーダービー出走の日を迎えました(その間にもいろいろイベントがありますが、割愛させて頂きます)。

写真3
写真4

ケンタッキーダービーはこの男に託されました

 ケンタッキーダービー前日のオークスの日。ルイヴィル空港に降り立ったのは、これまた21年ぶりの挑戦となる伊達男・盾男・ダービージョッキー、武豊騎手。空港の出迎えから日本に帰国するまでの間、送迎その他を担当させていただいたのですが、私の対人関係のポリシーは、「有名人も一般人も社長も一般社員も特別扱いしない」「対応する以上は、目の前の相手に誠実に尽くして差し上げるのみ」という2点。なので相手がユタカさんだからといってさほどアガったりもしないのですが、さすがに「この人がケンタッキーダービーでラニ様に乗るんだ」と考えると、事故を起こさないように、また、騎手の集合時間に間に合うようスムーズに競馬場にたどり着けるようにという点で少し気が張っていました。
 到着後、早速前日の競馬が見たいということで、一緒に競馬場へ。チャーチルダウンズに着いたユタカさんは、感慨深そうに一つ一つ(施設やダービー用のドリンク・ミントジュレップの試飲に至るまで(笑)を見ていました。ちゃっかり記念に写真も撮ってもらいましたが(写真5)。

写真5

 ダービー当日は朝から大賑わい。ユタカさんをジョッキールームに送り届けるまでの間、気づく人は「Yutaka Take!」と叫んではサインを頼んでいて。そこはさすが日本騎手クラブの会長、快くサインを引き受けておられましたが、無事に送り届けなきゃとこちらは少し緊張気味。2Fにあるジョッキールームから下を見下ろすと、多くの人たちで賑わっていて、「こういう雰囲気はすごくいいね」と楽しんでいました(写真6・7)。チェックインしたら、あとはダービーの前のパドックにユタカさんが降りてくるのを待つだけ。

写真6
写真7

 馬主さんとそのご一行は、競馬場が用意するウィナーズテラスというところに特等席が用意されます(写真8・9)。ケンタッキーダービーだけに、馬主席も含めた全てがダービーのために作られた感じで、どこの競馬場でもいつもは気にならないロンジンの時計が、やけに大きく見えました(写真10)。

写真8
写真9
写真10

 レースはご存知の通り9着という結果に終わりましたが、米国上位20頭中の9着。他馬と比べたら圧倒的不利な条件下での調整、3~4コーナーで2回の不利&大外を回ってのフィニッシュですから、大健闘であると思います。あとは陣営の方がおっしゃる「黄金の右手前」が出なかったことも・・・(ラニ様の優勝レースは全て最後の直線は右手前)。記念に調教助手の丸内さんに、レース後にゼッケンを持ってもらいました(写真11)。

写真11

でも私にとっての本番は「レースではない」んです。

 私の仕事はお馬さんの輸送。となると、私にとってのG1レースは、ダービーでもなくユタカさんの送迎でもなく、チャーチルダウンズから次のメインの滞在先となるベルモントパークへ無事にラニ様を送り出すことです。ダービー終了翌々日の早朝、ルイヴィル空港からニューヨークのイスリップ空港までの空路、及び空港からベルモントパークまでの陸路、そのための米国農務省へのリクエストなどなど。その意味ではダービー翌日からのダブルチェックが個人的に一番気を使ったわけですが。そして迎えた月曜日。準備を全て整え、無事に出発です!(写真12・13)

写真12
写真13

 馬が飛行機に乗っていくのを動画に撮ってみましたが、TCKの方はこれをアップしてくれるのでしょうか?(笑)冗談はともかく、彼が飛行機に乗り込んでいくさまを見守り、アテンダントとして同乗した丸内さんの通訳などを全てこなし、飛行機が離陸していく様を滑走路横で見届けて、ようやくダービーにおける私の仕事が終了、そして帰路のフライトで爆睡していたことは言うまでもありません(笑)このあと、ベルモントパークに移動することがラニ様にとって良い結果を産んでいくことになるのでした(続く…)。

筆者:沼本光生
1980年東京生まれ。U.S. Equine, Inc., Sales & Operations Manager
http://www.usequine.com
余談ですが、American Japanese、つまりは米系日本人?とも言うべきラニ様。アメリカ人の関係者は「クレイジージャパニーズホース」と言っていましたが、「おいおい、彼もパパもじいちゃんもアメリカ生まれよ?」と言うと「Oh!?」という感じでした。また、アメリカとは違う、じっくり乗り込んでターゲットとなるレースに向けて調整していく日本式の調教は、米国の競馬関係者には大きな刺激を与えたようです。そういうことがあるから、競馬においても国際交流って大事なんですよね。